14 その男、軽薄につき――
レイラが幻痛を覚えているのを他所に、周囲を見渡したヴィクトールが首を傾げる。
「それで、今はどういう状況なのか聞いても良いかネ?」
先の発言などなかったかのような素知らぬ素振りに幻痛が酷くなったような錯覚を覚えつつ、レイラはニナから聞き出した事も含めて掻い摘んで説明する。
なぜバルセットにやって来たばかりのヴィクトールがこの事件に関わっているのかなど気になる点はいくつかある。
しかしレイラはそれらの事情は後で聞き出せば良いとし、今は最低限の役目を果たして引き上げる事を優先したのだ。
何故ならニナの顔色が悪くなっており――――本人は隠しているつもりのようだったが――――、これ以上時間を掛けるのは悪手だと判断したからだった。
ニナの不調の原因には既に検討がついていた。
夕方から降り続いている雨と、吐く息も白くなる寒さのせいだ。
元来百足人は温暖な地域に暮らす種であり、種族全体が寒さに弱い。
人族であるため本来の百足のように冬眠するようなことはないが、冷え込めば全ての脚の関節が軋み、倦怠感と疼痛に襲われる。
この時期になると憂鬱になる、とニナ本人に毎年愚痴を聞かされ続けたため嘘ではないだろう。
そんな生来から寒さに弱い百足人が屋根上で長時間雨に打たれ、雨風凌げない寒空の元に晒されていれば体調も悪くなろうと言うもの。
正直なところニナが風邪を引こうが寝込もうがレイラにとってはどうでも良かった。
だが大事になり始めた依頼を早期解決するには、入り組んだ路地に囚われず自由に屋根の上を移動できる人材は欠かせない。
そして人手の少ないこの時期、ニナのような斥候としての実力も確かな存在を下らない理由で失うのは惜しかった。
またレイラが引き上げを優先したのは衛兵達の動きの悪さもあった。
急ごしらえで方々から人を集めた弊害なのか、衛兵達は傍目から見ていても統率が取れているように見えなかった。
本来このような状況に至り、冒険者へ指示を下すべき衛兵たちはあたふたするばかりでまとまりが無く、捜査が進んでいる様子もまったく見られない。
また時間経過と共に新たにやって来た衛兵や被害者の仲間らしき冒険者がいがみ合って声を荒げ、更には騒ぎを聞きつけて野次馬までチラホラと現れる始末。
初動の悪さが故に最早この付近は収集がつかなくなりつつあり、満足いく情報を手に入れられる状況ではなくなっていたのだ。
「なるほどネ、概ね理解したヨ」
そんな判断を下しながらレイラが大まかな説明を終えると、何を思ったのかヴィクトールは一際騒がしくなっているところに向かって歩き出した。
「ちょ、なんだ貴様はッ!!」
「すまないネ、今は時間が惜しいからそう言うのは後にしてくれ給えヨ」
衛兵達を無理矢理掻き分け、睨むように背後に控えていた冒険者達も無視して遺体を抱き締め悲嘆にくれる狼人の前にしゃがみ込むヴィクトール。
突然の闖入者に狼人が呆けてる隙きを突くように手を伸ばしたヴィクトールは一息で遺体の衣服を引き千切る。
あまりの暴挙に誰もが唖然としているのも気にも止めず、精気を失った女の首筋を改めたヴィクトールは満足げに頷いた。
「おいアンタ!!いきなり何を――――」
「ふむ、この首筋の二つの穴からの失血が死因だろうネ。ただ噛み付いたにしては他の歯が当った形跡がないから、犯人は純粋な吸血鬼ではないネ。魔種か、蛮族神を信奉する邪教徒だろうネ」
「何言って――――」
「抜いた血は何かしらの儀式で使うんだろうネ。そもそも吸血鬼は血をこんな風に飲み干すなんてことはしないし、こんな綺麗な"食べ方"はしないヨ。それにこれだけ綺麗に血を抜くには魔術か外法を使わないと不可能だヨ」
言いたい事を言い終えたのか、今度はニナが捕らえた少年の前に立つヴィクトール。
あまりに堂々とした態度に呑まれた観衆が誰一人として止められずにいるとヴィクトールの詰問が始まった。
