46 その魔具、完成につき――
厄介な横槍も無くなり大手を振って娼館に通い、暇潰しに手頃な依頼を請けながら過ぎること一週間。
ミュンヘルから魔具が完成したとの知らせが届いたのはその頃だった。
「随分と予定より早いけれど…………貴方達、大丈夫?」
知らせを受け、工房を訪れたレイラ達を出迎えたのは目元に色濃い隈を刻んだミュンヘル夫妻だった。
ミュンヘルはあの興奮具合から分からなくもない姿だが、何故隣に立つブリニダも達成感に満ちた顔で目元に隈を作っているのか。
「その、滅多に手に入らない混魔の実を前に手が止まらなくて……」
「私もぉ、ついつい興が乗ってしまってぇ……」
どうやらブリニダはミュンヘルの魔具師としての腕に惹かれて弟子入りしてそのまま夫婦となったらしく、ブリニダも元を辿れば魔具師であり本来はミュンヘルの助手と言う立場であったらしい。
ミュンヘルの両親が亡くなり、冷や飯を食わされていた頃は糊口を凌ぐ為に宝飾とその店員をしていたが、この姿の方が正しいのだと言われてしまう。
しかし濃い隈が浮かぶほど魔具作りに没頭するなど破れ鍋に綴じ蓋とはこの事かと嘆息する。
争い事に無縁な人間があんな目に遭えば、普通ならば一月や二月は恐怖でまともな生活を送るのも難しくなるというのに。
それで困る訳では無いから構わないのだけれどと溜め息を吐き、意識を切り替えたレイラは本題に入ろうと提案する。
「……その、実はその事で伝えておくべきことがあって」
しかしレイラが完成品を見せてくれと言うと、ミュンヘル夫妻は達成感に満ちた物から困惑の色濃い表情へと変わる。
何か問題があったのかと問えば、曖昧な様子で首を振られる。
「魔具自体は完成してるんだ。ただ、その、魔人や特殊な個体の魔石を使ったからか、混魔の実を使ったからかは分からないんだけど、魔具が魔剣や妖刀の類になってしまったんじゃないかって思って」
「妖刀や魔剣?」
妖刀や魔剣の類の伝承はこの世界にも存在する。
盲だ愛を囁き、使用者を稀代の英雄へと仕立て上げたが最期は使用者の首を跳ねるルインブリンガーの魔剣や、聖者の生き血で鍛えられた妖刀シュトリッヒは山をも斬り裂く切れ味をもたらす代わりに所持者の精神を汚染した。
それらは今は所在は不明で、文献も散逸してしなって見付ける手立ては皆無だが、時代と共に変節した英雄詩と神殿に残された僅かばかりの資料が彼等が実在した物だと裏付けている。
そんな曰く付きの代物程ではないのしろ、ミュンヘル達はそれに類する物に出来上がってしまったという。
「コレが妖刀や魔剣の類、ねぇ」
差し出された白絹の包みを捲れば、顕になったのは二本の黒い柄のようなもの。
両の太腿に着ける為のベルトに納められた魔具を取り出すレイラ。
工房の光源へと翳し、その全容を認めたレイラは首を傾げる。
黒い樹脂のように滑らかな艶のないそれには、それぞれに紫紺と橙色の線が走り、幾何学模様に見える術式が彫り込まれている。
左右何方の手に持っても馴染むその棒状の物を手にしてみても、多少禍々しさはあるが魔剣や妖刀の類には思えなかった。
「その、オリジナルの魔具は使用者が最初に起動するっていう仕来りから断言できないんだけど、完成したか確認するために魔力を流したんだ、そしたら……」
「えぇ、まるで強い思念が流れ込んできてぇ、思考を乗っ取られそうになったのぉ……」
保護用の器具を通して魔力を注いでいたお陰で取り込まれずに済んだものの、直接魔力を注いでいたらどうなっていたことか。
そう嘆息する夫婦にレイラは再び魔具へと視線を注ぐ。
強い思念が流れ込むと言うのが本当であれば、恐らくは魔具に使われた魔石が原因であろうことは容易に分かる。
なにせ橙色の魔石は兎も角、紫紺の方はレイラと同じ達の質のメローナの物。それに加えてメローナはここ数百年は存在を確認されていない魔人である。
もしメローナが自分と同等の自我を持ち合わせていれば、例え魔石になろうと強固な自我が残っていたとて可笑しくはない。
現にレイラは前世の自我が幼気な少女の自我を飲み込み現世へと至っているのだから、自分以外にも違う形で自我を残していても可笑しくはあるまい。
そこまでレイラは考え、他人に意識を奪われる感覚とは一体どんなものだろうかと興味が湧いた。
「〝槌を振るわねば城は出来ず〟。考えた所で答えなんて見付からないわよね」
