50 その交渉、岐路につき――
空に浮かぶ蒼と朱の双月が分厚い雲に隠され、足元すら危うい中を歩く。
先を行く近衛が小さな光球を浮かべてくれているお陰で歩けているものの、カリストリスは不安定な足元に時折躓きながらも足を止める事なく歩き続ける。
「もう間も無くです。お身体の方は問題ありませんか?」
「大丈夫だ」
気遣わしげに振り返ってくるヴァレラルに返し、カリストリスは前を向く。
視線の先には神聖皇国へと繋がる交易用街道の途中にある宿場町――――その中でも一等建て構えの立派な旅籠屋であった。
王族や高位の貴種が使うにはやや心許ないが、豪商や貴種のお忍びであれば十分に役割を担える程度には立派な旅籠屋。
そんな旅籠屋の裏手から近づいたカリストリスたちは唯一灯りが漏れる部屋を見上げる。
「旅籠屋は事前に全室借り上げておりますが、念の為私達から離れぬようお願いいたします」
冬が目前となって肌を刺すような寒気が立ち込めるものの、それでも慣れぬ動きに額に汗を浮かべていたカリストリスとヴァレラルが落ち着くのを見計らって近衛の騎士が言う。
本来、王族が宿場町を利用するとなれば旅籠屋一棟を借り上げるだけでなく、周辺に配下の騎士や侍従を配して万全の安全と出迎えるための準備を行うのが慣例だ。
だが、今回それは行っていない。
そもそもこの場にカリストリスが居るのを知っているのはごく限られた人間だけであり、公式にはこの場には存在しない事になってる。
わざわざ精巧な影武者を用意し、正常な手順と安全を引き換えに密やかに宿場町へとやってきた理由はただ一つ。
腕が立ち、信の置ける冒険者を説得するため。
それも怒らせては不味いにも関わらず、激怒させてしまった冒険者を説得し、協力を取り付けるために来たのだ。
間も無くその重い交渉だとカリストリスが身構えている中、護衛の近衛二人とカリストリス、そしてヴァレラルの四人は旅籠屋の裏口へと到着する。
「ッ!!」
「……どうし――――」
「御下がり下さい!!」
しかし後は一室で待っているだろうレイラ達の元に向かうだけだというのに、前を歩いていた騎士が裏口の扉に手をかけた途端にその動きを止めた。
直後、背後を護っていた騎士がいつの間にかカリストリスの眼前に現れる。よくよく見やれば、その騎士は腰に提げた剣に手を掛け既に鯉口を切っていた。
その段になって漸く異常を認識したカリストリスは、更にヴァレラルに庇われる形で騎士達から距離を取る。
「どうした!!もしや罠か?!」
「……いや、違う。ただ――――」
「ただ、なんだ!!」
額に冷や汗を浮かべ、明らかに尋常な様子ではない先頭の騎士へ剣に手を掛けた騎士は声を荒立て殺気立つ。
ただ扉に手を掛けた騎士は同僚を見もせず、真剣な目をカリストリスへと向けた。
「……カリストリス殿下、本当に件の冒険者に会わねばならないのですか?日や場を改める事はできませぬか?」
「なぜそなたが斯様な事を聞く?この時の為に影武者を用立て、目立たぬよう信のおける貴公らのみを連れて来たのだ。この件は後の政争は疎か、国の行末にも関わる重大事。欠かす事はできぬ」
「……分かりました。ですが差出口かと思いますがご忠告を一つ」
「申せ」
「ハッ。此処より先、言葉一つが命の灯火を奪う死地と思い下さい。我らは命を賭す事に躊躇いは御座いませぬが、この先で御身を御守りできる保証はできませぬ」
振るわれてきた暗刀から幾度となくカリストリスを護ってきた護衛騎士の言葉に訝しむ間もなく、騎士が扉を僅かに開いただけでカリストリスは彼の言葉の意味を理解した。
理解せざるを得なかった。
開かれた扉の隙間より溢れ出るは、全身を凍て付かせるほどの寒気。
それは純然たる殺気。
熱を持って流れる血潮を氷に置き換えたかのように身体を凍て付かせ、針の筵に身を投じたが如き痛みすら錯覚させる研ぎ澄まされた殺気。
それは憤怒の感情。
突き抜けていく鮮烈な烈火の怒りではなく、決して消えることの無い永劫を思わせる何処までも昏い怒り。
毒気のように地面を這い、影のように足にまとわり付いてくる様を幻視するほど濃縮された負の感情。
冷徹なれど存外激情家も多いクゥイスラ王国では滅多に浴びることのない、重く静かな気配に誰もが息を飲む。
カリストリスもこの一年で多くの修羅場を潜り、喉元まで刃が迫った事も一度や二度ではない。故に武勇に秀でた才を持たぬカリストリスも気付く事ができた。
近衛の騎士が此処より先が死地と言った理由も、そして生きた心地を与えぬ気配が密殺者や貴種が設けた罠では無いことも。
