8 その術、魔術につき――
都合二度、御者を交代しながら迎えた夜。
道の外れ、小川のすぐ近くに生えた木を目印にレイラ達は野営をする事になった。
ただでさえ主要街道から外れ、更に人が寄り付かないウル湿地を目指して進んでいるせいか、周囲に人影も人家の灯りもないこの場所は、酷く深い夜闇に包まれている。
「フム、そこはエイバラ方式じゃなくてラサリウ方式で結んだ方が良いネ」
「でもそれだと術式が複雑になり過ぎるんじゃない?」
「確かに複雑になるけど、単一方式より強度が増すし、何より他術者の干渉を防げる利点の方が大きいからネ」
「なるほど、術式を一から構築するならそう言うことも考えないといけないのね」
互いに夜番に入るまでの僅かな時間、レイラとヴィクトールは地面に文字を書きながら額を突き合わせる。
それはレイラが自分で構築した魔術であり、左腕が使えない三ヶ月、そして王国を抜けるまでの一ヶ月を掛けて完成した起点具の試運転として作ったものである。
「……うん、それなら問題なさそうだネ」
「なら、ちょっと試してみましょうか」
レイラは手近にあった石を片手で拾い上げ、両手を広げて見えるように開いて掲げて見せる。
石の乗った手と乗っていない手を視界に収めながらも意識は術式へと傾けていく。
そして脳裏で術式を完成させると同時に石が空いている手へと移っているイメージを浮かべ、レイラは起点具へと魔力を流す。
「〝移れ〟」
古語の発話と共に意識を視界へ戻せば、右手に乗せていた石が左手に移っていた。
「フム、成功したネ。初めてにしては上出来だヨ」
「ほぅ、魔術はそうやって発動するんだな。間近で見るのは初めてだ」
口々に感想を述べる周囲に反し、魔術を成功させたレイラの表情は渋い。
まだ試作の段階であり、起点具の試運転として構築した魔術であるが、今後戦いの最中に活用する事を考えて構築したものだった。
しかし魔術を発動させるまでに掛かった時間。
発動までに占める思考のリソース。
それらは戦闘の最中に使える物とは口が裂けても言えない仕上がりだ。
特に術式を発動するのに自分が望む現象をイメージすると言うのが、レイラにとって非常に難しいものだった。
まだ不慣れであると言うことを抜きにしても、コレを使うぐらいであれば刃を振るうのに意識を割いたほうがマシだろう。
「こういうのは得手不得手があるからネ。あまり気にしなくて良いと思うヨ」
「不得手、ねぇ……」
レイラの表情から何かを悟ったらしいヴィクトールがそんなことを言う。
前世と今世を通してあらゆる事に関して卒なく熟しており、何かを苦手だと感じることもなかった。
しかし改めて他人に言われるとストンと腑に落ちるような感覚と、これが苦手と言う感覚なのかと妙な感慨が湧く。
「まぁ、対象を絞るとか条件を着けるとかすればもっと簡略化できるし、あとは力技だけど並列思考を作り出す魔術を使って術式構築を投げるって言う手もあるヨ」
「そう。そうね、もう少し手立てを考えてみるわ……」
先に休むと言って毛布に包まり、その場で横になり始めるヴィクトールに一度だけ視線を向けたレイラは再び掌に収まっている石に意識を向ける。
意識的に人並みの努力を要求されるなど初めての事であり、誰もがこのような状態に陥っていると考えると、その者達が瞳に宿す〝彩〟の意味合いが少しだけわかったような気がした。
やはり相互理解は欠かせないなと口端を釣り上げ、レイラは次に味わう〝彩〟の味がより複雑に感じられるようになったことを喜びながら瞼を閉じる。
意外に思われるが〝銀狼〟は滅多に夜警をしない。
というのも夜という時間は恙なく影に支配される時間。
つまりヴィクトールの妻子が最も活発になり、力が発揮できる時間でもある。
日中ならば触媒も無しにヴィクトールが担ぐ〝エルダンシアの柩〟から滅多に出歩けないが、夜であれば短時間ながら自由に闊歩できる。
お陰で本来ならば辛い夜番も、彼女達に任せておけば下手にレイラ達が気を張るよりも確かな夜哨になるのだ。
それにレイラ達も完全に眠るわけではない。
完全な暗闇では却って力を失う彼女達のために篝火を絶やさないよう気を付け、彼女達が異常を知らせてくれた際にはすぐにでも動けるように構えておく。
それに瞼を開けていても大して意味はないのだ。
月明かりしか光源のない世界は人種にはあまりに暗く、遠くを見通すなどほぼ不可能。
真っ暗闇で篝火の届く範囲までしか役に立たない視界に頼るのを諦め、魔力感知と聴覚、その他あらゆる感覚を鋭敏にして周囲の警戒に勤しむ方が合理的と言えるだろう。
ただ、それでも何もなければ暇であることに変わりはなく、レイラはただひたすらに魔術が発動するイメージを思い浮かべ、術式を如何に改良していくかを考え続けるのだった。
