17 その変化、露わにつき――
「あ゛あ゛あ゛あ゛ァ゛あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ぁ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛?!?!!!」
ぽとりと荷台に落ちた腕を見つめ、一瞬だけ呆けたような表情を浮かべた村長は直ぐに耳をつんざく悲鳴を上げた。
誰もが悲痛な叫びに身をすくませる中、レイラは不愉快そうに顔を顰めながら村長に歩み寄り、手斧の柄頭で喉を強かに打ち据え、悲鳴を強制的に黙らせる。
「大の大人がギャーギャーと喧しい。うるさいのはその見た目だけにしてもらえないかしら?」
「……どぼじで、ぼれ゛がごんな゛め゛に」
「あら、それは本気でいってるの? だとしたら随分と御目出度い脳みその作りになっているわね」
「……な゛ん゛の゛ごどだ」
痛みに蹲り、咳き込みながらも漏れ出た村長の言葉にレイラは侮蔑交じりの視線を送りながら小首をかしげる。
「村で魔法が使えないと私を蔑み、私の家にしてきた嫌がらせの数々を思えば当然でしょ? それとも子供だからと貴方が先導してやってきた嫌がらせや、母に嫌がらせをやめる代わりに言い寄っていたのを知らないとでも思った? そんな貴方を私がこのまま乗せておくと思う?」
レイラは蹲る村長の脇に立つと、村長は今更になって化け物を見るかのような瞳で見上げてくるの見つめ返す。
痛みと恐怖、絶望と生への執着を思わせる複雑な表情をじっくりと脳裏に焼き付ける。
全身を駆け抜け、身体を震わせる甘美な感覚に恍惚とした笑みを見せた。
そして愉悦で細められた瞳とは裏腹に、酷く冷淡な声音でレイラは告げる。
「それにこんな状況で真っ先に他人を犠牲にしようとする人と同じ馬車に乗るなんて、か弱い私には怖くてできないもの。だから――――」
最後に付け加えられた台詞になんの冗談だと突っ込みを入れる余裕もなく呆然と全員が見ている中、蹲る村長の胸倉を掴むと軽々と持ち上げる。
そして確かな足取りで荷台の縁に足を掛け、村長のふくよかな体を荷台の外に宙吊りにした。
「――――ここでさよならよ」
にんまりと微笑み、取り縋ろうとする村長の手を振り払って手を放す。
ゆっくりと見える視界のなかで絶望に染まる村長の顔を、地面にぶつかり、手足が跳ね回り、後方へと流れて見えなくなるまで見つめ続けたレイラは他の乗員へ顔を向ける。
「それで、次に降りてくれるのは誰かしら?」
「な、なんでッ?!」
「も、もう、夫も落としたし、一人で十分でしょう??!!」
村長を落とされ、それで満足するとでも思っていたのか。
カリウスや村長夫人などは驚愕に目を見開いているが、逆にレイラは村長だけで済むと思っていたことに驚きを隠せなかった。
「誰も降りるのは一人だけなんて言ってないでしょう? それにもうあまり時間も無さそうだから、私としては立候補してくれると助かるのだけど、誰かしてくれないかしら?」
獣車の後方に目を向けると、すれ違いざまに路端に落ちた村長に矢を放った騎兵達は村長の死体に目もくれず追ってきている。
その距離はレイラが飛び乗った時よりも遥かに近くなっており、追いつかれるのもそう遠い未来のことではないだろう。
彼我の距離を目算しながら、レイラは顔色を再び悪くしているカリウスに目を向ける。
視線の意味に気付いたのだろう、カリウスは駄々をこねる子供のように嫌々と言いながら首を振る。
「お、俺は嫌だ!! それに俺は親父みたいにお前たち一家には何もしてないだろう!!」
「あら、貴方もそれを本気で言ってるのかしら? それとも親譲りの頭の構造でもしているの?」
「お、お前は何を言って――」
「一年前の秋、新月の夜、収穫祭の片付けの最中……ここまで言っても分からないかしら?」
「ッ!!」
今から遡ること約一年前、レイラは村で行われた収穫祭の夜に何者かに襲われた。
強姦目的のその襲撃は物音に気付いた村民が駆け付けたことで未遂に終わったが、明かりの届かない薄暗がりで行われた犯行だったことで目撃者はおらず、収穫祭にやってきていた外部の人間の犯行とされたのだ。