密殺者が放つにはあまりにあからさまに過ぎ、貴族が巡らす罠にしてはあまりに存在感が強過ぎる。
そんな気配を漏らす大本など考えるまでもない。
在野にあってはならぬほどの実力を持ち、勝ち目の見えなかった魔人へ臆する事なく挑める狂気にどっぷりと漬かった堅固な意志を持つ者。
その身を顧みずに自身を護ってくれた人物に、今度は自分が敵意を向けられている事実にカリストリは一瞬で枯れ果てた喉を鳴らす。
それでもカリストリスは臆する事なく歩を進める。
例え二人の護衛騎士が酷い緊張に油汗を浮かべ、身体を小刻みに震わせていようとカリストリスは進むしかないのだ。
こうなる可能性を理解し、セララリルに何度も再考を促されても依頼の最中にいるレイラを呼び付けると決めたのはカリストリス本人なのだから。
護衛騎士とヴァレラルには悪いことをしたとカリストリスは今更ながらに思う。
武に優れぬカリストリスですら足が竦みそうになるのだから、自分に忠誠を誓ってくれた騎士の中でも指折りの実力を持つ護衛騎士にとって、レイラが臆面もなく垂れ流す殺気の中へと進むのは生きた心地がしないだろう。
レイラの危険性を訴え、セララリルと共に強く反対していたヴァレラルにとってもこの場は下手な戦場よりも死を間近に感じさせる場所に違いない。
それでも、それでもカリストリスは進まねばならなかった。
血に染まる道を進むと決めたあの夜。
成さぬ未来と成した未来を天秤に掛け、自分と自分の為に命を賭した者達に恥じぬ未来を掴むのだと決めたあの時の覚悟を違えぬように。
レイラの殺気を感じ取れていないらしい店主がわざとらしく顔を背けているのを横目に、騎士の先導でカリストリス達は二階へと上がる。
そして目的の部屋へと辿り着いた騎士は無言で振り返り、カリストリスは重々しく頷き返す。
「どうぞ。鍵は開いてるわ」
応えを問うノックに返されたのは感情を感じさせない平坦な女の声。
濃密な気配に比すればあまりに軽い調子に聞こえてしまう声は、カリストリス達に自分達が感じ取っている殺気が勘違いなのではないかと錯覚させる。
しかし意を決した騎士が扉を開ければ、叩き付けられるのは無情な現実。
宿の外に漏れ出ていたものと比すのも烏滸がましい、息すら忘れてしまいかねない強烈な殺気が一気に溢れ出る。
「――ッ!!」
本能的に剣へ手が伸びそうになるのを幼少から叩き込まれた礼節で抑え付け、砕け散った理性を必死に掻き集めて最低限の体裁を保つ護衛達。
そして一呼吸と共に部屋の主の姿を認め、しかし隠しきれない硬い表情を浮かべて廊下で待つカリストリスへ道を開ける。
貴種が定宿として利用する事もあるだけに、件の冒険者が居るのは豪奢な内装の一室だった。
普段ならば目の肥えた貴種を満足させ、休息を齎すその一室は今だけはその役目を一切果たすことができていなかった。
たった一人。
部屋の中央に置かれた長椅子の一つを占領し、まるで自分がこの場の主であると言わんばかりに肘掛けに身を預けた一人の女によって。
「お久しぶりね。アウシュビッツ男爵令息――――いえ、ここはカリストリス第二王子殿下と呼ぶべきかしら?」
不遜にも煙管から紫煙を立ち昇らせ、だらけた姿勢で出迎えたレイラを咎める声はない。
この場にいる誰もが理解していたのだ。
目の前の女が、武器も持たぬ者が自分達の命を容易に刈り取ることができる存在であると言うことを。
「……好きに呼ぶと良い。此処にそなたの身分を問うものはいない」
「そう。では殿下とだけ呼ばせて貰うわ。で、そこにずっと立たれていても目障りだわ。話をしたければそちらにどうぞ」
レイラが煙管で指し示した対面の長椅子へヴァレラルと共に向かい、カリストリスは護衛の騎士に視線だけで退席を促す。
ただ、首輪のない魔獣のいる部屋に主君を置いて離れる騎士など存在しない。相手が微塵も殺気を収めようとはせず、人の命に手を掛けること厭わない相手となれば尚更だろう。
しかしカリストリスは彼等の意志も、自身が危険に身を晒す行為自体に問題があると分かっていても、彼等の主張を認めることはできない。
護衛を排し、敵対はおろか抵抗する気もない事をレイラに示し、誠意を見せねばレイラが交渉の卓を蹴り飛ばすのが容易に想像できるからだ。
ほんの数秒見つめ合うカリストリスと近衛たち。
しかし結局決して譲るわけにいかないカリストリスの硬い意志に騎士達が折れ、扉を開け放って何時でも瞬時に部屋へと入れるようにする事で妥協がなされた。
「…………」
