19 その正体、不明につき――
可笑しいな……
今日は9/6ではなかった……?
霧雨が降り注ぐ中、外套を羽織ったレイラとヴィクトールは昨夜被害者が横たわっていた路地へとやってきていた。
既に昨夜の内に調べてあるが、その時点では何かしらの方法で潜り込んだ蛮族の犯行であると思っており、吸血鬼が関与しているならば見落としがあるかもしれないと判断したからだ。
本来は別々に調べ物をしようと思っていたレイラだったが、道が分からないとヴィクトールに泣付かれてレイラもこの場所にやってきていた。
「魔法と魔術って違いって何かあるの?」
現場にやって来たは良いものの、夜通し降り続いている雨と野次馬などで踏み荒らされた現場はとうに物的証拠は洗い流された後である。
そのため特に調べられることもなく、魔術的な観点で調査しているヴィクトールを横目に手持ち無沙汰なレイラは丁度良いと声を掛けた。
「あまり人に教えるのは得意ではないんだけどネ。それでも良いいかネ?」
構わない、そうレイラが返事をするとヴィクトールは目線を向けることなく喋り始めた。
曰く、魔法とは一部の物を除き――武器強化や身体賦活などだ――魔力を対価に事象に干渉、発現する事を指すのだという。
「例えるとだネ、空のコップが在るとしてそこに水を注ぐとするヨ。魔法は魔力と言う硬貨を女給に――――魔法で言えば精霊や妖精みたいな存在だネ――――渡して、持ってる水差しで水を注いで貰うようなものだネ」
ただし女給が定価で硬貨を受け取ってくれるとは限らず、またレイラのように受け取ってすらくれないと言うことも起こりうる。
「魔術は魔力で水の入った水差しがあるんだと世界を"誤魔化して"乾いたコップに注ぐような物だネ。当然元々水の入った水差しなんて存在しないから、術式が破棄されればコップは乾いた状態に戻るヨ」
対して魔術とは魔力を燃料とし、術式をもって世界のあり方を一時的に"そうあるもの"と捻じ曲げているのだと言う。
ただし魔術によって影響を受けた事象は術式が破棄されてもそのまま残る。
例えるならば魔術で火の付いたマッチを作って紙を燃やした場合、マッチの火を消しても紙へ移った火は紙が燃え尽きるまで付いたままなのだ。
そこまで聞いてからヴィクトールはついでだからと奇跡と外法についても享受してくれるというので、レイラは持って来ていた黒色の硬貨を玩びながら耳を傾ける。
「奇跡っていうのはもっと簡単で、神様の力でその場に水で満たされたコップがあるって世界そのものを"書き換え"てるんだよネ」
魔術が世界を誤魔化しているのであれば奇跡はその上位互換であり、神が与え給うた権能で持って世界そのものを書き換えるのだ。
そして魔術と違って魔力を必要とせず、神の寵愛を授かれればそこらを歩く幼児ですら千切れ飛んだ腕を傷跡なく繋ぎ直すことも能う。
然れども神々はその異能をただ与える事を良しとせず、奇跡を起こすのに相応の代償を要求する。代償無き奇跡を許せば、人は神に懇願するだけの家畜となるのだから。
慈母神の授ける最も有名な奇跡である『寛解の献身』は如何なる致命の状態でも――臓物が引き裂かれたり、半身を失うような傷などでも―――瞬きの間に治すことができるが、代償として術者が被術者の傷をそのまま請け負うと言う。
「最後に外法だけど、コレはある意味蛮族神の奇跡のようなものだネ。水があると書き換えるのは同じだけど、実際にコップに入ってるのは毒入りの水なのサ。まぁ、あくまでこの世界にとっては毒というだけで、蛮族やらにとってはただの水なんだけどネ」
外法というのは蛮族神が自身の居た世界の法則をこの世界に引き寄せる術全てを指しており、そして外法はすべからく世界にとっての異物である。
そして外法を使えば世界に淀みが生まれ、巡り巡って迷宮や魔窟を生み出すというのである。
「ま、戦いに破れて元の世界にも帰れなくなった蛮族神達の嫌がらせのようなものだネ。力を失ってそれぐらいしかできる事がなかったと言うのもあるんだろうけどネ」
「ふーん、ためになったわ。で、調べ物は終わったかしら?」
「まぁネ。使われたのはやっぱり外法だったみたいだヨ。ここを見給え」
