32 その者、不運につき――
「お待ち下さい!騎士の方!!」
本格的に拘束勾留される事も視野に入れていたレイラの耳に、ミュンヘルの声が届く。
下手に魔駆導甲冑の主を刺激しないよう、魔力感知も〝尖塔の瞳〟も使っていなかったレイラには周囲の状況は掴めないものの、声の感じからミュンヘンがこちらに向かって来ているらしいと理解できた。
「ミュンヘル殿、ご無事でしたか」
「はい。私も妻も無事です。それと騎士の方、一先ずその方を解放してください。彼女は私や妻を助けてくださった方で、決してその様な扱いを受けるべき人ではありません」
「それはどう言うことですかな?」
レイラに代わり、弁明をしてくれたミュンヘルのお陰でレイラの拘束は僅かに緩む。
破落戸の男達に襲われたこと。
その男達が分不相応な魔導具を持っていたこと。
レイラが助けに入らねば取り返しのつかない事になっていたこと。
妙な連中が更に現れ、レイラが代わりに撃退してくれたこと。
ミュンヘルは彼が知る限りのことを包み隠さず魔駆導甲冑の騎士へと伝え、全てを聴き終えた騎士は組み敷いたままレイラに事の真偽を問うてくる。
「本当か?」
「嘘偽りは何一つないと祖霊と父母の名に誓いましょう。ただ、一つ付け加えるなら私はミュンヘル夫妻に依頼をしている立場の人間よ」
「……それは彫金の方かね?」
「魔具の方よ」
レイラが事も無げに応えれば、騎士は額に手を当てて鉱山都市の天井を仰ぎ見る。
特に秘す理由もなく、レイラは素直にこの場にきた理由や切っ掛けも含めてミュンヘルの説明に補足を入れるが、少しばかりの嫌がらせとして一つの事柄だけは伏せておく。
「……つまり貴殿が追加で現れた者達を撃退したと?」
「えぇ。ただ生憎と相手は認識阻害の術を持っていたから、種族どころか性別も分からなかったけど」
敢えてスターシャ達の事は語らず、レイラは彼らの事を胸に秘す。
魔導具協会の会長の悪行を知るだけならミュンヘル達の店で拘束されている者達だけでも事足りる上、何やら今回の一件とは別の目的で動いているスターシャ達の事を告げる必要はない。
何より問答無用で制圧しに来た者への細やかな嫌がらせとして、犯人を探る為に無駄な労力を割かせる位が丁度良かろうと言うもの。
「で、あるか。ならば、手荒な真似をして済まなかったな」
未だレイラを拘束している魔導甲冑を着込んだ人物はレイラの説明に一応の納得はしたのか、レイラは漸く解放される。
取り押さえられた際に極まった右肩は未だに鈍痛を訴えているものの、動かす分には支障は無さそうだと肩を回しながら調子を確かめるレイラ。
その傍らで遅れてやってきた鉱鍛種らしき重武装の一団に指示を出している魔導甲冑の騎士にこの後の次第を尋ねるレイラ。
何故と警戒する騎士にミュンヘルとの関係を再度伝え、場合によっては今回の騒動が治まるまで護衛を買って出るつもりだと告げれば納得される。
「元々、御二方は組合員であるため鉄腕王の庇護下に置かれる事になる故、貴殿が護衛に着く必要はないだろう」
「そう。でも貴方達が来る前に彼等は襲われていた訳で、正直信用するには少し不安だわ」
「……本来であれば無礼者として即刻斬り捨てたい所だが、貴殿の指摘はもっともなだけに耳の痛い話だ」
彼ら自体は既に騒動が起きた時点で動いていたそうだ。
ただミュンヘル達の工房は騒動の渦中からほど遠く、人波に揉まれていなければ命の危険が低いと判断されて保護の優先順位は下だったのだ。
それでも騒ぎに乗じて不貞を働く者はいるもので、危険度が高いと判断された者達の保護が終わった後に向かってきたいたらしい。
しかし安全な場所を求めて寄せてきた群衆を掻き分け、ここへ向かってくる途中で騒動に巻き込まれないような場所にあるミュンヘルの工房の優先順位は低かった。
にも関わらずその方向から強烈な閃光と炸裂音が響き、騎士は異常事態と判断して一人先行してやってきたのだ。
そしていざミュンヘルの工房が近くなれば、見慣れぬ冒険者が強烈な殺気を垂れ流しているレイラを見つけ、これは尋常な事態ではないと取り押さえに掛かったのだと言う。
話を聞けば聞くほど状況的に致し方のない行動だったとは理解できるようにはなるが、それでも騎士への恨む節は消えない。
確かに納得はできるものの、だからと言って誰何もなく拘束される謂れはなく、誰何さえされていれば大人しく従って反射的に蹴りを魔導甲冑へ叩き込むこともなかった。
なにより不意を突かれた上、抵抗も無意味とばかりに圧倒的な力で組み伏せられると言う不快な目に遭わずに済んだのだ。