「え?!待ってください!!まだ保護器具の準備が――――」
案ずるより産むが易しに類する鉱鍛種の諺を引用するレイラに対し、咄嗟にミュンヘルが止めに入るが一歩遅かった。
ミュンヘルが手を伸ばすのを横目に躊躇いなく魔力を魔具へと注ぎ、反発するように手へと伝わる感覚をそれとなく感じながらレイラは自意識を自分の奥深くへと沈めてしまっていた。
「ふむ。ここは相変わらずね」
魔力を伸ばすための瞑想が日常と化し、最早見慣れたと言える上下の感覚すらあやふやになる深層心理へと到達したレイラは自分の姿を形作りながらゆっくりと底へと足を着ける。
自分と、そして何処かに潜んでいる残滓の残滓しかいない筈の暗闇を見渡すレイラ。
少し期待しすぎたか。
何処までも暗く、果てを見通す事もできない暗闇にレイラが嘆息し掛けた時、意識体のレイラの耳が聞き慣れない声を拾う。
最初は耳を澄ませても聴き取れぬ囁き声だった。
しかし時間と共に声は大きく――――否、一つ一つは小さくとも囁き声は膨大な数へと膨れ上がっていく。
十や二十では効かず、百にも登ろうかと言う囁きは津波が如くレイラの元へと押し寄せる。
レイラの思考を塗り潰すように、レイラの意思を染め上げるように。
殺せ。
男の声が囁やく。
喰らえ。
女の声がささめく。
啜れ。
子供の声が呟く。
天津を貶し、大海を平らげよ。
老人の声が耳打つ。
それらの声が示すのは殺意。
声に孕むは飢餓の嘆き。
何十、何百と言う思念が現実世界で魔具を握る両の手から精神の世界のレイラの両手を侵食してくる感覚が現れる。
「くだらない」
失望を隠しもせず、レイラは吐き捨てる。
耳を打つ音を煩わしく感じて顔を顰めつつも、周囲を見渡したレイラは徐ろに歩き出す。
灯り一つ、光の一条も届かない何処までも昏い精神世界の中で、レイラは確かな足取りで一つの場所へと向かう。
目的地など到底見えない。
しかしレイラはただ真っ直ぐに進み続ける。最も囁き声が大きく聞こえる場所に向かって。
そうして歩くこと暫し。
囁き声は強くなり続け今や大鐘の中に居るのと大差無い轟音の波となり、最早レイラの思考は纏まるものも纏まらなくなるほど乱される。
自分の思考なのか、囁く声達の意思なのかすらも曖昧に成りながら辿り着いたのは空虚な精神世界でぽつんと浮ぶ深紅の球体の基。
「ホント、下らない」
褪めた関心を表す無機質な瞳で球体を見下ろし、感覚の失せた指を無理矢理動かしながらレイラは球体を鷲掴む。
直後、球体は盛大に破裂して内部から大量の暗く淀んだ赤い液体が溢れ、生物の如く赤い液体はレイラの片腕に絡み付く。
更に液体の中から数多な小さな手が現れ、レイラの腕の身体を飲み込まんと上へ上へと這うように伸ばしていく。
しかしレイラが多量の魔力を絡み付かれた腕へと流せば、肩まで登っていた赤く濡れた手達は潰されながら押し返されていく。
殺せ、喰らえ、啜れ、全てを飲み込めとの声は囁き声から怒鳴るような声へと変わるが、それでも構わず――――いや、更に流す魔力の量を増やして腕に絡み付いた液体を押し返す。
そして手首より先へと押し返された液体は立ち所に球体へと戻され、逆に球体をレイラの魔力で染上げる。
「死人は死人らしく黙して語らず、武器は武器らしくただ使われていろ」
高まり続ける声達を無視しレイラが指に力を込めたその瞬間、球体は豪快な音を立てて砕け散る。
「自分の自我を保てず、他人と混ざる惰弱な愚図共が私を乗っ取ろうだなんて烏滸がましいにも程がある。残滓の残滓に成り果ててなお、魂にへばり付いてる小娘の方がまだ愉快だぞ」
波が引くように萎れ、流砂となって砕けた破片が空虚な暗闇に解けていくのを見届けたレイラは再び吐き捨てる。
ここ数日暇を持て余し、更には本物の少女以来の精神世界で〝彩〟を見る機会だと期待していればこの始末。期待外れにもど程があるとボヤキ、溜め息を吐きながら瞼を閉じる。
その時、レイラの思考に自分のものとは違う思考が流れ込んでくる。
〝飢渇禍蟲〟
まるで服従するかのように思念を送ってきた魔具へ始めから従っていろと吐き捨てながらゆっくりと瞼を開ければ、眼前にはヴィクトールを盾にするようにその背に隠れてレイラの様子を伺っているミュンヘル夫妻が目に入る。
「大丈夫、ですか?」
不安そうに問うてくるミュンヘルに、レイラは内心を隠して朗らかな笑み浮かべるのだった。




