閑話 冒険者たちの憂鬱③
ネトコン(ネット小説大賞)の一次選考を突破してましたので、お祝い更新です
狼狽える人々が織り成すざわめきを無視し、ニレニスは振り返る。
「アリアナ!お前は村長ところ行って狼煙を挙げさせてこい!!」
「ニレニス君?!でも私も戦え――――」
「バカ野郎!!この数の差じゃ俺らどころか下手すりゃ村が全滅だ!救援が来なきゃ俺らもおっ死ぬんだぞ?!しっかり村長を説得してこい!!」
「わ、分かった!!」
自分と同じように押っ取り刀で駆け付けてきた元自警団員七名から距離を取るアリアナの姿を見送り、巻き込んでしまった大事な仲間を危難か遠ざけられたことに安堵するニレニス。
そして一人先頭に立ったニレニスは先陣として向かってきている二〇の遊鬼を見つめていると、記憶の中から一人の女の姿が浮かび上がる。
艷やかなブルネットの髪を払い、耳元で揺れる緑翠の耳飾りを揺らした女は冷めた目で見下ろしながら言った。
『冒険者というのはね、頭を使わなくてはいけない仕事なのよ。それも誰もが血によって興奮するような戦地にあっても、あるいは絶望的な戦力差を前にした時でも、何処までも冷静でなければならないわ』
〝可愛がり〟の合間合間に挟み込まれる女の講釈が思い出されるのは非常に癪ではあったが、同時に今の状況には欠かせぬ物であることだけは分かる。
だからこそ、ニレニスは煮え滾る腸を抑え込んで冷静になろうと深呼吸を繰り返す。
『そして常に周囲の状況を掴み、今の自分に何が出来るか、今の状況で使える物はないか必死に考えなさい』
促され、ニレニスは周囲を見渡して後ろにいる男達を見る。
最初にいた七人は二〇から三〇代の人種の男達。
朝方話をしていた元自警団長の話が確かであれば、彼らは皆自警団員として訓練を積んでいた者たち。
そこから警鐘を聞きつけて来た人間を合わせても二〇には届かない。
しかもその半分は元自警団員でもない、予備役か妻子を守るために駆け付けてきた素人。
通常であればそれでも頼もしい者達であるが、基幹となるべき自警団員達が数年のブランクを抱えているとなればどれほど使えるかは分からない。
一日の無精を取り戻すのに三日は掛かるというのに、数年ともなれます何をか況んや。
唯一自警団長は暇を見て剣を振るっていたようで、経験の浅すぎるニレニスでも強いなと感じるため頼りにはなる。
それでも状況的には焼け石に水だろう。
遊鬼は確かに最下級に位置する蛮族だ。
しかし数が揃い、魔獣を手懐けられる程になるとその脅威度は跳ね上がる。
それこそ中規模の村なら滅んだところで可笑しくはない程に。
過去、自分の故郷も遊鬼の襲われた事があるが、たった一〇数匹の群れに半数近い自警団員が負傷し、内二人は四肢を失うほどの重症だった。
だからニレニスは相手が遊鬼だからと油断しない。
それにただの細身の女だと思っていた相手に半殺しにされてきたのだ。ただの噂や見た目だけで相手を判断しよう等という愚は絶対に犯さない。
「がァァあああああ!!」
ゴブリンの群れがあと数歩と言う所まで迫ってきた時、ニレニスは唐突に咆哮を挙げて単身突撃する。
俄仕立ての陣形を組み、迎え撃とうしていた自警団長の制止を後ろ毛に突撃したニレニスは先頭の遊鬼に剣を振り下ろす。
『良いこと?冒険者の強みは乱戦に長けている事よ。だから周りが頼りない、あるいは連携を期待できないときは、無理に陣形を組まずに問答無用で乱戦に持ち込みなさい。そうすれば貴方みたいな体躯の冒険者なら、多少は生きる目も残るわ』
脳髄が跳ね、血潮の臭いが鼻腔を擽るのに構わず強引の剣を振り回して二体三体と遊鬼の身体を引き裂いていく。
ニレニスの吶喊によって勢いを失ったおかげか、背後で遊鬼達とかち合った自警団から悲鳴は上がってこない。
それを耳だけで確かめたニレニスは遮二無二剣を振るい続ける。
『腕が疲れた?傷が痛む?それがどうかしたの?貴方が相対する相手はそれじゃあ仕方ないって刃を収めてくれるの?貴方は剣を構える事を選んだの。なら死んでも剣を構えて、一人でも多くを道連れにしなさい』
女の講釈に納得するのは業腹だったが、守るべき無辜の村民や大事な仲間がいると思うと自然と身体は動き続ける。
どれだけ腕が重くなろうと、遊鬼の放った矢が身体に刺さろうと、一体でも多くの遊鬼を殺す為に身体を動かし続ける。
