26 その力、吸血鬼につき――
梁がむき出しの古びた天井。
淡い光を浴びて輝く埃が舞い散る様を見上げながら、レイラは自分が何故見知らぬ天井を見上げているのか理解できずにいた。
遅れてやってきた全身を包む鈍い痛みで自分が吹き飛ばされたのだと理解した時、自分を覗き込むようにするヴィクトールの顔が写り込む。
「生きているかネ?」
「……少し、遅いんじゃない?」
「私は君ほど器用に走れないんだヨ。それに人が心配しているのに開口一番それかネ?」
ヴィクトールの苦情を無視して傍らに落ちている魔具と〝斬り裂き丸〟を掴みながら立ち上がれば、胸に乗っていたらしい衛兵の隊服を着けた片腕がポトりと落ちる。
それを見てレイラは思わず顔を顰めた。
咄嗟に施した身体賦活が功を奏したのだろうが、流石のレイラも賦活が間に合わなかった時の事は考えたくなかった。
「どれぐらい気絶してたのかしら?」
気を取り直しながら身体を動かせば、倦怠感に似た痛みはあるものの骨折のような重度の怪我はないとすぐに分かる。
ただ酷い怪我はないものの、念の為に魔法薬の栓を抜きつつヴィクトールを見るレイラ。
「丁度君が吹き飛ばされるのを見て駆け寄ったから数分も経ってないんじゃないかナ」
「そう。それであの子は?」
「あの子……と言うとアレのことかネ?」
空き瓶を投げ捨てると同じくしてヴィクトールが指差した先にあったのは、近隣の建物を薙ぎ倒して存在する血液で作られた繭のような赤黒く脈動する球体。
警笛と家屋が倒壊した騒音で集まった人々の奥には吹き飛ばされる前には存在していなかった物体があり、レイラは怪訝な表情をするしかなかった。
「アレは……なんなのかしら?」
「アレは人が吸血鬼に転化したときにできる、結界みたいなものだネ。とはいえ普通は陽光結晶の影響下で作れる物じゃないし、下位の吸血鬼じゃ転化の繭なんてできないんだけどネェ。一体何が合ったのか教えてくれないかネ?」
人が吸血鬼へと堕ちるとき、見た目は人と変わらずとも存在そのものが人から掛け離れた者へと変わるため変化に時間を要するのだとか。
その際、無防備となる本体を守る為にあらゆるものを拒絶する〝転化の繭〟と言う蛮族神の奇跡を賜るのだ。
しかし蛮族神が敗れ、存在を天界へと移してからは蛮族神が齎す奇跡の権能は弱まり、逆に陽光神の権限たる陽光を前に無力と化した。
今でも魔力や物理を受け付けない強固な守りであるのは変わらないが、陽のあたる場所や陽光結晶の影響下では繭を形作ることすら出来なくなっていた。
そして繭について聞いた代わりに別れてから何があったのかをレイラが伝えれば、ヴィクトールは大きく唸りだす。
「最初は蛮族が吸血鬼に見せかけて何か企んでると思ったんだけど、どうやら違ったみたいだネ。しかし人が吸血鬼へ転化するには普通は親となる吸血鬼が必要なんだけど、コレは一体どういうことだと思うかネ?」
「貴方が分からないのに私が分かるわけないでしょ。それよりアレって本当に放置するしかないの?それに何時まであのままなの?」
「幾ら弱まったとは言え腐っても蛮族の神々が地上へ授けた奇跡の一種だからネ。地の趺の人間がどうこうできるものじゃないヨ。ただ、転化にはそれ程時間は掛からないと思うけどネ」
「そう。なら、今の内に群がってる野次馬連中を散らしたほうが良いと思うのだけど?」
「逆に聞くけど、彼等が言う事を聞くと思うかネ?」
「うーん、無理ね」
問い返されて、今度はレイラが唸る番だった。
