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その者、化けの皮につき――  作者: 星空カナタ
三章 その動乱、始まりにつき――
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9 その事件、噂につき――

 

 ゴンドルフが火造り箸を引っ張れば柄は伸び、捩じれば曲がり、力を籠めれば凹む。

 両手の火造り箸を巧みに使って棒状だった柄が形を変えていくさまは、まるで飴細工を作る職人の妙技を見ているようで興味深げにしているレイラ。

 そんなレイラの様子など視界にすら入っていないのか、ゴンドルフは黙々と手を動かして柄の形を変えていく。

 火の入れられた鍛冶炉で炭の燃える音、ゴンドルフが火造り箸を開閉するたびに微かに聞こえる擦れる音。それらを聞きながらレイラが静かに作業を見ていると、それほど時間も掛からずゴンドルフの手が止まる。


「ヨシ、もう魔力を流すの止めていいぞ」


 ゴンドルフの声に促されて流していた魔力をレイラが止めると、柄の輝きが瞬く間に収まっていく。そして光が収まったお陰で形を変えた柄の全貌が明らかとなった。

 色味や木目の形は以前と大差ない。それ以外は大きく変わっていた、ように見えた。

 しかし詳しく見ようとする前にゴンドルフに柄を取り上げられる。

 少し残念な風に口を尖らせるレイラを無視して薬液で濡れた柄を綺麗に洗ったゴンドルフが柄を差し出してくる。


「まだ斧頭は付けちゃいねーが、一先ず握りや長さを確かめてみてくれ」


 ゴンドルフから柄を受け取り、今度こそ柄を観察するレイラ。

 最初に観察した通り色味などに変化は見られない。

 しかし金属と見紛うほどに硬質なはずの朱殷檀がものの見事に形を変えていた。

 僅かに湾曲しただけだった柄は大きなS字を描き、二つの弧を描いておきながら全長は以前より長く、引き延ばされた分だけ柄は細くなっている。

 まるで初めからこの形に削り出された物であるかのように歪さはなく、形を大きく変えていながら朱殷檀の硬質さにも変化は見られない。


 ただし握りはあまりに細くなり過ぎた。


 レイラの握る柄は元々四年前のレイラの手の大きさに合わせて作られたものであり、今ではそこから引き延ばされたせいで柄の持ち手部分は更に細くなり、体は見違えるほど大きく成長したレイラにとって細すぎた。

 握れないことはないが全力で振るうには物足りず、また余計な力が入るせいで素振りをしてもぎこちなさが拭えない。まだ斧頭が付いていないため問題はないが、先端が重くなれば手からすっぽ抜ける可能性も否定できない。


「……長さは丁度いいけれど、少し細いかしら。柄だけだから何とも言えないけど、ちょっと頼りないわね」

「ま、だろうな。ちょいと調整の準備すっから少し待ってな」


 こうなることは分かっていたのか、レイラの率直で遠慮のない答えにも動じなかったゴンドルフは柄を握るレイラの手を観察し始める。そしてレイラの手から柄をするりと抜き取ると、傍らに用意していたノミで柄を削り始める。

