33 その場代、命につき――
照り付ける太陽の如き輝きを浴びながらレイラはウィリアムへと向き直り、獰猛な笑みを浮かべる。
「さて、吐いた唾を飲んで貰うとしましょうか」
立ち上がりながらも悔しげに睨むウィリアムの顎を蹴り上げ、浮き上がった胴に〝斬り裂き丸〟を振り下ろす。
奇跡の効果か、先までの強固な手応えもなく肩口から股下まで伸びた傷口は修復を始めるものの見るからに速度が落ちている。
「奇跡一つで勝ったつもりに――――」
形勢逆転されて尚、威勢を張るウィリアムの顎を斬り落とし、更に〝斬り裂き丸〟の突起を顕になった口内へ突き刺して背負い投げの要領で投げ飛ばすレイラ。
無様に地面へ叩きつけられたウィリアムは即座に立ち上がろうとするが、精彩を欠いた挙動では地面より現出する魔槍を躱すのには遅すぎた。
「うがァァァァあああああああ!」
「これなら問題なく当てられるネ」
全身を焼く奇跡、そして魔槍は想像を絶する痛みを弱ったウィリアムへもたらしたようで、ここ一番の心地良い絶叫に面頬の奥でレイラは満面の笑み浮かべる。
だがその喜色に満ちた表情をレイラは直ぐに消し去った。
ウィリアムが苦痛の最中にありながら周囲へと向けた瞳に逃走の意思を含ませ、そこに確実な活路を見出している事に気付いたからだ。
故にレイラも決断した。
ウィリアムが抱いた希望を打ち砕き、混沌とした激しい〝彩〟を見るためなら、死の気配が色濃い賭けに自分の命を場代として乗せる価値があるとして。
自身の損傷どころか、命すらも考慮の外に置いたレイラは更に苛烈に、更に激しくウィリアムを攻めたてる。
突然の豹変にヴィクトールがあげた制止の言葉も無視して突き出される手刀を切り落とし、後退しようと飛び退いた後脚を両断し、石突を叩きつけて肋骨ごと心臓を潰し、再生した足の甲へ短剣を投げつけて動きを止めながら頚を跳ね飛ばす。
しかしその猛攻はなんの代償もなく行えた訳ではない。
反撃で突き出された手刀がレイラの首筋に赤い線を作り、打ち合いからの連撃の中で腕に深い切創が刻まれ、振り上げられた蹴りが掠めたこめかみから鮮血が散っていた。
「なんだ、なんなんだ……」
防御も回避も最低限まで排し、ただ攻め立てる為だけに最適化した行動はより効率的にウィリアムを破壊し続ける。
ただし時間経過と共にレイラの身体には鎧の護りを貫いた傷が増えていく。
傍目から見れば常軌を逸した行動だろう。
況してやそんな相手を前にしたウィリアムの戸惑いは如何ほどか。
いくら戦況に余裕があるとは言え、レイラは人族の中でも耐久性で最も劣る人種。ウィリアムの一撃を受ければいとも簡単に命を落す定命の者。
そんなレイラが防御も回避もせず、ただただ攻め立てる様は異常以外のなにものでもない。
それでもレイラは止まらない。
痛みが生み出す躊躇いも、死の恐怖が作る逡巡も、命を賭した覚悟の片鱗すら見せずにレイラは刃を走らせ続ける。
どれほど傷を負おうと。
どんな致死の一撃が首筋を撫でようとも。
レイラは眉一つ動かさずに殺すための最適解を行い続ける。
「なんなんだ貴様はぁあああああ!!!!」
吸血鬼へと転化し、克服したはずの死が間近に迫ってきていることも影響していたのだろう。
だが主として生物ならどんな物でも生来より備えている筈の恐怖が欠落し、自身の傷を顧みることなく殺しに来ているレイラにウィリアムはこの日始めて恐怖した。
その表情が。
その感情が。
その瞳を鮮やかに染める恐怖の〝彩〟が。
レイラを滾らせているとも知らず。
そして恐怖は思考を鈍らせる。
どんなに聡明な人間も恐怖に支配された脳ではまともな思考は愚かか、普段何気なく繰り返す動作すら覚束なくなる。
况んや瞬時の判断を要求する戦闘となれば、その影響は計り知れない。
「舐めるなァァあああああああ!!!!」
ウィリアムは自身を奮い立たせる怒声を上げ、奇跡によって打ち払われた血統魔術を魔力に物を言わせて発動させて真紅の剣を創り上げる。
その数、二〇と五本。
陽光の届かぬ世界であればどうと言うことのない数だが、〝陽光再臨〟によって魔力消費量が増大している中では確実に命を削る数となる。
平素であれば、ウィリアムとてこんな選択はしなかっただろう。
しかし眼前で猛然と刃を振るい続けるレイラを仕留められるならば安い、そんな風に思ってしまったのだ。
レイラがニヤリと口端を吊り上げてるとも知らず、ウィリアムはこれでレイラも怯んで苛烈な攻勢も緩むだろうと淡い期待を抱いた。
「なっ?!」
しかしその期待は即座に打ち砕かれた。
縦に横にと振るわれ、死角を含む全方位から襲う刃をレイラは物ともしなかった。
踏み込みながら剣を弾き、ウィリアムを切り捨てながら躱し、次手への挙動の最中に刃を往なす。
それでも捌ききれない物はヴィクトールが魔法で防ぎ、ウィリアムの動きを封じるように魔術が炸裂する。
練り込まれた舞のように洗練された剣戟が揺らぐことはなく、レイラの刃はウィリアムの魔力を刻一刻と削り続ける。
淡々と、眉一つ動かさずに迫り続ける未知の存在にウィリアムの思考は支配された。
何故、傷が出来ても揺らがない。
何故、死が隣に立っていようと恐怖しない。
何故、上位種たる吸血鬼を前に怯えない。