今なお警笛が時折鳴らされて続々と人が集まっている中、レイラやヴィクトールの声が届く状況ではないだろう。
仮に声が通ったところで、彼等を納得させる方法をレイラは思い付けなかった。
なにせバルセットが歴史が紡がれて以来、一度として街中に上位の蛮族が入り込んだという前例はなく、況してや御伽話どころか存在自体疑われていても可笑しくないような最上位の不死者だと言って誰が信じるというのか。
「素直に転化が終わるのを待つしかなさそうけど、さっさと終わってくれないかしら……」
「……一つ聞きたいんだけど、この状況になっても逃げないのは何故かネ?」
「……何が言いたいの?」
「いや、相手が吸血鬼と分かったら逃げるのが普通だろう。それに君の依頼だと相手が吸血鬼なのは想定してないだろう?だから君なら言い訳もコネもあるから依頼を破棄しても可笑しくないと思ってネ」
「………」
何を聞くのかとヴィクトールを見やれば、逆に真剣な眼差しが返されるレイラ。
応えてやる義理はないとも思うが、わざわざはぐらかす理由もないと思ったレイラは思ったままを口にする。
「別に大した理由なんて無いわよ。ただ私はね、約束は守る主義なの。例えそれが半ば強制的に受けさせられて、内容が大きく変わったとしても、私から約束を反故にすることはないわ」
「自分の命が掛かっていてもかネ?」
「当然でしょ。私は私の決めたことは絶対に守るの。例えそれが命を賭けた依頼だろうと我欲のためだろうと関係ないわ。他人からしたら馬鹿馬鹿しかろうと、それが私で、それが私の生き方よ」
臆面もなく言ってのけるレイラに真剣な眼差しを向けるヴィクトール。
しかし何を納得したのかそういうものかと言うヴィクトールに同じ言葉を返し、人垣の向こうにある"転化の繭"へ視線を戻すレイラ。
すると繭を囲んでいた一団が僅かにザワついた。
「もうそろそろかしら?」
「だろうネ。一応聞くけど、どうするつもりかネ?」
「そんなの決まってるじゃない」
レイラが〝斬り裂き丸〟を見せ付けながら面頬の奥で笑みを深くすれば、ヴィクトールは呆れたように息を吐く。
「……少し、彼に同情しそうだよ」
ヴィクトールがボヤくや否や、"転化の繭"が砕け散る。
中から現れたのはボロを纏った少年――――ではなく、上等な礼装を身に着けた壮年の男。
香油で撫でつけたように整った髪や切り揃えられた髭などは貴族然とした出で立ちであったが、少年の顔を知るレイラとヴィクトールには少年が歳を経た姿なのだと察していた。
ただしその周囲には不規則に揺れる赤い靄が漂い、顔面は血の気を感じさせないほど蒼白であり、怪しい彩を放つ深紅の瞳は人外のもの。
繭を取り囲んでいた者達も現れた男が人に仇なす存在だと理解しているのか、腰が引けた者やあからさまにたじろいでいる者の姿を見て男の表情が愉悦に歪む。
「ハハハハハッ!! 人の及ばぬこの力ッ、この魔力ッ!!!最ッ高にゆか―――――」
高らかに嗤い声を上げる男の眉間へ二本の短剣が突き立った。
否。
刃が刺さる寸前に周囲に漂っていた赤い靄が集まり、投げつけられた短剣を絡め取っていた。
靄はそのまま短剣を投げ捨て、愉悦に染まっていた男の顔から感情が抜け落ち、次の瞬間には怒りで染め上げられる。
更に男から膨大な魔力が発露し、まるで暴風が吹き荒れるかのような圧力が周囲に撒き散らされる。
「まだ俺が喋ってるのに、邪魔する馬鹿は何処のどいつ―――――」
圧を伴う怒声が上げられた直後、背後に現れたレイラの一閃によって男の首が宙を舞った。