 ただでさえ細い柄を削ってどうするのかと思いつつも、ゴンドルフの迷いのない動きからしっかりとした意図があるのだと判断して何も口にすることはなかった。

 真剣に作業するゴンドルフの邪魔にならぬように一歩引いて様子を見ることにしたレイラだったが、背後に人の気配を感じて振り返る。


「あの、レイラさんは黒茶がお好きでしたよね?」

「あら、わざわざ煎れてきてくれたの?」


 振り返った先には先程ゴンドルフに追い出された少年――名前は確かアルトだったか――が盆にカップを乗せて工房に入ってくるところだった。

 火が入れられた鍛冶炉があり、室温が高くなっている工房に居ることに気を使ってくれたのか、アルトが持ってきたカップは僅かに結露し氷の浮いた黒茶が入っていた。


「そう言えばここに来るまで巡回の衛兵の数も多かったし、職人街の人たちが妙に殺気立ってたけど、何かあったの?」


 からりと氷が転がる音を立てるカップを受け取りつつ、手近にあった椅子に腰かけてレイラはさも今思い出したかのように気になっていたことを問いかける。

 それに対して少年は困ったような表情をしてから盆を抱え込み、うーんと唸りながら考え込んでしまう。


「別に答えにくいことなら無理に言わなくても良いわよ?」

「……確かに組合長から軽く口止めされてはいるんですけど、レイラさんにならいっかな」


 迷いながらも答えるという結論に至った少年の様子を認め、レイラは表情を一切変えずに内心でほくそ笑む。

 開拓村時代にもあったが、やはりレイラの容姿は胸がなくとも男心を擽るのに優れているのだろう。

 それに加えてここ数年で築き上げた信頼関係も合わせれば、多少の便宜を引き出すのも容易になっているのだと改めて確認できただけでも十分な収穫だ。


「……実は二日ほど前に釘職人の奥さんが殺されたんです」

「殺人事件ってこと? でもそれにしては随分と物々しかったと思うのだけど」

「どうも数ヶ月前から似たような事件が第三市街区でも何件か起きてたらしくて、それが第二市街区にまで及んだってなって、衛兵が血眼になってるらしいですよ」


 第三市街区と言えばバルセット城塞都市にある三つの市壁の内、最も外側の防壁とその内側にある二つ目の市壁に挟まれた区域であり、大通りに面した場所を除けば比較的貧しい者たちが暮らす場所である。


 そしてこの地を治めるものからすれば貧しさゆえに収める税の少ない者たちを気遣う理由はなく、多少治安が悪くとも気にかけることはない。

 そのため第三市街区でいくら人が死のうが形だけの捜査だけで放置されるのだが、そうして放置されていた事件が第二市街区に暮らす者へ及んだとなれば話は変わってくる。


 第二市街区の住人は三世代以上もバルセットに暮らす者たちであり、経済の中核を担う者たちでもある。


 いくら階級社会であり、明確に貴種と平民の間に隔たりがあるとはいえ、第二市街区民の不満は貴種と言えど無視しえない。その上、彼らに不安が広がって経済が落ち込めば、それだけでバルセットには痛手となりえるのだ。

 更に真っ当に統治している第二市街区の治安が悪化するのは領主の威信にも関わるため、事件解決に向けて衛兵たちが本腰を入れるのも納得できる。


 しかしと、それらの事情を加味しても厳重すぎる様子に引っかかるものを覚えるレイラだったが、その答えは直ぐに示された。


「……あと、これは此処だけの話にして欲しいんですけど、殺された奥さんは全身の血を抜かれてたらしくて、犯人は〝吸血鬼〟なんじゃないかって噂になってるんですよ」

「〝吸血鬼〟、ねぇ……」


 少年の答えにレイラは得心がいった。

 〝吸血鬼〟といえば、蛮族(ベイベロン)に類される不死者(イモータル)の中にあっても最高位に位置する存在だ。


 それこそ、発達した文明をたった一人で亡ぼせる存在になりえるほどに。


 ただそんな高位の蛮族が簡単に姿を見せるはずもなく、また高位の蛮族であるだけに陽光結晶の設置されたバルセットに入り込めるはずもない。

 とは言え吸血鬼が入り込んだと市井の間で噂が広まればその影響はバルセット内だけに留まらず、北方にて蛮族の侵攻を防ぐ役割を担っている北方砦群や開拓の最前線にも影響が出るだろう。

 なにせバルセットは北方砦群の補給の要であり、流通の要所なのだから。


 また噂が真実であった場合はそれはそれで問題だ。

 なにせ人族に安息をもたらす陽光結晶を破る術を蛮族が手にした事になり、事と次第によっては全世界に問題が波及することになる。

 噂の真偽に関係なく緘口令が敷かれ、衛兵の巡回が厳とされるのも頷けるというもの。


「おい、なにそこでくっちゃべってんだ。準備が終ったからこっちにこい」


 ただやはりと言うべきか、ことこれほどの問題となれば一市民のレイラの関わることではなく、これ以上関わるべきことでもない。

 そんな風に結論を出したレイラの耳にゴンドルフの野太い声が届く。見やればゴンドルフは手にしていたノミを傍らに置き、今か今かと言わんばかりの表情で自分たちの方へ顔を向けていた。


 下手に待たせれば気難しいゴンドルフが火山のように噴火するのが目に見えているため、レイラは手にしていたカップを空にして少年へと返すのだった。

 そしてちょっとしたことを思い付き、少年の耳元に顔を寄せる。


「さっきの話はちゃんと私の胸に秘めておくわね。これは二人だけの秘密よ?」


 人差し指を唇に当て、茶目っ気まじりの流し目を一つ贈る。

 直後、茹蛸のように真っ赤に染まる少年の顔を見て年頃の男子はチョロいなと思うレイラだった。


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