そこから時は平等に過ぎ、街を出てから四日。
レイラが魔術の構築と練習を始めてから三日が過ぎた。
変わり映えのしない長閑な道。
まったく人気のない道を進み続け、退屈を持て余しながら手綱を握っていたレイラは瞳に映る景色に変化が起きた事に気が付いた。
「ゴンドルフ、この先道が石畳に変わっているわ」
「おっ、本当か?」
「まだ当分先よ?」
目視で数キロ先で地面を踏み固めただけだった道が、石畳特有の灰色染みた色に変わっているのだ。
それはかねてから言われていたウル湿地を横断する抜け道の目印であり、抜け道の入り口だといいうのだ。
たかが石畳が目印になるのかとレイラとヴィクトールは訝しんでいたが、半刻後に実際に敷かれた石畳の上に立ったレイラは唸らざるを得なかった。
石畳に使われている石は色と形ともに均一であり、苔むしていて数百年は敷かれて居そうな風貌にも関わらず、欠けや歪みらしきものが一切見られない。
バルセットだけでなく、今まで立ち寄ったどの街でもこれ程優れた石畳は見たことがない。
時代を逸脱したそれは、前文明の遺産であるのは明らかであり、コレが目印になると言うのも頷ける。
しかし分からないのはこれ程立派な石畳があるにも関わらず、石畳を利用するように村がないことだ。
村がないわけではなく、石畳から枝のように北東方向へ伸びる踏み固められた道の先には村があるのだ。
道を整えるには馬鹿にならない費用がかかる。
魔法のおかげで前世と比べればまだマシとはいえ、轍を直し、踏み固め、傾きが無いように整えるだけでも非常に手間と時間が掛かる作業だ。
そこへ石畳を敷き、頑強な舗装で歩くのに苦労をしない道を作るとなれば、敷設に掛かる費用は跳ね上がる。
クィスラ王国の中の大領地、かつ領主のお膝元でも舗装している所があるかどうかと言った具合の物である。
そんな石畳が無料で存在し、下手な物より頑強であると分かっているのになぜ活用しないのか。
それに石畳を挟んだ南側には川があるにも関わらず、まるで川から離れるように村があるのも不可解である。
いくら魔法によって水源が必ずしも必要では無いとはいえ、近くに川があるのならばそれを活用しない理由はないのだ。
水源として水路を引くにしろ、水車のような動力として活用するにしろ、目を凝らさねば村だとわからないような場所まで距離を取る理由は普通ならばないだろう。
「……ねぇ、ゴンドルフ。まだ私達に伝えていないことはない?」
「…………ウル湿地は水棲魔馬が多く生息していて、良識のある人間は近づかない事ぐらいかね」
レイラの胡乱げな視線に目を逸しながら答えるゴンドルフ。
水棲魔馬について詳しく知らないレイラはヴィクトールに視線を向けるが、ヴィクトールも知らないと首を振る。
再びゴンドルフに胡乱げな視線を向けると耐えかねたように声を荒げる。
「た、確かに水辺にいる水棲魔馬は危険な魔獣だが、元来臆病な性格なんじゃ!!お前さんらみたいに魔力量がある人間を積極的に襲うことはないし、奴ら避けの方法もある!!」
やけくそのように叫ぶゴンドルフにレイラは溜め息を吐き、今更引き返せないと水棲魔馬について詳しく話させる。
曰く、水棲魔馬は広い水源に生息する魔獣であり、魔獣には珍しく魔法を使う種であるらしい。
特に水にまつわる魔法に長け、獲物を溺死させて自分達の住処に引き摺り込み、腐敗した所を貪る肉食獣だという。
ただ群れで行動しているものの非常に臆病な性格で、自身よりも魔力量が多い相手を襲わう事は稀。
その上魔力に対しては非常に敏感で、離れた距離からでも相手と自身の力量差を見抜くと言う。
ゴンドルフは兎も角として、レイラやヴィクトールならば先ず襲われる事はなく、荷車を引いている四足獣の戦鱗馬――――何世代も掛けて家畜化した魔獣である――――も種としては水棲魔馬より格上である。
故にいくら多くの水棲魔馬が棲息していようと、襲われなければ居ないのと一緒だとゴンドルフは主張した。
「もしかして騎獣を戦鱗馬にしたのは此処を通る予定だったからかしら?」
「……皇国を安全に通れれば使う気はなかった」
ぼそりと呟くゴンドルフに溜め息を吐き、仕方ないとレイラは割り切る。
元より国外に出るのが初めてであり、体力的にも一般から逸脱している自覚のあるレイラは自分基準の旅程で無理をさせる訳にはいかないとゴンドルフに任せていたのだ。
であればレイラがするべきはゴンドルフを無事に鉱山都市へ送り届けられるように護るだけなのだ。
レイラはゴンドルフから視線を外し、ウル湿地に向けて獣車を進めるのだった。
それはそれとして他に言うべきことはないか聞き出し、必要な事があれば事前に伝えておくようにと強めに釘を刺すレイラだった。