此処へ来るだけで既に疲労は極限にまで達しようとしていたが、残念な事にここ迄はまだ交渉の前段階ですらない。
カリストリスにとっての本番は怒れる竜種を宥め、如何にその恐ろしい存在に協力を取り付けるかである。
つまりここからが本番であり、ここからが本当の死地であった。
そしてレイラについて知り、また知る者から受けた助言を基に考えた結果、カリストリスの中でレイラへの対応方針は既に決まっていた。
単刀直入。
嘘や誤魔化し、迂遠な言い回しや言葉の修飾などは徹底的に排し、ただ素直に率直に目的を告げて助力を乞う。
それが最低限になさねばならぬ事であり、少なくとも今以上に不況を買うことだけは避けられると、王位を目指すものとしてカリストリスが積み上げてきた経験が告げていた。
「レラステア聖皇国が召喚した勇者。それを殺して欲しい」
そしてカリストリスの選択の結果が功を奏したのかどうかはレイラ本人にしか分からず、相席しているヴァレラルにも対面のカリストリスにも分からない。
ただ少なくともレイラの関心を惹き、誤差のような範囲ではあるが殺気がわずかに治まった事だけは確かだった。
5章は終わりと言ったな、あれは嘘じゃ。
ホントはここで終わりじゃ
訳:6章の冒頭より5章最後の方がまとまりが良い気がしたのでこちらを先に投稿します。お読み間違えにご注意ください
また、最終話追加に伴い5章49話から此方にレイラのステータスを移動しましたのでご注意ください。
では恒例の「もしもステータスがあったなら]
《5章完結時》
レイラ・フォレット
【HP】100(種族最大値)
【MP】760
【SP】400
【一般技能】
身体強化:lv.45
武器強化:lv.40
魔力撃:lv.25
思考加速:lv.38
並列思考:lv.22
魔力感知:lv.30
戦場闘法:lv.10
痛覚鈍化:lv.30
隠密:lv.30
狩猟:lv.23
基礎魔術:lv.10
応用魔術:lv.5
宮廷作法:lv.20
魔力圧縮:lv.3
【特殊スキル】
・死出の衣
・殺人鬼
・天稟
・鈍する者
・潜む者
・偽る者
・観察眼
・俯瞰眼
・魔力撃
・魔力圧縮【new】
自己の魔力を圧縮し、その質を向上させる事で実質的にその魔力量を向上させる技法。(MP×魔力圧縮lv)
膨大な量の魔力を必要とする魔導師の必須技能。しかし魔力の圧縮には苦痛にを伴い、それを耐える精神力と体内を流れる魔力を知覚する才を要する。
そのため魔導師となるために最初に立ちふさがる関門とされている。
・戦場闘法【new】
5つ以上の戦技、2つ以上の武術をlv.30以上とする事で獲得し、所持している戦技や武術を改変して使用できる他、未習得の物は戦いの中で効率よく習得できるようにするスキル。
戦場には作法などなく、使える武器が必ずしも使い慣れた物とは限らない。故に戦場で生き残る者は得てしてあらゆる武器や技を持つに至るのだ。
【習得魔術】
・尖塔の瞳【new】
使用者の頭上に不可視の観測点を創り出し、効果範囲内の物理的な観測を行い使用者の脳に描き出す。
ただし人が視界から得る情報量より複雑、かつ膨大なためなんの準備なしに発動すると処理しきれない情報は脳に多大な負荷を与え、最悪の場合脳の生理機能が破損する。
・騙転遊戯【new】
使用者の魔力を楔とし、楔と使用者の位置を入れ替える未完成の魔術。
楔の魔力が足りぬ場合、使用者は転移の際に別の地、ないし次元の狭間や虚空へと転移してしまう可能性がある。
・擬似並列思考【new】
一般普及魔術。
擬似的な思考を創り出し、簡易的な演算や情報処理を行う魔術。
自己の認識が並列化した数だけ偏在・散逸して廃人化するリスクが高まる為、適正の無い者は二つ以上の並列化は慎むように。
【称号/二つ名】
・赫の狼(知名度+30、名声+20、悪名+20)
・陽光の防人(知名度+5、名声+5)
・貴族の先兵(知名度+10)
・魔人狩り(名声+5)
・王族の知己(名声+5)
【主要装備】
頭 部:朱暗檀の面当
上半身:刀角鹿のプレート付き軟革鎧(防護点20、耐打撃+1、耐斬撃+3)
下半身:鎧蛾のたっつき袴(防護点10、耐打撃+2、耐斬撃+2)
手・脚:緋彩鋼の小具足(防護点15、耐打撃+5、耐斬撃+5、移動速度-2、隠密性-2)
武 器:水晶多刃〝飢渇禍蟲〟
形態①:双剣〝肉喰イ〟
特殊効果:???
形態②:双頭槍〝血啜リ〟
特殊効果:???
形態③:???
特殊効果:???
その他:
・疾風の首飾り
・霞の身衣
・琥珀の起点具