〝彩〟を味わえなかった苛立ちに加え、一瞬だけとはいえコレは無理だと諦めの感情を湧かせられたのが今世で一二を争うほどの不愉快さであり、要らぬ感情を湧かせられたレイラが彼らに譲ってやる理由は一つもなかった。
「不利益を被った貴殿には信用できなかろうが、我らの庇護下に入る以上は二人の安全は我が名誉と陛下への忠誠を賭けて保証しよう」
とは言えレイラとて自分の感情がただの我儘である事は自覚しており、苛立つ心と渦巻く感情を表出させることなく飲み込んだ。
それに遅れて駆けつけた鉱鍛種の重武装をした兵士達に囲まれ暖かそうな外套をかけられたブリニダの姿を見るとレイラが我を張る場面でないことはよく分かる。
「……そう。貴方のような騎士様がそこまで仰られるなら、私のような地下の者に申せることなどありましょうか。それに彼らとて下手な冒険者に守られるよりも、騎士様方に囲まれた方が安心もできるというものです」
それに続くように拘束された男達が引き摺られるように工房から現れる。
頭に麻袋を被されるだけでなく、後ろ手に付けられた手錠と首枷を繋いだ――――下手に腕を動かすと首が絞まる仕掛けだ――――特殊な拘束具で無理やり連れられる姿を見るだけで、彼らが今後どんな扱いを受けるかなど想像するに難くない。
早晩にでも彼らを使った者について口を割らされるのは間違いなく、きっと今レイラが巻き込まれている面倒事も粗方片付くかもしれない。
「……無駄骨とは言わないけれど、損した気分になるのは間違いかしらね」
そんな男達と共に王城へと引き上げていくミュンヘル達を見送り、一人残されたレイラはこれからどうしようかと考えつつ、傷の刻まれた左の掌を処置しながら歩き出す。
既に鉱山都市に入り込んだあの妙な樹木は粗方始末し終ったのか、戦闘音どころか争いの気配も感じ取れない。
バルセットであれば、こんな襲撃があった後は事後処理に冒険者も含めた日雇いや出稼ぎ達が駆り出されるのだが、鉱山都市ではどのように動けば良いのかがわからない。
下手に動いて明言されていない慣習などに触れて顰蹙を買うのも馬鹿らしく、一連の出来事のせいでやる気も著しく低下している。
いっそのこと宿に戻ってほとぼりが冷めるまで寝転がっていようか、などと言った馬鹿な考えすら浮かんできそうだった。
どうにも活力を出すことができないまま、レイラの足は自然と冒険者組合の元へと向かっていた。
今のレイラは冒険者組合に所属する一冒険者に過ぎず、下手な自己判断で動くよりも誰それの指揮下に入るのが最も丸いと判断したからだ。
「皆さん落ち着いてください!!階級別に仕事が分けられてるので、自分の色と同じ印を持っている職員の指示に従って下さい!!」
そしてレイラが冒険者組合の扉を押し開ければ、静かな通りとは裏腹に戦場のような騒がしさが押し寄せる。
これほどの数の冒険者がいたのかと驚くほど鮨詰め状態になっている組合の様子に少し驚きつつ、レイラは列が捌かれるの手持ち無沙汰に待っている冒険者へと声を掛ける。
「ごめんなさい、コレってどう言う状況なのか聞いてもいいかしら?」
「ん?そんなの決まって――って、その格好、連中とやり合った後か?」
「んー、まぁ、そんな所ね」
「そりゃ運がなかったな」
汚れを薄らと被り、左手の当て布が血で染まっている姿に何やら勘違いしたらしく、冒険者にご愁傷様という言葉を贈られたレイラは苦笑いを浮かべる。
しかし一々訂正する必要もなく、レイラは同情を素直に受け取りながらこの混雑の訳を問えば、その冒険者はあっけらかんと言ってのける。
「千寄呪樹――言っちまえば、這寄木の魔獣災害が起きたから緊急召集が掛かったのよ」
なんともなさそうな表情で告げる男に礼を言い、一人壁際に寄ったレイラは周囲の目が向けられていないことを確認してから大きな溜め息を吐く。
魔獣災害。
特定の種類の魔獣が一定数以上を超えた際に発生する特異な現象。
蛮族神の尖兵として放たれた魔獣の祖の名残だと考えられており、普段ならばさほど脅威にはならないような魔獣も、街や国を滅ぼすほどの脅威になることもある厄介な事象だ。
バルセットでも二度ほど起きていたが、そのどれもが数日に渡って対処に奔走したのを覚えている。
千寄呪樹がどんな魔獣災害なのかは想像がつかないものの、またぞろ面倒なものであることは違いあるまい。
どうしてこうも面倒な事に巻き込まれるのかと。
試練神にも練武神にも祈りを捧げた事などなく、ましてや戯遊神には一銭たりとも寄進していないと言うのにこの厄さはなんなのかと。
表情とは裏腹に、レイラはそう思わずにはいられなかった。




