13 その邂逅、勘違いにつき――
雨と風、路地の壁に反響して判然としない声。
ともすれば聞き逃していても可笑しくないほど微かな声を聞き取った二人はまるで示し合わせたかのように動きを止めた。まさか、そんな思いで男の顔を見直したレイラが自分と似た表情を見つけるのは難しくなかった。
「チッ!!」
悪態を付いたのはレイラか男か。
即座に男から視線を切って路地の壁を垂直に駆け上り、雨に濡れた瓦に着地したレイラは夜闇の中へ視線を凝らす。
所々戸口や木戸の隙間から漏れた僅かな光を頼りに周囲を見渡していると、遠くの屋根の上に路地へと入っていく一つの影を見つけ出した。
ピィィィイイイイイイイイ!!!
その直後、夜の静寂を引き裂く甲高い笛音が鳴り響く。
音の出所は影が入り込んだ路地の中、更に様々な所から剣呑な雰囲気を孕んだ物音が巻き起こる。
「今の音はもしかして……」
「えぇ、非常時用の警笛。そしてこの吹き方は……」
新たな犠牲者が出たときの物。
すっかり殺意も敵意も消え去り、元の軽薄な雰囲気に戻った男が息をきらして屋根の上に登ってきたのを見計らって言い残し、レイラは再び繰り返された警笛の音を目指して走り出す。
「ま、待ってくれないかネ!!私はまだこの街に明るくないし、こんな所を走れるほどあまり器用じゃ―――――」
男の静止の声を無視したレイラは自身の腰に提げたカンテラに明かりを灯し、真っ直ぐに駆けて行く。
一歩一歩、足を突く瓦一つ一つを見極めながらレイラは全速力で駆けて行く。
本来、人が走ることなど想定していない瓦張りの屋根は悪路など言う言葉も生温い場所。慣れた者でもそうそう走ろうと思うものは少ないだろう。
しかもバルセットの家々は限られた面積で多くの人が暮らせるようにと三階、四階建ての長屋が主流であり、文字通り踏み出す一歩を誤れば地面と熱い抱擁を交わし、柘榴のように血を地面にぶちまける高さがある。
そんな危険は承知の上でレイラが走るのは自身の馬鹿馬鹿しい失態――例え責められることがなくても――を取り返さねば成らないと言う矜持と打算故だった。
まさか人違いで見当外れな場所で無駄なことをしていて、挙げ句下手人を逃してしまったとなればレイラの面子は丸潰れだ。
しかも一度として依頼を失敗してこなかったレイラの失態を産んだ理由がただの人違いだったなど、笑い話にも成らないとレイラは吐き捨てる。
ただでさえ悪い足元に加え、夜の闇と雨で滑りやすくなった屋根に何度か足を取られつつ、時に体重移動で態勢を保ち、時にあえて倒れ込んで一から立て直すこと数度。
やっとの思いで警笛の鳴らされた路地にレイラが飛び込むと既に多くの人間が集まっていた。
松明を掲げて俯く複数の衛兵、被害者らしき女性を抱き抱えながらも喚いている男の冒険者、そして彼らからやや離れた所で小さな体躯を抑えつけた百足の下肢を持つ亜人種がいた。
着地の音に反応して何人かが剣に手を伸ばすが、レイラの顔を知る衛兵が居たらしく直ぐに静止の声が掛かった。
「彼女が新しい犠牲者?」
「……あぁ。今回の件で中央の連中が協力を要請した冒険者の一人だ」
犯人捕縛には北門詰め所の衛兵も駆り出されているらしく、顔馴染みの衛兵に声を掛けると直ぐに答えは返ってくるが何処か歯切れが悪い。
そんな衛兵がふと向けた視線の先には中央衛兵を示す黒い帯をした衛兵たちと、被害者の遺体を抱き締める狼人の冒険者。
どういう訳か訝しんでいると、答えは直ぐに彼らの口から紡がれた。
「だから最初に断ったんだっ!!コイツはまだ依頼を受けられる実力はないって!! それでもアンタらが脅してくるからコイツは仕方なく受けたんだぞ!!なのに、なんでッ……」
「…………」
「何とか言ったらどうなんだよ!!」
「……すまない」
「ッ!! そもそもアンタらが変な意地張って俺らの邪魔しなきゃ俺たちでコイツを守れたんだッ!!なにがこれは衛兵の仕事だから引っ込んでろだッ!? 女一人守れない役立たず共がッ!!」
「………………」
どうやらレイラの他にもレイラと同じように依頼を受けた女冒険者はいるようだったが、彼女たちはレイラのように穏便に依頼を持ちかけられた訳ではなさそうだ。
これは面倒なことになったとレイラは溜め息を吐く。
冒険者の付き合いは狭いようで広く、浅いようで深いものが多い。
人は群れを作らずには生きられず、群れが出来れば中から群れを率いる力のある者が現れ、弱者は強者の庇護と力を振るう権利を得る代わりに金品を献上する関係が自然と生まれるのだ。
自由を標榜する冒険者も変わらず――というよりもレイラや"羊の踊る丘亭"を利用する冒険者たちのように群れを嫌う者の方が少数派なのだ――群れを作り、バルセット近辺では彼らを徒党と呼んでいる。
蒼白い顔色で精気を感じない"物"に成り下がった女冒険者も、泣き叫び今も衛兵たちに罵詈雑言を浴びせている狼人の冒険者にも見覚えがあった。
過去に何度か隊商の護衛で同道した事がある程度の接点だが、その時の会話の中で彼らも徒党に属していると語っていた。そしてレイラの記憶が確かならばその徒党はバルセットの中でも中堅所に位置しており、所属している冒険者の数も比較的多い。
