閑話 ラレッテの受難①
この閑話はレイラがバルセットへ着くまでの別人物からの視点になります。
ラレッテはいたって普通の人間だった。
生まれは小さな開拓村。
一人の兄と、やや年の離れた小さい弟と妹が一人ずつ。
裕福ではないが、貧乏と言われない程度の農家。
大きな幸福はないが、大きな不幸もない平凡な人生。
退屈ともいえる人生だったが、刺激を求めないラレッテのような人間には十分満足できる人生だった。
そんな平凡な人生に、転換点ともいえる出来事が起きた。
始まりは村を襲った害虫による食害だった。
なんとか税を支払うだけの収穫は得られたが、村人全員を養う分の収穫は得られなかった。
ラレッテの家族も税分は得られたが、なんとかやりくりするものの年頃の弟たちを養う分の食料が足りなかった。
最初は弟たちを奴隷商に売るという話が進められていたが、ラレッテには可愛い弟と妹が悲しい人生を送るかもしれないという選択は許せなかった。
だから年頃であり、村の中でも顔の整っている方であると自負のあったラレッテは、自らをどこかの奉公に出す代わりに支援を受けられないかと願い出た。
最初は渋面を作っていた両親だったが、弟たちがまだ小さく労働力として期待できないため二束三文で買い叩かれると知ると、掌を返して奉公先を探してくれた。
そしてどこから聞きつけたのか、数多ある開拓村の中でも成功していると知られるフォール村の村長がラレッテを受け入れると名乗りを上げた。
農産物。
材木。
深淵と呼ばれる森から採れる希少品。
開拓村の中でも豊富に特産品があることで有名であり、村人の多くが裕福な生活を送っていると羨望の眼差しで見られている村長の名乗りに両親は諸手を挙げて喜んだ。
そして快諾の返事を送ってから四日後、迎えに来た小間使いに連れられフォール村へたどり着くと、確かにラレッテの村と比べるべくもなく整備されたフォール村の様相には圧倒された。
同じ開拓村とは思えないほど発展していたのだ。
村の中心を囲うようにして作られた石造りの長屋と、簡易ながらも大きな門。
防壁と家屋が一体になった壁を抜けると、しっかりと踏み固められ、歩きやすくなった村の中は町と見紛うほど整然と建てられた家々。
村の外にしても平地には一面の麦畑が広がり、東西には伐採用の家屋らしきものがいくつも見えた。
お上りさんのようにキョロキョロと村の様子に目移りしながら小間使いに案内されながら村長宅にたどり着くと、その家族に出迎えられる。
不遜な態度で値踏みするようにジロジロ見てくる息子。
痩せぎすで神経質そうな見た目の村長夫人。
やたらと装飾品を身に着け、豚かカエルかと見まごう恰幅をした村長本人。
正直、一目見た時からラレッテは奉公先を間違えたのではないかと後悔した。
そしてその後悔は正しかった。
出迎えられたその日の夜、ラレッテは村長に寝込みを襲われた。
訳も分からず、為されるままに好き勝手されたあと不満そうに出ていった村長を見送り、呆然としていると今度は村長の息子に蹂躙された。
女の身で奉公に出ると決めた時からある程度は覚悟していたが、初日で、しかも二人の男に乱暴されるとは思ってもいなかった。
それでも必死に涙を堪え、この村に馴染もうとしたが、村長一家は村人たちから煙たがられているようで、声を掛けようとしても避けられてしまった。
心が折れそうになりながらも必死に家事をこなし、夜を迎え、再び男二人に嬲られて涙を流しながら迎えた三日目。
過度の疲労と心労が祟り、昼近くまで寝坊してしまったラレッテが村長夫人になじられながら家事をこなしていると、村中に鐘の音が鳴り響いた。
訳も分からず右往左往していると、大慌てで戻ってきた村長はあろうことか村を捨てると言ってのけ、すぐさま荷造りを始めてしまった。
まさか村の長たる村長が村を捨てると宣言すること自体信じられなかったが、それでも新参者の自分が異を唱えることなどできるはずもなかった。
そして言われるがままに獣車に乗り、逃げる際にその持ち主が矢で射抜かれると言われるがまま、まだ生きていたその人を獣車の外に投げ捨てた。
一息つく間もなく、追撃の騎兵が放たれて絶望しかけていると今度は馬車に美少女が降ってきた。
「一昨日ぶりですね村長。その無駄にふくよかなお腹回りと、まったく似合っていない華美な装飾品たちが今日も素敵ですよ」
まだ幼さが残っていながら、妖艶さと若さゆえの花のような快活さを併せ持った少女は、その見た目に似合わない皮肉の言葉と仄暗い怜悧な眼差しを村長に向ける。
か弱そうな見た目に反し、少女は遨鬼が放った矢を易々と斬り落とし、私たちに爆走を続ける獣車から飛び降りろと宣った。
「―――でも、荷車の重量が減れば丸猪牛の走れる距離が少しでも伸びるかもしれないでしょう? あの遨鬼たちを何とかできればその後は体力を温存できるし、仮に丸猪牛が潰れても少しでも長く走ってくれれば、その分目的地までの道のりを楽できるとは思わない?」
反論する村長一家の前で当然とばかりに言い切る姿は見惚れてしまうほどに綺麗で、他意を一切感じさせない純粋な笑顔は少女が本気で言っているのだと悟るには十分だった。
そして一人、また一人と村長一家が殺され、ラレッテの番が目前に迫った時だった。
「気が変わったの。死にたくなかったら邪魔にならないように大人しくしてなさい。それとも私に殺されたい?」
感情のない、冷たい視線を向けられて否と言えるだろうか。
もしかしたら居るのかもしれないが、少なくともラレッテはその数少ない側の人間ではなかった。
何故斧を振り上げておいて気が変わったのかまではラレッテには分からなかったが、死なずに済むのなら理由などどうでもよかった。
獣車の隅で縮こまり、少女が追手を簡単に排除した後は言われるがまま苦労しながらも一人で狼の死体を獣車の外に投げ捨てた。
「……すぅ」
狼の流した血で服を盛大に汚しながらなんとか死体を処理し、息を切らせながら振り返ると、少女は縁に背を預けて小さく寝息を立てていた。
こうして寝息を立てている姿を見ると、村長一家を殺し、遨鬼すら容易く撃退して見せた人物には到底見えない。
しかし骨身に沁みてこの安らかな寝息を立てている少女が真っ当な少女でないことを理解している。
生き残った小間使いの男とラレッテはその後も終始無言だった。
お互い軽口を叩くほど親密ではなかったというのもあるが、まだ追手が来るかもしれないという恐怖。
なにより平気で人の命を奪う少女が目を覚ます原因が自分になる可能性が怖く、少しでも静かにしようと言葉を交わしたわけでもないのに二人して息を潜めることしかできなかった。