まだ幼く疎まれてもいたレイラの証言が信用されるはずもなく、そもそもレイラが犯人の顔は見ていないと証言したため事件は迷宮入りし、時間と共に人々の記憶からも忘れ去られていた。
そんな事件の事を――――ましてやレイラ本人が分からないと言った犯人の正体が分かっているとは思いもしなかったのだろう。
驚愕と絶望に染まったカリウスの表情にレイラは満足げな笑みを浮かべる。
「あ、あれはッ! それにお前は犯人の顔は見てないって!!」
「そんなの、いつか私の手で仕返しするための嘘に決まっているでしょう? 逃げてる途中であの時みたいに襲われても敵わないし、貴方にもここで降りてもらうわね。それにあれ以来、あの時の恐ろしさに今でも身が竦んで夜しか眠れなくて困ってるの……」
恐怖を紛らわすように自らの体を抱きしめるレイラだったが、その表情は仕草とは裏腹に獲物を定めた狩人が如く冷酷さを滲ませ、感情の凪いだ瞳になっていた。
冷や汗を流し、ガタガタと震えだして何も言わないカリウスにレイラはやや不満げに唇を尖らせる。
「……今のは笑うところよ?」
「う、うわぁぁあああああああ!!」
「あら、面白くなかったからって怒ることはないでしょう?」
追い詰められた人間特有の、切羽詰まりながらも覚悟を決めた表情でレイラに掴みかかるカリウス。
だが、まるで周囲を飛び交う羽虫を払うように軽く振るわれた手斧に両手が宙を舞う。
眼前に断面からあふれ出た鮮血が飛び散っているのも気にせず、即座にカリウスの服を掴んだレイラはその身体を獣車の後方に向けて引っ張った。
その直後、レイラを庇うような形になったカリウスの背に複数の矢が突き刺さる。
「ガハッ?!」
「ちょっと、汚れるから血を吐き掛けないでくれないかしら?」
自分の所業を棚に上げ、不愉快そうにカリウスが吐き出した血が付いた頬を指で拭うが、指についた血の量は明らかに吐き掛けられた血飛沫の量を超えていた。
服の袖で顔を拭うも、袖にもべっとりと大量の血が付いてくる。
袖についた血を見るために俯いていたレイラを覆う影が僅かに動く。
「……ま、まって、たす…け――――」
「あら、貴方まだ生きてたの? 死に掛けで瞳に"彩"もないし、もう逝っていいわよ」
取り縋ろうとするカリウスだったが、その瞳に映されるべき感情の色がなくなっているのを見取ったレイラ。
これ以上は盾以外には使い道はないと判断されたカリウスへの興味は急速に消えうせ、その首筋に斬線を走らされる。
その後、レイラは指についた血をカリウスの服に擦り付け、汚物を捨てるかのような粗雑な動作で荷台から放り出すのだった。
「ふぅむ、返り血を浴びすぎたかしら? これじゃあバルセットにつく前に如何にかしないと街に入れてもらえそうにないわね。まぁ、後でどうにでも出来るでしょうし、今考えることじゃないわね。さて、あと残っているのは―――」
獣車から転げ落ちるカリウスを見届けるでもなく、残る人間に向き直ろうとするレイラ。
「い、いやぁあああああああああ!!」
だが次の獲物はどれににしようかと舌なめずりする間もなく、レイラと視線がほんの僅かに交わった村長夫人は何を考えているのか、自ら獣車の縁に足を掛けた。
「ちょっと貴女、何を―――」
「こっちに来ないでっ!!!―――あっ」
自分から飛び降りれば僅かに生き残れるとでも思ったのか、ただ単に精神が擦り切れてしまったのか。
近寄ろうとしたレイラを見て悲鳴を上げながら身を投げようとした夫人の側頭部に矢が突き刺さる。
「まったく、折角の獲物が勿体ない……」
獣車から転がり落ちた夫人の死体を巻き込んだ獣車が一度大きく跳ねる中、レイラは大きなため息を吐き出して降り注ぐ矢を切り払う。
距離が近くなってきたせいなのだろう。
今まで数本に一本程しか獣車に刺ささっていなかった矢は、放たれれば獣車のどこかに必ず刺さるようになっていた。
折角の獲物を横取りされたレイラは迫ってきている騎獣兵を忌々しげに睨む。
そして横槍が入る前に仕留めてしまおう。レイラがその考えに至るまで時間は必要なかった。
「い、や、来ない、で……」
恐怖で足腰立たず、尻もちをついた状態で涙を浮かべた女性の元に歩み寄ったレイラは無言で手斧を振り上げ――――
――――手斧を振り下ろすことができなかった。
前世を通して笑いのセンスはなかった模様