霧雨とはいえ振られ続ければ濡れ、雨避けの外套は随分と水を吸って重くなっていた。
仕方がないと分かっていたがいい加減終わらないかと問かければ、ヴィクトールがある一点を指差しながら立ち上がる。
レイラが近づけば、そこは昨夜犠牲者が倒れていた場所であり、一見したところ異常な点は見られない。
しかしヴィクトールが棺から取り出した黒い粉を振りかけると、黒い粉は雨に流されるでもなく何もない空間で漂い続けていた。
「これは?」
「さっき言った外法が使われると生まれる淀みだヨ、昨日は気配が薄すぎて気付けなかったんだネ」
「ふぅん、これがね……」
少しの間漂い続けていた黒い粉は時間と共に少しづつ雨に流されており、幾ばくもしないうちに全て洗い流されてしまうだろう。
レイラは躊躇いなく淀んだ空間に手を突っ込んでみるが、特に異常はなく、強いて言えば漂う黒い粉が手に付着することもなかったことだろうか。
「で、相手の正体に目星はついたの?」
「コレがさっぱりでネ。吸血鬼みたいな高位の蛮族なら外法を使えるだろうけど、この街は陽光結晶が正常に働いてるみたいだから普通の吸血鬼じゃまともに動けないはずなんだよネ」
「入り込んだ邪教徒が外法を使った線はないの?」
「使えなくはないけど、外法の淀みは人族にとっては致死毒だヨ。一度使えれば御の字サ。習得も難しいだろうし、人族の邪教団がやるにしてはかなり非効率的だネ」
「……なるほどね」
一先ず移動しよう、レイラはそう提案してからちらりと路地の奥に目をやり、大通りに向けて歩き出す。
横に並んだヴィクトールも言葉を発するでもなく、雨樋を通して流れる水の音だけが響く路地を二人は歩いていく。
雨のせいで普段よりも出歩いてる人々の数は少なく、疎らにしか人影の見えない大通りに出た二人はそれでも無言を貫いた。
「まだ付いてきているかネ?」
「えぇ。数は三つ、足音を消せてないから素人ね」
大通りに出て暫くしてからヴィクトールが前を向いたまま問かければ、レイラも習って前を向いたまま答える。
ウォルトから不審な人物が居ると話を聞き、ニナとウォルトの二人が"羊の踊る丘亭"を出て、その後に外に出たレイラ達を追って付かず離れずの距離を保って何者かに後を付けられていた。
最初は今回の事件の関係者なのかと疑っていたが、どうやら違うと二人は結論づけていた。
「随分とモテるんだネ。何か心当たりは?」
「さぁ?人の心内でどう思ってるかなんて分からないわよ。でも、私が知る限り監視をつけられるような事をした覚えはないわね。色恋を除けば、でしょうけど」
理由は後をつけてきている人物の目的がレイラであるらしいと分かったからだ。
今回の依頼でレイラは端役だ。その上、"羊の踊る丘亭"の面々と比べて冒険者としての知名度も低い。
事件現場に駆けつけはしたが、それも発見から時間が経っており、レイラ以外にも多くの人間がその場にいた。
最も早く現場に駆け付けたニナを監視するでもなく、衛兵たちに助言をしたヴィクトールでもなく、レイラを監視するのは道理に合わない。
仮に地下水路事件の関係者だと思われたのだとしても、解決したのは"雷声"のガランドが率いる一党だと認識されており、レイラが張本人だと知る人間は一握りだ。
また事件が起き始めた頃よりも前にレイラの事を探っていた奴がいるというゴンドルフの言も合わされば、今回の事件とは別口だと自ずと分かるだろう。
「そこ右に曲がったら付いてきて」
「何かあるのかネ?」
「ずっと見張られてるのは気分がいいものではないでしょう?」
流し目を送るだけで答えにならない答えを返したレイラは指し示した路地に入ると、視線が途切れる直前に背後に目をやり、浮浪者と冒険者の中間のようなみすぼらしい格好をした追跡者を視界に収めがら路地の奥へと姿を消した。
『おいっ!!あの女いねーぞ!!』
『俺達に気付いてたのか?!どこ行きやがった!!』
『いいから探せ!!まだそんな遠くには行ってねーはずだ!!』
レイラとヴィクトールが路地に入った後、二人が通った場所から男達の慌ただしい声が届く。
脇道へ抜けられない一本道の路地の中、一見では分からない隠し通路から地下水路へ降りたヴィクトールは上から聞こえた声に顔を顰める。