「君が遺体を見付けたようだけど、遺体の他に誰か見かけたかネ?」
「み、見てないよ」
「何か物音とかは聞いたかネ?」
「ううん。たまたま通り掛かったら人が倒れてたんだよ…」
「何か鳥肌が立つような、薄気味悪い感覚は覚えなかったかネ?」
「な、ないよ……」
「……ふーむ、なるほどネ」
必要な事は聞き出したらしいヴィクトールが何やら意味深な素振りを見せる。
その場にいた誰もが次の言葉を待つ中、一向に動かないヴィクトールに痺れを切らしそうな周囲の様子を察したレイラが代表して前に出る。
「それで? 犯人は分ったの?」
「いいや、これっぽっちも分からないネ!」
自信満々に胸を張って宣うヴィクトールに呆れた溜め息を溢すレイラと罵詈雑言を浴びせる周囲。特に死んでいるとはいえ、仲間に狼藉を働かれた冒険者たちの声は一際大きかった。
「そう言えばまだ直していなかったネ」
「おい、今度は何をする気だ?」
「なに、お詫びのようなものだヨ」
今思い出したと言わんばかりに大袈裟に手を打ち鳴らしたヴィクトールは冒険者たちに近づき、警戒を顕にする彼らの前で杖の石突で地面を数回小突く。
すると遺体の破けた服に魔法陣が浮かび上がり、瞬く間に修復されていく。荒い服の繊維が解れ、再び結び付いていく様は非現実的な光景を作り出す。
摩訶不思議な光景に見惚れている間も修復は進み、気付けばヴィクトールに破かれた衣服は元通りになっていた。
「ご覧の通り私は流れの魔術師でネ。だからさっき伝えたことに嘘はないけど、疑うなら領主お抱えの魔術師に確認を取ってくれ給え。まぁ、殆ど同じ答えが返ってくると思うけどネ」
ヴィクトールの声を受けてようやく明確な持った衛兵たちが動き出す。
未だ統率は取れていないようだが、何をするべきか分かっていなかった頃に比べれば幾分かマシであろう。
冒険者たちも衛兵との折り合いが付いたようで、遺体を連れて銘々に引き上げていく。
レイラも引き上げるべく衛兵に声を掛ければ、事件は一夜に一人しか犠牲者が出ないから今日はもう引き上げて良いという返事がきた。
「さて、私達も帰りましょうか。それとニナ、貴女はウチに寄りなさいな」
「え、こんな時間にお邪魔したら悪いよ。仲間の皆も待ってるし……」
「貴方達が取ってる宿は東端近くでしょ?今の貴方の顔色じゃあ、宿に着くまでに風邪を引いてしまうわよ」
「……ごめん、ならお言葉に甘えようかな。正直、ちょっと辛かったんだよね」
「でしょうね。お仲間には私の方から知らせを送っておくから何なら泊まっていきなさい」
「……ありがと」
余程体調が悪かったらしく、普段なら何度も問答を繰り返してただろうニナが素直に提案を受け入れられたレイラは振り返る。
視線の先には聞き取りを終えたのか、解放されて途方にくれた様子の子供と何やら思案しているヴィクトールがいた。
「ヴィクちゃんと其処の貴方、良かったら貴方達もウチに来る?」
「おや、男の私が行っても良いのならお言葉に甘えさせて貰おうかナ?あと私はヴィクと呼び捨てにしてもらって構わないヨ、さっきのはちょっとした冗談だからネ」
「ぼ、僕も良いんですか?」
「えぇ、ウチは住み込みで働いてる人も居るし、一人二人増えても大して変わらないわ。ただ申し訳ないけど、二人は同じ部屋に泊まることになるけど良いかしら?」
「それぐらいなら構わないとも。実のところ、今日来たばかりでまだ宿を取っていなくてネ。いやはや、助かるヨ」
「ぼ、僕も雨風凌げる所で寝られるだけでも十分です」
「そう?なら行きましょうか。案内するわ」
二人も特に断れることもなく提案を受け入れられたレイラは先導するように歩き出す。
少年の着た薄汚れた袖口から覗く指を見つめ、思っていた以上に厄介な依頼になりそうだと言う予感を感じながら。