そんな徒党から犠牲者が出てしまっては最早事件の隠匿は不可能だ。仲間の敵討ちもそうだが、彼らも面子を潰されたに等しいのだから血眼になって下手人探しに乗り出すだろう。
なんでそんな面倒な手合いに依頼を持ちかけたのかと頭を抱えたくなるレイラだったが、中央の衛兵たちは今晩で事件を解決して犠牲者を出すつもりはなかったのだろう。
それがただの過信でしかなかった事実は脇に追いやり、面倒に巻き込まれるのは御免とばかりにその場を離れたレイラは改めて周囲を見渡した。
狼人の罵声を黙って受ける中央と北区の衛兵、そして百足の下肢を持つ女――――地下水路事件の際に知己となった百足人のニナがこの場には居た。。
ニナの傍らにも衛兵はいるが、その衛兵たちは接点が殆どない南区担当の衛兵たちであり、今はさっきまでニナが抑え込んでいた少年を取り囲んでいた。
此方もどこかぴりぴりとした雰囲気を纏っているため今の彼らに近付くのは悪手だろうと判断し、所在なさげに子供を取り囲む衛兵たちを見ているニナに声を掛けることにした。
「久しぶりね、ニナ。前に会ったのは何か月も前だったかしら?」
「え?あ、レイラ、久しぶり――って、アナタ怪我してるじゃない!? もしかしてレイラも犯人に襲われたの?!」
「あぁ、いいえ、この怪我は気にしないで。今回の件とは関係ないし、これぐらいなら何ともないから」
「そんな怪我して関係ないって、一体なにがあったのよ……」
ここ数年で初めて出会った時よりも流暢に喋れるようになったニナとは友人と呼べる程度には仲が深まっているが、お互い冒険者として活動していたためここ数ヶ月は顔を合わせては居なかった。
そのためか、ニナのこの反応を受けて懐かしいなと思いながらレイラは持ってきていた賦活の魔法薬を口にする。
「そう言えば、貴女は人種じゃないのに依頼の要請があったの?」
「え、あぁ、うん。ほら、私なら屋根の上を素早く移動できるから何処かでなにかあったも直ぐに駆け付けられるからって」
「なるほど。それで貴女が異常を感じて此処に駆け付けてみれば遺体を発見、警笛を鳴らしたのね?」
「そうそう。誰かの悲鳴が聞こえて来たんだけど、そのときあの子が死体の近くで尻もちツイててね。事情を聞こうとしたら逃げようとしたから取り押さえたんだけど、話を聞く前に衛兵が来て今はあの状態ってわけ。あの人たち、ここに来るなり状況を聞き出すとお礼の一言もなしにああなんだもん。まったく、失礼しちゃう!!」
レイラが魔法薬の味に顔を顰めている間も構わず喋り続けていたニナが最後に可愛らしく頬を膨らませる。
ここ数年で大分大人びた顔立ちに成長したニナだったが、未だに仕草の端々に少女らしさが抜けない様子に苦笑いを浮かべて慰めるように頭を撫でてやるレイラ。
年上で、百足人なのに猫頭人のように喉を鳴らして頭を擦り寄せてくるニナに苦笑いを深め、レイラはニナが満足してやるまで頭を撫でてやることにした。
「ハァ、ハァ……街に不慣れな人間を置いて行かないでもらいたいものだネ。お陰で随分と道に迷ってしまったヨ」
緊迫した雰囲気に構わず二人が和んでいると、額を汗なのか雨粒なのか分からないぐらい濡らした男が路地の奥より現れる。不満げな顔をみつけて男の存在を思い出してレイラと、軽薄な男の登場にニナは警戒心を露わにした。
「誰あれ、レイラの知り合い?」
「いいえ、まったく。ただの不審者よ、衛兵に突き出しましょう」
「えッ?! いや、さっきの件は本当に済まなかったとは思っているんだヨ! でもお嬢さんも勘違いしていたんだからお互い様だと私は思うんだがネ?!」
一気に胡乱な目になったニナと慌てたような態度で否定する男。しかし男の軽薄な態度のせいでニナの不信感は更に大きくなったようで、丁度目の前にいるからと衛兵に突き出そうとするニナを引き留める。
「冗談よ、ニナ。初対面なのは否定しないけどね」
「そうなの?」
「えぇ。だから衛兵に突き出すのは止めてあげて」
「まぁ、レイラがそういうなら……」
そっとニナを背に隠しながら前に出たレイラは、恭しく腰を折る。
「さっきは勘違いしてごめんなさい。この街で"羊の踊る丘亭"を拠点に冒険者をしてるレイラ・フォレットよ。御覧の通り、あそこにいたのは衛兵の依頼を受けて囮役をしていたの」
「いやいや、私の方も先程は失礼したネ。私はヴィクトール・ガルメンディア、昨日この街に着いたばかりのしがない魔術師兼錬金術師だヨ。気軽にヴィクちゃんって呼んでネ」
ヴィクトールからパチりと音がしそうなウィンクが贈られる。
それに直撃したニナとレリアはうわぁ…と声を漏らして眉を顰め、お互いに顔を見合わせる。
老紳士然としたヴィクトールの風貌故、本来なら茶目っ気のある仕草も様になるのだが、どこか軽薄さが滲む雰囲気が勝って胡散臭さが極まっていた。
「……やっぱり、衛兵に突き出そうかしら」
「……私もその方が良いと思う」
幸い二人の囁きは本人に届くことはなかったが、色々と濃い人物と奇妙な縁が出来たことにレイラは頭痛を覚えるのだった。