しかしそれは地上で騒ぐ男達の声を聞いたからではない。
持ち込んできていた魔具のカンテラに灯りを灯し、悠然と地下水路を進む少女に対してだった。
彼女自身は一介の冒険者だと宣っていたが、一体どこに隠し通路を知る一介がいるのかと。
その上、先立って起きた事故のような戦闘ではレイラは魔術の発動に先んじて回避行動を取っており、あまつさえヴィクトールが使おうとした奥の手を察知して強引な攻め手にも出ていた。
ヴィクトールの長い人生の中でそんな行動をしたものなど、同輩の魔術師を除けば両の手で数えられる程度しかいなかった。
それがたった齢十六の少女で、殆ど無名の冒険者だと言うのだから笑えない話だった。
「貴方の考えてることを当てましょうか?」
「ん?」
「"なんで一介の冒険者がこんな所を知っているのか"と"なぜ此処を会って間もない自分に教えたのか"ってところかしら?」
振り返りもせず、見事に内心を言い当てられたヴィクトールは閉口する。
そんなヴィクトールの内心を知ってか知らずか、流し目を送ったレイラはクスりと笑みをこぼすばかり。
「ここを知らせた理由は二つ。一つは今向かってる所は此処を通らないと辿り着けないから。二つ目は貴方に貸しを作ったままにしておくのは好きじゃなかったからよ」
「貸し、かネ?」
「そう貸しよ」
心当たりがないと首を傾げるヴィクトールを気にせず、歩き続けるレイラの妻子の事は秘密にしておくつもりだったのでしょう?と続く言葉にヴィクトールは反論できなかった。
実際、ヴィクトールは魔具かなにかを取り出してそれで誤魔化すつもりでいたが、リリアーノが殊の外レイラのことを気に入って出てきてしまったために予定を変更していたのだ。
特段それで自身が不利になるとは思っていないが、死霊と勘違いされやすい妻子をあまり他者の目に触れさせたくなかったのは事実だった。
まさかその事にも気付いていたのかと目を見開くヴィクトール。
「貴方の秘密を知ってしまったのなら私の秘密を開示しないとフェアではないでしょう?」
「ではコレが君の秘密だということでいいのかネ?」
「いいえ。此処に貴方の連れてきたのはあくまで余人の居ない都合が良かったからよ」
訳が分からず困惑を隠そうともしないヴィクトールに振り返ったレイラは満面笑みを浮かべる。
「私はね、ヴィク。人を殺すのが、人が死ぬ間際にみせてくれる感情の輝きを見るのが好きなの。それも、私の全てを差し出しても良いと思っている程にはね」
レイラの笑みを見て何故かヴィクトールは今の今まで抱いていた言語化しにくい不信感と違和感を覚えていたが、それがすとんと腑に落ちた。
今までと変わらない笑みだが、暗く昏く淀んだようにすら見える瞳から"コレ"がレイラの本性なのだと理解できたからだ。
この時、笑みを見せるその瞬間まで完璧に普通の少女に擬態していたからこそ、本性の一端を垣間見ていたヴィクトールに違和感を覚えさせていたのだと納得もした。
そして今になってレイラが本性を臆面もなく晒した理由にも思い至った。
ヴィクトールが無意識に抱いていた警戒心を察知したというのもあるだろうが、現状本性を知られたところでレイラ自身にはなんらダメージがないからだ。
この数時間の間でレイラが膨大な人脈と信頼を勝ち取っているのをヴィクトールは知った。
たった数分街を歩くだけですれ違う人々から声を掛けられ、何かしらのやり取りをしている姿を見ていればどんなに鈍感な人間でも分かるというもの。
多数の人間に知られたレイラと、昨日やってきたばかりで誰にも知られていないヴィクトールでは寄せられる信頼も違う。
そしてヴィクトールがレイラの本性を吹聴したところで、誰一人信じる者はいないだろう。
よしんば居たとしてもそれはレイラのことをよく思っていない連中ぐらいで、レイラが築き上げた信頼を切り崩す事は不可能だ。
「……まったく。君も厄介なのを気に入ったものだネ」
思わず恨めしげな目を背負っていた棺に向けるが、棺の隙間から伸びてきた三本の手は自慢げにサムズアップするだけで虚脱感に襲われるヴィクトールだった。




