20 その蜥蜴、逃走につき――
二秒、三秒と見詰め合い、埋もれていた大蜥蜴は威嚇の為に牙を剥き、その体表を周囲の紫結晶と同じ色合いで染めあげる。
しかしレイラの背後で悠々と大岩蜥蜴を解体しているヴィクトールの姿を見、レイラへ視線を戻してから再度横たわる大岩蜥蜴を見た大蜥蜴の動きが止まる。
「……」
「……」
まさに硬直と言うべき反応をする大蜥蜴をよくよく見れば、変色した体表と顔つきは大岩蜥蜴の雄性体に酷似している。
が、その両の瞳だけは磨き上げた宝石のような輝きを持ち、大岩蜥蜴の縦に細長い瞳孔の瞳とは違う無機質なもの。
「…………」
「…………」
瞳孔もなく、生物と言うよりも彫刻のような印象を与える瞳をレイラがジッと見つめていると、大蜥蜴はゆっくりと後ろ脚を下げる。
そしてレイラが無言で剣の柄を握った瞬間、大蜥蜴は身を翻して脱兎の如く走り出した。
「逃げ足の早いッ!!」
レイラも剣を抜き放ちながら後を追うが、大蜥蜴の逃げ足はレイラの全速力と勝るとも劣らない。
出足の差をジリジリとレイラは詰めて行くが、あと一歩と言う所でレイラの足元へ魔力が流れ込む。
「小癪な真似を」
咄嗟に制動を掛け、同時に刃を振るえば地面から突き出た紫結晶の壁を叩き切る。
そして砕け散った紫結晶の向こうでは、既に遠くまで走り、大分小さくなった大蜥蜴の姿が目に入る。
「ホント、逃げ足だけは早いわね……」
レイラは足元に転がる紫結晶を拾い上げ、自身の魔力で染め上げながら全力で投げ付ける。
颶風を伴い、空を裂きながら紫結晶は突き進むが、事前に察知していたらしい大蜥蜴は僅かに進路を変えるだけで迫る凶弾から逃れてみせる。
しかしそんなこと、レイラとて織り込み済みである。
「騙転」
変わる景色。
紫結晶に覆われていることに変わりはないが、遥か遠くに居たはずの大蜥蜴が丁度剣の間合いの中にいる。
レイラは紫結晶を叩き割る勢いで踏み込み、刃に魔力を流し込む。
そして突然前方を塞ぐように現れたレイラに唖然とし、されど急制動を掛けながらも即座に魔力を練る大蜥蜴を無視して刃を振るう。
硬い感触。
大岩蜥蜴よりも遥かに脆い鱗を刃が切り裂き、大蜥蜴の首が宙を舞う。
だが首を失い、身体を覆っていた硬質な外殻が消え去っても魔力が形を結ぼうと溜まっていくのは変わらない。
膨れ上がる嫌な予感に従い、レイラは刎ね飛ばした首を空中で掴んで距離を取る。
直後、自身の胴体を巻き込みながら無数の紫結晶が辺り一面に咲き乱れる。
「ふむ、首を刎ねるだけだとこう言うことも起きり得るのね。勉強になったわ」
一歩二歩と無秩序に広がっていく紫結晶の鋭利な尖端から距離を取り、脳の制御から外れた魔法の暴走から逃れたレイラは一人ごちる。
「これで大岩蜥蜴モドキじゃなければ、本当にただの無駄骨で終わるわね」
首だけになってもなお物理的な輝きを失わない瞳を携えた大蜥蜴の首を手に、大岩蜥蜴の解体に勤しむヴィクトールの元へと戻る。
すると、丁度人の頭部より一回り大きな心臓を抉り出し、満面の笑みを浮かべて振り返るところであった。
「見給えヨ、この大きな心臓を!!岩石を体内濃縮させる普通の大岩蜥蜴と違って、紫結晶を体内で濃縮してる個体というだけでも希少なのに、この大きさの心臓は中々手に入る物ではないヨ!!」
「あ、そう」
珍しく興奮気味に捲し立てるヴィクトールだが、珍しい魔具を手に入れた時と同じ反応だと悟ったレイラは冷たい反応を返す。
以前、同じような反応をしていた時に適当に相槌を打ったせいで半刻近い熱弁を聞かされた時の教訓である。
「ヴィク、コレって大岩蜥蜴モドキで良いのかしら?もし大岩蜥蜴モドキだとして、私、コレをどういう風に解体すれば良いのか知らないのだけど」
「この希少性であればただの触媒として使うには……うん?あぁ、その瞳は大岩蜥蜴モドキで間違いないネ。で、そんなことよりだネ、この心臓の使い道だけど――――」
「熱弁してる所申し訳ないけれど、私相手に弁舌を振るう前に他の個体を解体をしなくていいの?向こうに幼体の死体が二つあるけれど、私は手伝わないわよ」
