45 その一幕、一変につき――
一睡にして一炊。
人の世は一炊の夢の如き速さで移り行く。
などと言われるものの、流石にこれは状況がうつろい過ぎるだろうとレイラは溜め息を吐く。
「まさか魔道具組合長が昨夜の内に捕縛されて、彼と癒着していた商会長も連座で捕縛。その時に出た証拠のお陰でミュンヘルへの不当な介入が明るみになって、商会の後継が謝罪と共に賠償と取引の正常化を表明、ねぇ……」
まさか千寄呪樹を討伐し、その後設けられた宴席から抜け出して一睡している間に周囲が一変し、自分にとって悪くない状況になっているとなればレイラも下手な夢を見ているのではないかと自身を疑いたくもなった。
しかし国王直下の近衛兵からの通達を受けたミュンヘル――――正確には彼の妻から聞かされたのだが――――からの情報のため、こちらを惑わすための策謀という線はかなり薄い。
それにレイラ自身、つい先ほど伝令の近衛兵から同じ通達を受け、ミュンヘルと同じく被害を被っていた事への補填について説明を受けているのだからミュンヘルの聞き間違いと言うこともない。
「ま、良かったじゃないかネ?おかげでミュンヘルは今後好きなように魔具を作れて、君は当初の予定通り求めていた魔具が手に入る。不満でもあるのかネ?」
ミュンヘルの工房にて嬉々として様々な魔具の設計図を書き連ねている工房の主を見つめつつ、ヴィクトールをチラリとみるレイラ。
しかし何を言うでもなく溜め息を吐き、再び忙しそうにしているミュンヘルへ目を向ける。
「別に不満は無いわよ?でも最近は自分にとって都合の悪い事ばかり起きてたから、つい疑い深くなってしまっているだけよ」
「なんだネ、とうとう自分の運の悪さを認める気になったのかネ?」
「その事を認めたつもりはないけれど、否定する気も無くなっただけよ」
今回の旅、そして騒動を経験してレイラの中で新たな方針が定められた。
それは面倒事があると分かれば、積極的に渦中に身を投じてなるべくその中心に近づくようにする、と言うもの。
面倒事を嫌い、極力は権力者の闘争とは距離を置くようにしていたレイラ。
しかし今回の旅でどれだけ面倒事から離れようとしても、権力者の胸先三寸でその逃避が無駄になるのだと思い知らされた。
そして渦中にいながら、事情の分からぬ立場に立つとただただ状況に振り回される事しか出来ぬと学んだ。
神聖皇国での襲撃然り、魔導具組合長による嫌がらせ然り。
望むと望まざると巻き込まれるのであれば、騒動の中心近くで状況を制御できる立場に立った方が、ただ振り回されるよりも遥かにマシであろう。
とはいえ、それはあくまでも苦肉の策。
面倒事さえなければのんびりとアルブドル大陸を巡り、襲ってくる馬鹿共の〝彩〟を合法的に見る生活を楽しむのだ。
しかしバルセットを治めるアルムグラード辺境伯に認知され、政争真っ只中の第二王子と友誼のあるレイラの元には面倒事ばかりが舞い込んでくる可能性は十分にある。
だからそういった時は、蚊帳の外に置かれぬようにせねばならぬ。
ただ巻き込まれるのとその中心にいるのとでは掛かる労力に大差はなかろうが、他人に振り回されるよりは不快さが違う。
「気が逸るのは分かるけれど、いい加減落ち着いて貰えないかしら?」
「この材料が手に入るならあれを――――え、ぁっ。レイラさん?!い、いつからそこに?!」
「四半刻は経っていないぐらいかしら。貴方が落ち着くのを待っていたのよ」
確認のために工房へとやって来たレイラ達に対し、今の今まで気付かずにいたミュンヘルが漸くレイラ達に目を向ける。
まだ興奮の残滓は残っているものの、少なくとも会話は成立するだろうと判断したレイラは嘆息しながら身体を預けていた壁から離れる。
「魔道具組合長の事は私も聞いているわ。だから確認したいのだけど、私の魔具は変わらず作って貰えると言うことで良いのよね?」
「え、あ、はい!!魔道具組合からは関係改善の為の提案がありまして、以前よりも仕事を回して貰える事にも成りましたが、今まで通り個人の依頼で一点物の魔具製作も請け負って良いとの事でした」
「そう。なら良かったわね」
「はい!!それでその、実は僕の方からもレイラさんに確認したい事がありまして……」
私に?と片眉を上げながら問えば、ミュンヘルの質問はゼタンダと交わした盟約に関する物であった。
そう言えばミュンヘルには話を通していなかったが、国王の裁可が居ると言う話であったためレイラの予想では少しばかり時間が掛かると思っていたのだ。
「それでその、近衛騎士の隊長殿がこの〝混魔の実〟と此方の一覧を置いて行かれたんですが、隊長殿のお話は本当なんですか?」
「えぇ、全て事実よ。しかし随分と動きが早いわね」