それに幸か不幸か、女の〝可愛がり〟の中で少しでも反撃しようとしていたお陰で遊鬼の剣筋はよく見える。
遊鬼の殺意の乗った刃が児戯に思えるのはどうかと思うが、こうして生き延びていられるのはあの女のお陰である事は疑いようが無かった。
ニレニスは致命傷となる物だけを避け、他は強靭な毛皮と肉体に任せて種族の力を一方的に叩きつけていく。
「冒険者!!後ろで静観してた騎獣共が動き出した!!アレは無理だ、村の集会所に立て篭もるぞ!!」
そしてニレニスが一〇近い遊鬼を屠った頃、残る遊鬼を相手にしていた団長の声にニレニスは顔を上げる。
そこには最も大きな体躯を持つ魔狼の背に乗る遊鬼を先頭に、残る遊鬼全てが向かってきていた。
ニレニスの元に辿り着くまで、あと一分も掛からないだろう。
しかしやや離れた集会所へ戻ろうにも、ニレニスの足は思うように動かない。
戦いなれない自警団員の前に出て、多くの遊鬼を引き付けて戦っていたニレニスの限界は近かった。
『よく覚えておきなさい。どれだけ強かろうと死んでしまえば意味はないわ。強い奴が勝つんじゃないの、最後まで生き残った者が勝つのよ』
なるほど、こういう事かとニレニスは不意に納得した。
例えどれほど先駆の遊鬼を屠り、自警団の犠牲を出さずに済んだところで、後詰めの遊鬼に討ち取られては意味がない。
しかし疲労と、流れた血の影響で満足に動けないニレニスの足では騎獣達が寄せてくるまでに集会所に入るのはほぼ不可能。
であれば、今のニレニスに出来る選択は一つだけだった。
「悪いが、俺の仲間のことは頼む。アイツは治療が得意だから向こうでこき使ってくれ」
「お、おい、お前まさか」
「連中の出鼻を挫く。だから後は上手いことやってくれ」
ふらつく足を誤魔化すように、地面に突き立てた剣を頼りに急ぎ足で引き上げていっている自警団に背を向ける。
どうせ逃げれないのならば、後ろから喰い付かれるよりも前を向いて剣を振るい続ける方が有意義だろう。
「アイツが無事なら、まぁ、悪かねーか」
村長宅から立ち上る赤色の煙を見上げ、上手いこと説得ができたらしいと判断したニレニスは笑う。
ニレニスを越え、押し寄せた遊鬼に村は荒らされるだろう。
しかし集会所に立てこもり、救難の狼煙に気付いた巡察吏や近隣の村から救援が来れば助かる見込みは十分にある。
後は集会所を打ち壊そうとする遊鬼からどれほど耐えられるかに掛かっているが、治癒が得意とはいえ魔法の扱いに長けたアリアナがいれば然程難しい事でもあるまい。
自警団長もニレニスの意を汲み、きっとアリアナを集会所に押し込むだろうから大丈夫。
「こんなことなら、なんでついてきてくれるのか聞いとけば良かった」
心残りがないとは言わない。
勝手に失望したウォルトの兄には謝れていないし、他の冒険者となんとか取りなそうとしてくれていたニナの姐御に感謝を伝えられていない。
憎たらしいあの女に一太刀も浴びせられていないし、アリアナの本心も分からず仕舞い。
恐怖がないとは言わない。
傷は痛むし、やってくる魔狼に乗った遊鬼の姿を見ているだけで足が竦む。
魔狼に食い千切られる痛みは想像を絶する苦痛であろうし、遊鬼に玩ばれて楽に死ねるとも思えない。
けれど、けれどとニレニスは歯を食い縛る。
男が裸一貫、粗末な剣担いで成り上がろうと決めてここ迄来たのだから、その意地は貫き通したいと思ってしまう。
そんなちっぽけな意地に命を賭けるのかと鼻で笑われようが、墓石に〝馬鹿な冒険者、勇敢に死ぬ〟と書かれるなら本望。
それに村の為に命を賭けたのだから、ウォルトの兄のように詩人に謳われずとも、村人達が数代だけでも自分の勇敢さを語り継いでくれると思えば十分に偉大な功績だろう。
ニレニスは獰猛な笑みを浮かべ、体に残る魔力を掻き集めて全身に賦活を施し、最速の雷刀を放つために剣を高く振り上げる蜻蛉―――レイラがいれば自顕流だと口笛を吹いただろう―――を取る。
二の太刀は要らない。
たった一撃、今の自分に放てる最高の一刀に全てを賭ける。
元より二の太刀を放つ余裕もないのだから、せめて遊鬼の首魁、できなくとも首魁が跨がる魔獣の一匹ぐらいは道連れにしてやる為に。
「ッ!!」
緊張で喉が上擦りながらも迫る遊鬼との距離を測り、ジリジリと力を解き放つその瞬間をただ待ち続ける。
一秒、二秒……と時が過ぎ、五を数えたその瞬間に戦闘を行く遊鬼が先に間合いへ捉える。
