57 その夜、邂逅につき――
あれからいくつか情報交換を済ませ、日が落ちる前に帰っていったヴァレラルと入れ替わるように老年の癒者が部屋にやって来て再び治療が再開された。
そんな日々が過ぎていき、ヴァレラルがやって来たから四日。
焚かれていた香も漸く燃え尽き、レイラは実に一四日振りの自由を獲得して久方振りの大地の感触を確かめていた。
まだ軋むような感覚はあるものの、骨が砕け、筋肉と靭帯が切れていた事を考えれば驚異的な回復だろう。
とはいえ、この驚異的な回復も奇跡が赦されていれば即日の内に全快していたのだろうがと皮肉げな笑みを作る。
元々の教義ゆえ奇跡の請願がそう簡単に赦されないのもあるが、陽光神を頂点とした神群は妙な所で厳しいのだ。
酒精神は二日酔いに嘆く人々へ苦悩を治す術を与えず、強くなる事を願った者に練武神は超えられずに死ぬような艱難を用意し、愛と運命を紡ぐ流紡神は恋する乙女に恋敵を作るような連中だ。
最も慈悲深いとされる慈母神も結局は彼等の同類であり、戦いに身を置く者がその意思のもと負った傷を奇跡で治してくれるほど優しくはない。
〝雷火の猛牛〟に拐われたマリエッタが奇跡を受けられたのは、あくまで特例なのだ。
慈母神が庇護すべきか弱い子供であったこと。
罪無き清らかな身であったこと。
何より吸血鬼を討った褒美として夫の陽光神が既にレイラへ奇跡を赦した手前、そのレイラが庇護する子供への請願を認めぬ訳にもいかなかったからなのだ。
今回のように陽光神と因縁のある蛆溜まり――陽光神の最初の妻である初代慈母神を殺し、末の息子を誑かして吸血鬼にしたのだ――と関係がなく、またレイラの意思で赴いた戦場で負った傷に奇跡を賜れぬのも当然と言えよう。
妙に人間臭く、そして懐の小さい神々へ内心中指を立てつつ、レイラは久方ぶりの大地を踏み締める感触を堪能しながら夜道を歩く。
街灯も、人家の灯りもない月夜の夜道は何処まで暗く、目的もなく歩ければ直ぐに進む道を失うだろう。
それでもレイラは歩き続け、遠くからでも見えていた僅かな明かりの元へと辿り着く。
「……へぇ。思っていたより悪くないわね」
整備されていた林道を抜けた先、鬱蒼と生い茂っていた木々は拓かれ、代わりに群生しているのは月明かりのように淡い光を放つ草花。
辺り一面を白く儚い光で照らすのは月陰花。
本物のレイラを象徴する花であるが、レイラが生きた実物を見るのはこれが初めてだった。
癒者の庵がある村は薬草や触媒としても使われる月陰花の主な出荷地の一つであり、この群生地は村が管理しているものの一つだ。
見舞いにやって来た者に今が月陰花の開花時期であり、丁度見頃であると教えられた為、こうして足を運んだのだ。
「何かあると思ったけれど、特に何もないわね……」
本物のレイラの魂を形作っていたが故、実物を見れば何か起きるかと思っていたが、レイラの中で何かが起きたような感覚はない。
レイラは周囲を見渡し、丁度良い大きさの岩を見つけるとその上に腰掛ける。
「……何時までもそこに立ってないで、此方に来てはいかが?」
どれ程の時間をそうして過ごしていたか。
魔力感知に反応があってから全く動きを見せない相手に声を掛ければ、背後より草を踏む音と共に一つの気配が隣に立った。
見やれば、まだ幼さの残る少年と青年の間に居るような子供――――メローナに襲われている最中、ヴァレラルが必死に守ろうとしていたカリストリス第二王子であった。
「何か御用?」
「そなたに聞きたいことがある」
本来このような場所に居るはずのない人物であり、あくまでも偶然居合わせた他人の空似として接するレイラの態度をカリストリスも否定しない。
その代わり、カリストリスはただ真剣な瞳をレイラへと向けていた。
「……血を流す争いを生むと分かっていながら、何かを成そうと思う者をそなたはどう思う?」
カリストリスの問いに、レイラは答える言葉を考える。
ただそれは難しい問の答えを持ち合わせていないからではなく、どうすれば不敬に当たらぬかと考えてしまったからだ。
レイラはとうの昔にその道へ踏み入り、進み続けるために悩みすらしなかった人間である。しかもカリストリスとは違い、ただただ我欲を満たさんが為にやって来た人間だ。
故に勝手に争いたがる者たちの血など流させておけば良い等とは口が裂けても言えず、逃げるようにレイラは煙管を咥えて火を付ける。
「……その問いへお答えする前に、一つだけお聞きしても?」
「なんだ?」
「貴方様がどんなお立場にあるかは分かりませんが、貴方様が何かを成すまでに流れた血と、成さずに流れる血を考えた事は御座いますか?」
「成さなかった時に流れた血……?」
怪訝そうにするカリストリスの顔を見詰め返し、その顔立ちに残る幼さにどれだけ聡明でもカリストリスはまだ子供なのだと気付く。