人であれば即死の一撃を放ってもレイラは止まらず、左に持った戦斧で残された胴体を縦に両断してみせる。
突然の事態に唖然とした視線が向かられる中、レイラが間髪入れずに跳び退けば、地面を転がる男の頭部と胴体双方へ地面より現れた結晶の棘によって刺し貫かれる。
「コレで死んだかしら?」
「転びたての吸血鬼なら死ぬだろうネ。あくまで"普通"の吸血鬼なら、だけどネ……」
人垣を掻き分けてきたヴィクトールが結晶の棘に貫かれた男を顎で示せば、そこに男の身体は存在しなかった。
どよめく周囲を無視して二人が空を仰げば、そこには忌々しげに顔を歪める男が宙に浮んでいた。
そしてヴィクトール、レイラの順に視線を合わせると表情が憤怒に染まる。
「私達、随分と怨まれてるみたいよ?」
「どちらかと言うと君が恨まれてるんだと思うんだけどネ……」
次の瞬間、赤い靄が何十もの真紅の剣や槍へと変わり、周囲一帯に降り注ぎ、鎧や石材、家屋すら容易に斬り裂く死の雨は、情け容赦なく惨状を作り出す。
自分へ向かってくる槍を両の武器で難なく弾き、レイラが周囲を見渡せば血の海が広がっていた。
「い、いでぇ……」
「俺の腕、腕がァァああ!!」
「いや!!メレズッ、メレズッ!!死んじゃいやッ!!!」
死んだ者も多くいたが、生き残りもいるようで周囲は阿鼻叫喚の様相となっている。
そんな中、レイラと同じく無傷のヴィクトールと目が合い、二人はそのまま宙に浮かぶ男へ視線を向ける。
「さっきので死んでいれば良いものを、薄汚い下等種は下等種らしく生に意地汚いらしいな」
鼻を鳴らしながら吐き捨てる男に対し、レイラとヴィクトールは揃って肩を竦めた。
小馬鹿にするように、自分達に意識を集中させるように。
「あら、言われてるわよヴィクトール」
「いやいや、君のことじゃないのかネ?」
「あんな派手なだけの攻撃で傷一つ負ってない私が下等種なわけないでしょう」
「それを言うなら私も同じだと思うけどネ」
周囲の状況に反して軽薄な二人に男の表情は更に歪み、蒼白なはずの顔面が真っ赤に染まっているようにすら見える様相へと変わる。
「貴様らッ、貴様らが一体誰の前に立っていると思っているッ!!」
「誰って……思い上がった馬鹿な男よね」
「吸血鬼になっても普通は口調なんて変わらないから、きっと舞い上がっちゃってるんだろうネ。でもそれを指摘しないのが、人情というものだと私は思うがネ?」
小馬鹿にしながら肩を竦め合い、男の注意を集めたレイラは最も近くにいた冒険者に離れるようにアイコンタクトを出す。
その冒険者がちゃんと指示を受け取れたかまでは確認せずに視線を戻せば、口元を引き釣らせ青筋を浮かべた男がゆっくりと地に足を付ける所であった。
「あら、高みの見物はもういいの?」
「……嬲って誰を虚仮にしたのか思い知らせてやろうと思ったが、辞めだ」
周囲に付き立っていた槍が赤い靄へと戻り、男の中へと吸収されていく。そして全ての靄が消え失せた瞬間、男の瞳が妖しく光る。
「死ね。悔いる間もなく絶望の中で死ぬがいい――――」
「ッ?!不味いッ、奴を止めろ!!!」
ヴィクトールの叫びを聞き取り、レイラは即座に男の首へ戦斧を走らせる。
しかし刃先は首から吹き出た靄に受け止められ、ヴィクトールが作り出した結晶の棘は踏み砕かれる。
『夢幻の牢獄』
男が聞き慣れない言葉を口にした瞬間、周囲にいた全員が糸の切れた人形のように倒れ伏す。
たった一人。
ヴィクトールを除いて。