差し出された文字の書かれた紙を受け取りつつ、散らかっていた工房の机の中心で鎮座する紅玉色の球体に目を向ける。
合成魔獣が出てきた〝混魔の実〟は血を思わせる淀んだ赤であったが、どうやら中身が成長するまでは紅玉の原石のような鮮やかな深紅であるらしい。
大きさも人の頭より僅かに大きい程度で、ミュンヘルに言われるまではそれが〝混魔の実〟であるとは気付かなかった。
「ま、私の魔具製作に必要に使える物を好きなだけ請求すれば良いんじゃないかしら。素材に関しては詳しくないから、全部貴方に任せるわ」
「任せるって……」
「そう言う契約だから良いのよ。何なら少し位は貴方が欲しいと思った物も一緒に請求しなさいな」
未だ理解が及んでいないらしいミュンヘルに対し、ミュンヘル達と別れてからの出来事を掻い摘んで伝えるレイラ。
千寄呪樹の討伐に参加したこと。
その際に隊長と直接契約を結んだこと。
報酬に見合う働きはしたこと。
神託による介入があった事は伏せて大雑把に事実を伝えるものの、何処かミュンヘルは納得がいっていない様子。
それもそのはず。
本来、予定されていたはずの報酬は〝混魔の実〟と千寄呪樹から採れる魔具の素材だった。
しかしゼタンダが持ち込んできた一覧はそれだけに留まらず、千寄呪樹とは関係なさそうな素材まで書かれていたのだ。
恐らくだが、魔道具組合が起こした不祥事の補填、ないし魔導帝国が絡んでいるとは言え異国人を自国の問題に巻き込んだ事への詫びも含まれているのだろう。
ただの冒険者であれば考えられない待遇だが、派遣員であるゴンドルフに護衛を任され辺境伯とも昵懇な冒険者である事も加味されたに違いない。
一冒険者に過ぎないレイラではあるが、そのレイラを通して鉱山都市の醜聞が他国に広まるのは不味いと判断したのだろう。
兎に角ミュンヘルが気にする事ではないと一覧を返し、ついでに魔具の形態の一つを変更してくれと忘れずに頼んでおくレイラ。
「それで、素材も簡単に揃う状況になった訳だけれど、魔具の完成にはどれぐらい掛かるかしら?」
「そう、ですね………一月は掛からずに完成するかと思います」
「あら、随分早いわね。でも本当に大丈夫なの?」
「はい。その、表の店は荒らされてしまいましたが工房自体は無事ですし、宝飾の方は表の修理が済むまでは休業にするので。修繕費や営業していない期間の収入も魔導具組合が補填してくれるので、レイラさんの魔具製作に集中できますし」
それに魔人から採れた魔玉や非常に希少な〝混魔の実〟を使えると思うと他の事に手が付かないと言われてしまうと、最早レイラに言えることは宜しく頼むと言う言葉だけだった。
襲われかけた妻を慰めたりと他にやるべき事も在るだろうにと思うものの、当のブリニダが少年のように目を輝かせているミュンヘルを嬉しそうに見つめているのだからレイラが何かを言う事もない。
「じゃあ完成したら連絡を頂戴」
「はい!!是非、愉しみにしていてください!!」
ミュンヘルに背を向け、手を振りながら工房を後にするレイラ達。
その後、這寄木の討伐や素材集めをする必要が無くなったレイラとヴィクトールは手持ち無沙汰となり、〝銀狼〟は一先ずその場で解散となった。
ヴィクトールは再開された鉱狩祭へと向かい、レイラは馴染みとなった娼館が開くまで宿で時間を潰す事に。
宿屋の店主と二三言葉を交わし、自身の部屋の扉を開けるレイラ。
しかしそこでレイラの動きが止まる。
「…………」
半刻と経っていない筈のその一室に強い違和感――――何者かの侵入があったような感覚を得る。
ドアノブに手を掛けたまま、目を細めて周囲の気配を探るレイラ。
他の宿泊客を除けば妙な気配はなく、室内に誰かが潜んでいると言う事もない。
店主が寝台のシーツを変えに来たにしてはシーツに真新しさはなく、物の配置どころか誰かが触れた痕跡もない。
〝尖塔の瞳〟でも異常が無いのを確かめたレイラは部屋へと足を踏み入れ、部屋の中心から改めて部屋全体を見渡していく。
そして一つの異常を見付け出す。
それは一枚の紙だった。
数枚にも渡る紙切れが、折り畳まれて寝台の枕の下にこれ見よがしに差し込まれているのだ。
ゆっくりと歩み寄り、差し込まれた紙を慎重に引き抜いたレイラはそこに書かれていた文字に目を通す。
「そう。そういうことね……」
三度文字を読み返し、内容を理解したレイラはつまらなそうに紙を握り潰しながら鼻を鳴らす。
そして着火の魔具で紙を燃やし、ついでに煙石にも火を付けたレイラは紫煙を吐き出しながら寝台に腰掛ける。
「ふーん……ま、何でも良いわ。舐めた事を吐かすならその時にまた対処すれば良いものね」
差出人不明のその手紙の内容を噛み砕き、自分の中で結論を出したもの、娼館へ行く気力が萎えたレイラは不貞腐れるように寝台へと身体を横たえた。