レイラの記憶が確かであれば、カリストリスはまだ一二歳。
目先の数年の事は思い描けても、それから先の事――――一〇年、二〇年も先の事などそう簡単には想像もできないだろう。
なにせ自身が歩んできた人生よりも長い時が流れた先のことなのだから、難しくて当たり前なのだ。
自分はどうだっただろうかとかと考え、直ぐに参考にならないなと諦める。
今世は兎も角、前世の段階ですら一二の頃には〝彩〟が魅せる愉悦を知り、存分に味わう為の綿密な計画を立てていた。
ここからどう転がせば最良の結果になるかを考え、言葉を捏ねくり回す。
「……私は此処より更に北、アルブドル大陸の数ある開拓村の一つで生まれ、其処が私の故郷でした」
「でした?」
「えぇ。もう随分と前の事になりますが、私の故郷は攻め込んできた蛮族によって滅ぼされました」
なんの気負いもなく――事実、何も感じていないが――告白された事実にカリストリスは目を剥き、沈痛な表情を作る。
いきなり重い過去を打ち明けられれば誰もが似た表情をしようものだが、カリストリスの表情に作った物は感じず、愛憎渦巻く王宮で暮らしていた割に随分と純粋なのだなと思いながら紫煙を一つ吐き出した。
「当時非力だった私は村を救う事は出来ず、冷たくなった顔見知りを置き去りに逃げ出すことしかできませんでした」
「…………」
「一人で逃げ出すことしかできなかった私ですが、そんな私よりも早くに逃げ出していた者達がいました。誰だと思います?」
「……その場に居た冒険者、とかか?」
カリストリスの答えに首を振るレイラ。
ぷかりと紫煙を吐き出し、今でも鮮明に思い出せるあの光景を脳裏に描く。
前世の頃から恋い焦がれ、自らの手を汚して見届けた人の〝彩〟。
言語を有する知性体である遊鬼を先に仕留めていたせいで僅かに霞みはするものの、念願を叶えてくれた愚かな一家の事をレイラは忘れる事は無いだろう。
「村長一家が真っ先に逃げ出していたんですよ。それも救難を報せる狼煙も上げずに」
まさかと言う表情を浮かべるカリストリスに対し、レイラは目を伏せる。
アルブドル大陸だけでなく、王国では村や小規模な集落では村長などの長となる者の宅に共通した物が常備されている。
それは火に焚べれば、天高くまで立ち昇る真っ赤な狼煙の点火剤。
非常時に近隣の村々へ危難を伝え、巡察吏や兵の詰め所、砦に救援を求める為のもの。
万全の防備を常に備えられる村は存外少なく、そういった村々に警戒を促し、純戦力に助けを求めるのは村長などの住民達を束ねる立場にある者の義務である。
そう。
役目ではなく、義務なのだ。
あの村長達は罰則すらある義務を果たさずに逃げ出していたのだ。
つくづく愚かな者達だと思うものの、そのお陰で今の生活を勝ち得たのだからレイアとしては有り難くもあったが。
「もしあの時、村長達が狼煙を上げていたら何人かは助かっていたかも知れません」
「………だが、それは結局たらればの話だろう」
苦々しい顔で俯くカリストリスに笑い掛け、煙管に蓋を落として火を消したレイラは腰掛けていた岩から飛び降りる。
そしてカリストリスの前に立ち、自身よりも低い位置から見上げてくる瞳を見つめ返す
「えぇ。貴方様の仰る通り全ては推測、あったかもしれないと言う妄想の話。あの時、村長達が狼煙を上げていても救援は間に合わず、私を含めて誰も生き残らなかったかもしれません」
「ならばッ――――」
「ですから、最善となる未来を掴み取る為に選択するのです。選択しなかった未来、選択して起きる未来の両方を天秤に掛けて。決して後に悔いる事がないように」
「……悔いが残らぬように」
薄く控えめな笑みをカリストリスへと向け、レイラは自身の役目は終えたと判断した。
これ以上不敬にならぬ範囲でレイラに語れる事はなく、不敬罪に問われる可能性を犯してまで協力してやる義理もない。
「結局、貴方様の質問にお答えする事はできません。一平民に過ぎない私は答えを持ち合わせておりません故。ですがそれでも迷う事があるならば、周囲に耳を傾ける事をオススメ致しますわ。信のおける配下がする耳の痛い苦言には特に、ね」
最後にそう締め括ったレイラはこの後どうするか問い、まだこの場に残ると答えたカリストリスへ深々と頭を垂れたレイラはその場を辞そうとした。
「待て。最後に一つ、そなたに聞きたいことがある」
これ以上何を語れと言うのかと呆れる感情をひた隠し、振り返るレイラにカリストリスは意を決したような表情を浮かべた。
「その後、逃げ出した村長一家はどうなった?」
「死にましたよ。私の目の前で」
僅かに目を見開き、そして俯くカリストリスを鑑みずにレイラは今度こそその場をから去るのだった。