「あぁ、そうだったネ!!興奮のあまり忘れていたヨ!!」
これは当面使い物にならないなと気付き、レイラはヴィクトールの有り余る興奮が自分に向かないように矛先を変えさせる。
そしてヴィクトールの扱いを熟知しているリリアーノ達に大岩蜥蜴モドキの首を預け、後で解体をさせる約束を彼女達に取り付けたレイラは振り返る。
「さて。あとはアレが目的の這寄木だと万々歳なのだけど……」
レイラが見るのは大岩蜥蜴との戦闘があっても、動く事のなかった痩せこけた一本の樹木。
近付いて見てもただの木にしか見えないが、レイラが枝が届く範囲に入るとその幹を大きくしならせる。
旋風を伴ってしなった枝が振るわれるが、来ると分かっていれば懐に潜り込むのは難しくない。
「その幹の細さじゃ、わざわざ斧に持ち変える必要もないわね」
細い幹に向かって剣を振るえば、根だけを残して這寄木が紫結晶の先端から転がり落ちていく。
後を追ってレイラも飛び降りて這寄木の傍に立てば、いい具合に枝が折れて幹だけの姿に変わり果てている。
そして期待を込めて魔導具を這寄木に向け――――
「残念、目的の性質じゃないわね」
――――帰ってきた反応はなく、足元に転がる這寄木が目的の物ではないと確定してしまう。
ただ無慈悲に告げる魔導具を見ても、レイラに失望や落胆の色はない。
元より這寄木の希少性質は簡単に見つかるような物ではなく、紫結晶の表出地に来たのもあくまで目的の性質を持った這寄木が多い傾向があるからに過ぎず、外れる可能性は十分にあると理解していた。
「やっぱり、気長にやっていくしかないわね」
ただの倒木に成り下がった這寄木に鋲を打ち込み、回収業者が回収しやすいように紫結晶の表出地の外に運ぶべく身体賦活で肩に担ぎ上げる。
ついでに子供のようにはしゃいでいるヴィクトールの尻を蹴り上げ――――文字通り物理的にだ――――現実に引き戻してから帰路につく。
結局帰り道でも遭遇する這寄木を伐採して使った鋲が三〇を超えたが、目的の這寄木は手に入る事はなかった。
代わりに得た物と言えば、大岩蜥蜴の心臓が四つと大岩蜥蜴モドキの眼球が一組みのみ。
門衛の鉱鍛人――――顔馴染みのガッゼスとは別の衛兵だった――――に記録機を返したおかげで七五〇リュオーネは手に入ったが、ヴィクトールと折半してしまえば四日分の食費になるかどうかという具合だ。
討伐金の受け渡しは全て小銭のため、食事の度に一々レイラ達が普段使いしていた硬貨を両替しなくても済むが、既に当面の宿泊費は両替してしまっているため利も少ない。
「それで、この後はどうするのかネ?」
「私は手に入れた素材を届けに行くつもりだけれど、貴方はどうするの?」
「ふーむ、それに付き合う必要はないしネ。素直に宿に戻って心臓の処理を済ませて――――」
本当に小遣い稼ぎにしかならないのだなと思いつつ、ヴィクトールと他愛もない会話をしながら歩いていると、不意に行く手を阻むように数人の男達がレイラ達の前に現れる。
五人の内、四人は種族も違い見窄らしい風貌で一絡げにチンピラと言った風情だが、彼等を率いるように立っている人種の男は違った。
上背はヴィクトールには及ばないものの、長身の分類になるレイラよりも高く、肩幅が広く分厚い筋肉に覆われているせいか、ヴィクトールよりも大きいと錯覚しそうになってしまう。
それに加えて立ち振る舞いや距離の取り方、その身から漏れ出る濃密な血の匂いから傭兵か傭兵崩れなのだと察することはできよう。
「一体何の用かしら?」
「なぁに、ちょいとばかしアンタ等とお話したくてよ」
「あらそう。でも私達には貴方とお話する理由はないわ」
「まぁ、そうツレないこと言うなって」
レイラが僅かに殺気を乗せて男を睨むが、周囲のチンピラが怯む中で男だけは平然と受けて立っている。
男がただの破落戸では無いと悟ったレイラだったが、さて何処の因縁が原因だろうかと掃いて捨てるほどある心当たりを探り始めるのだった。