魔狼の勢いを乗せた長槍の穂先をジッと睨み、喉元を狙った一突きを踏み込みながら潜り込むようにやり過ごす。
しかし今度は魔狼が喰らいつかんと跳び上がる。
「ぜぁああああああああ!!!」
魔狼の牙は躱せんと割り切り、ニレニスは萎えかける心を奮わせる咆哮を挙げて剣を振り下ろす。
毛皮を喰い破る魔狼の牙。
夜闇に煌めく雷刀。
腕に喰い付かれ、それでも力任せに振り下ろした雷刀だったが、確かな手応えがニレニスへと伝える。
返り血で塞がれた視界の中で見やれば、騎手の遊鬼を袈裟に両断し、地面に叩き付けた魔狼を上下に捻じ切っていた。
「は、はは……」
人生で一二を争う渾身の一刀の感覚は得にも言われる感覚を齎すが、その余韻を味わう時間はあまりに短かった。
首魁らしき遊鬼の背後、そのすぐ後ろに居た魔狼に跨がる騎獣兵が既に穂先を向けて飛び掛かっていた。
折角の手応えだというのに、ろくに味わえないのは冒険者と言うのは因果な商売だと苦笑いを浮かべる。
そしてニレニスは自分の運命を受け入れるようにだらりと力を抜いた。
腕に噛み付かれ、一刀を放ってから抗う気力は微塵も湧かない。
全身は鉛のように重く、立っているのが殆ど奇跡のような疲労感に包まれる。
もう十分頑張っただろう。
そう独り言ちたニレニスが目を瞑ると、魔狼の息遣いに妙な異音が混じっている事に気付く。
それは風切り音。
ぱっと目を開けば、自分の首を喰い破ろうとしていた魔狼が横合いから飛来してきた〝ナニカ〟に刺し貫かれ、吹き飛ばされる光景が広がった。
一体何が。
死を覚悟していたニレニスが呆然とする中、吹き飛んだ魔狼を目で追えば、そこには見慣れた物が魔狼を地面に縫い止めていた。
継ぎ目のない捩じれ模様の金属柄。
石突きで揺れる碧染めの荒縄と火喰鳥の羽根飾り。
見違える筈がない。
隊商に付いてきた詩人がたまたま詠った詩を聞き、憧れるままに逐電同然に古里を飛び出した切っ掛け。
村長一家に扱き使われ、同年代の子供達が遠巻きに見て近づきすらしなかった中で唯一手を差し伸べてくれた兄貴分。
その彼が常に手元に置いて話すことの無かった相棒をニレニスが見違える筈がなかった。
「其処で諦めるバカが何処に居るッ!!」
別の依頼でバルセットを離れていたはずのウォルトの声に、駆け寄ろうとしている姿に、力の抜けたニレニスの身体に芯が通る。
しかし無情かな、ニレニスに迫る騎獣兵はまだ居る。
絞り出した気力を掻き集めても死へ抗うには及ばず、駆け付けてきたウォルトやそのウォルトを抜いて前へ出たニナは未だ遠い。
目の前で飛び掛かってきた魔狼をどうにか出来るものではない。
死を受け入れるつもりはないが、生き残る為に片腕を犠牲にする覚悟を決めて動く腕を盾にする。
やってくる痛みを堪える為に目を瞑るニレニス。
しかし幾ら待てども痛みはやって来ない。
何が起きたのか、そう思って瞼を上げたニレニスの瞳は大口を開けていた顎を貫いて縫い留められた魔狼の姿を映し出す。
「ニレニス君のバカッ!!」
呆気に取られるニレニスの耳に聞き慣れた声が届いたかと思えば、ニレニスの巨躯を飛び越えて転がり落ちた遊鬼の顔面に火球が飛来する。
そして遅れるようにやってきたニナが百足の胴体を撓らせて集っていて魔狼を薙ぎ払い、地面を転がる遊鬼の頭を踏み砕きながら短槍を回収するウォルト。
あれ程苦労した遊鬼達を一方的に屠っていく二人に安堵したニレニスの腰から力が抜ける。
大袈裟に尻餅を突きそうになるが、地面に身体を打ち付ける前に背後から誰かに抱き留められる。
「ニレニス君!!」
「アリ、アナ……?どうしてここに?」
「どうしてじゃないでしょ?!わ、私だけ安全な所にやろうとして!!私、怒ってるんだからね!!」
ゆっくりと地面に座らされたニレニスが呆然と名前を呼べば、目元に涙を浮かべたアリアナに睨まれる。
ただ何処かおっとりとした雰囲気のあるアリアナには似合わず、心に広がった安堵のせいか思わず笑いが込み上げてくる。
怒りに油を注ぐと分かっていても、ニレニスは思うがままに声を漏らす。
「ニレニス君、私、ホントに怒ってるんだからね!!」
「わーってるよ。でもその前に、少し休ませて…くれ……」
「ニレニス君?!」
そして毛皮越しに伝わる人の温もりに追いやっていた疲労が押し寄せ、急激な眠気に襲われる。
目を見開き、声を掛けてくるアリアナを遠くに感じながらニレニスの意識は完全に闇の中へと沈んでいった。