何故、何故、何故、何故、何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故――
幾度となく何故を繰り返してもウィリアムには理解できなかった。
殺しても死なず、魔力も膂力も桁外れで、存在の格が違う相手にどうして立ち向かい続けられるのか。
畏怖とも違う、筆舌に尽くし難い困惑と恐怖のさなか、切り落とされても修復しなくなった腕を見たウィリアムの脳裏にある光景が浮かぶ。
それは走馬灯と呼ばれるものだったのかもしれない。
記憶の中だけの光景だったが、今この時鮮明に描き出された。
圧倒的暴力に晒され、抗う気力をへし折られたウィリアムはその時見たのだ。
ただ居るだけで身体を押し潰すような威圧感を放ち、目を合わせる事すら本能が拒絶するような根源から格の違う存在を。
そんな相手を前に媚び諂い、気紛れの慈悲に縋り、生き残るために全てを差し出すことしかウィリアムができなかった。
ウィリアムは自分の選択が間違いだと思った事はなかった。
誰しも到底敵わないような存在を前にすれば、自分と同じ事をすると確信していたからだ。
だがウィリアムの眼前にはどれ程の怪我を負おうと、種としての限界を超えた力を見せ付けようと、決して止まろうとしない人種の女がいた。
そんな女が居ることを、そんな女の有り様をウィリアムは認められなかった。
認められる訳がなかった。
その女の抗いを、抗え続けられる存在がいることを認めてしまえば、自分の選択が過ちだったと認めるのと同義だからだ。
間違いでは無かったという考えを否定されてしまえば、これまでの人生全てを否定し、人族に反旗を翻した世界の大罪人と言う汚名だけが残るのみ。
そんなこと、認められる訳がないだろう。
「貴様はッ、貴様だけはァァァああああああッ!!」
腕を再生できない程に魔力が尽きかけていたウィリアムだったが、例えこの瞬間に燃え尽きようとも、自身を否定するレイラを消す為ならば惜しくはないと魔力を絞り出す。
尽きかけの魔力、されど人族からすれば膨大な量の魔力がウィリアムを中心に吹き荒び、全てを吹き飛ばす暴風を生み出した。
更に能う限りの魔力で真紅の剣を生成し、暴風にも怯まず突き進むレイラへ殺到させる。
レイラは致命となるものだけを弾き、ヴィクトールが手の届かないものを防いでなお、防ぎきれなかった二本の凶刃がレイラの項へと迫る。
「レイラッ!!」
「レイラ殿!!!!」
ウィリアムは勝利を確信した。
レイラに迫る剣は既に瞬きの間も許さぬほど肉迫しており、どんな反射神経をしていようと回避や防御は最早間に合わない。
その証拠に悲鳴のように名を呼んだ二人の声には諦念が混じり、レイラにこの状況を覆す術が無いと告げていた。
レイラを殺したあと、例え控えている二人に殺されることになろうとも、ウィリアムはレイラを殺せればそれで良かった。
レイラさえ殺せれば自分の選択は間違っていなかったのだと証明され、自分と同じ選択をしなかった愚か者だと嘲笑いながら逝けるのだから。
だからウィリアムは嗤う。
嗤うために口端を吊り上げ――――
「誰が死ぬって?」
――――その顔が凍りついた。
死の間際の極限状態と放出した魔力によって増した集中力によって圧縮され、一瞬の間が何秒にも引き伸ばされた体感の中で聞こえた声はウィリアムの幻聴だったのだろう。
しかし死んだも同然のはずのレイラの琥珀の瞳に、感情が乗らない無機質だった瞳が愉悦一色に染まったのは間違いなかった。
間もなく頚を刎ね飛ばされる人間がするべき感情とは掛け離れた表情に、ウィリアムの背筋を冷たい物が撫でる。
しかしウィリアムが悪寒を覚えようとも、レイラへ迫る刃の軌道は変わらない。
見間違いだったのかと思い掛けたその時、刃はレイラの頸へと食い込み、二本の剣がレイラの細首を通過する。
やはり見間違いだった。
そうウィリアムが確信を抱いた直後、無事だった右腕が宙を舞った。
「はっ?」
素っ頓狂な声を漏らし、状況を掴めないながら不味いと訴える本能に従って再度剣を操り、首が繋がったままのレイラを袈裟懸けに切り捨てようとした。
しかし、再び刃はレイラの身体をすり抜けた。
意味が分からなかった。
幻術の類いを疑いそうになるが、魔力を可視化できる吸血鬼のウィリアムに幻術が通用しない。
ならば何故、そんな疑問で思考が空転する間にも距離を詰められ、片膝を砕かれたウィリアムは強制的に跪かされる。
訳も分からず顔を上げたウィリアムの視界には首を切り落とされ、袈裟懸けに斬り捨てられた筈のレイラが平然と立っていた。
ウィリアムは恍惚とした瞳で見下ろし、面頬に隠されていようとニマニマと嗤っているのが分かるレイラを呆然と見上げるしかなかった。
「何故、生きている……」
「何故?そんなこと――――」
最早自壊寸前の身体は言うことを効かず、何一つ抵抗できないウィリアムは能う限りの憎悪を込めて睨み付ける。
しかし快感に身を震わせるレイラには響かなかった。
前髪を鷲掴み、ウィリアムの首を切り飛ばされる。
「――――教える訳ないでしょう」
切口となる首から腐った肉となってボロボロと崩れ落ち始めても、レイラは掴んだ髪を離さない。
顎も朽ち果て、反論も憎まれ口も叩けなくなってもウィリアムは呪詛を込めた瞳で睨み、レイラはそんな瞳をただじっと見つめ続けた。




