52 その冒険者、最後の希望につき――
レイラに投げ渡された念話の指輪から届く男の声に従い、術式を書き上げたヴァレラルが見たのは人面蟲に群がられるレイラの姿だった。
「嘘、だろ……」
誰かの呟きに返される言葉はなかった。
同輩たちが命を賭しても劣勢になっていた人面蟲を容易く屠り、到底敵わないと思えるメローナを相手に渡りあっていたレイラの呆気ない末路に言葉を失った。
希望を胸に抱き、生存を夢見た人間がその希望を奪われた時の絶望は如何ほどか。
聞こえるはずもない心が折れる音を聞いたヴァレラルが振り返れば、膝から崩れ落ちている生徒が何人も居た。
組織立った抵抗は無理そうだと苦笑いを浮かべたヴァレラルは一人魔具を手に持って前に出る。
しかしそんなヴァレラルの手を引き、引き止める者が居た。
「もう良い!!もう良いのだ、ヴァレラル。吾を差し出せ。そうすれば貴殿らの助かる目も残ろう」
偽装の為に身に付けた口調も投げ捨て、カリストリスとして引き留めようとする姿に優しげな笑みを返す。
「殿下のその優しさを頂けた今なら、アレも倒せそうな気がしてきますね」
何故と言わんばかりのカリストリスに手を優しく引き剥がせば、同じような表情を浮かべたロスナンテスとマルティアナがヴァレラルの隣に立つ。
「此処まで共にして来たんですもの、最期も共に行きますわ」
「どうせ死ぬんだ、ならば潔く散るのも悪くはないだろう。この粗暴な鹿女と意見が一緒なのは癪に触りますがね」
最期の最期まで啀み合う二人に仕方ない奴等だと苦笑いを浮かべるヴァレラルだったが、理解できない者が一人いた。
「何故、何故そこまで命を賭すのだ?お飾りに過ぎぬ王族を護る意味が何処にある?」
今にも泣き出しそうな程歪んだカリストリスの表情は、王族として律していた凛々しさはなく、歳相応の幼さを感じさせるものだった。
そんなカリストリスに、不敬だと思いながらもヴァレラルは頭に手を乗せ優しく撫でる。
「確かに私達は貴方様が王族だからこそ命を賭してお守りしています。しかしそれは王族だからではなく、貴方様であるからこそ守るのです」
「そうね。私も王族だからではなく、貴方様だからだけでもなく、王族である貴方様だからこそ覚悟ができましたわ」
「鹿女に台詞を取られてしまいましたが、私も同じ気持ちですよ殿下」
カリストリスの疑問に答える二人はヴァレラルに倣ってカリストリスの頭を撫でいていく。
それでも解せないと顔に出ているカリストリスの前に膝を突き、ヴァレラルは真剣な眼差しを向ける。
「我々は貴方様が良き王と成り、我等が祖国をより良く出来ると確信しているからこそ命を賭すのです。故に諦めず、最後まで生き延びて下さいませ」
「しかし生き延びよと言ってもどうやって……?」
「もう学院の中まで救援が来ております。どれほどの時間で此処まで辿り着けるかは分かりませんが、希望は残っております」
ただの気休めでしかないが、それでも希望もなく居るよりはマシだろう。
それだけ言い残し、立ち上がったヴァレラルはカリストリスに背を向ける。そしてわざわざ待ってたのだろう、傲然と構えるメローナに対峙する。
『その様子だと、結界を破った者が居るようですわね。とはいえ殿下を始末するまでに此処へ辿り着くのは不可能でしょうに。それに頼みの綱の冒険者も死んだのです。素直に殿下を差し出されては如何ですか?』
「吐かせ下郎が、我等を侮辱するのも大概にしろ。どうせ殿下を殺したあと、我等も殺す気であろうに見え透いた甘言を弄すな」
ヴァレラルの言葉にメローナの答えは邪悪な笑い声。
真意など透けて見えたヴァレラルは武器を構える。
そしてマルティアナが放った火球の魔術がメローナの甲殻に吸収される姿を見ながらヴァレラルは駆け出した。
ヴァレラルとて自分が死ぬことは理解していた。
それでもやらねばならない時がある。
心の内で迷惑を掛けるだろう義兄、そして自分達の為に先に散って逝った者達に侘びる。
「ゼァあああああ!!!」
気焔を上げ、遥かな高みに居るメローナへ斬りかかろうとしたその時、講堂に爆発に似た音が響き、次の瞬間には真紅の影がメローナの背後に浮かぶ。
そしてどう料理しようかと舌舐めずりをせんばかりに油断していたメローナの頭部を背後から不意打ち、その巨体を豪快に弾き飛ばす。
一体何が起きた。
そう思う間もなく、真紅の影はヴァレラルの眼前に降り立った。
「陣は?」
「レ、レイラ、なのか?貴様、生きて――」
「陣はできたのかと聞いてる」
眼前に立たれて漸く真紅の影が流血に染まったレイラだと気付いたヴァレラルだったが、安否を問う言葉は怖気が走るほどの獣性が滲む琥珀の瞳に遮られる。
思わず無用の長物になってしまったと思っていた魔法陣を指差したヴァレラルに頷くでもなく、テーブルを巻き込んで弾き飛ばされたメローナを見やるレイラ。
「下がってろ」
たった一言。
それだけで魑魅魍魎蔓延る貴族社会を生き抜いてきたヴァレラル達を従わせたのは、立ち上るようにも見える強烈な殺気。
しかし纏う空気に反し、レイラの姿は悲惨なものだった。
左腕は折れた骨が皮膚を突き破り、身体の至る所は噛み千切られたように抉れ、全身を染めあげる程の出血は致命傷一歩手前であるのは明らか。
そんな立っているのが不思議なほどの様相にも関わらず、レイラの怒気の孕んだ声音に誰もが従わざるを得なかった。
テーブルや人面蟲の死骸に埋もれたメローナから目を離さず、レイラはヴァレラルの書いた陣の上に立つ。
そして有無を言わさぬ気迫を洩らしながら、比較的無事な右腕を差し出してくる。
「指輪」
「は?」
「さっき渡した指輪を早く寄越せ」
短説過ぎる言葉に遅れて理解したヴァレラルが反射的に指輪を差し出すのと、メローナの巨体が埋もれていた残骸が飛び散るのはほぼ同時だった。
『こォの、死に損ないガァアアア嗚呼ア!!!』
耳を劈く金切り声を上げ、怒気を垂れ流したメローナに誰もが竦み上がる。
アレに挑もうとしたのかと自身の愚かさを痛感させられるヴァレラル達を他所に、何やら指輪に話しかけたレイアは酷薄な瞳を向けるのみ。
そして目にも留まらぬ速度でレイラに迫り、メローナが拳を振り上げたその瞬間、まるでレイラを包み込むように昏い影が魔法陣より溢れ出る。
光を受けてなお底の見えない闇のような昏い影が溢れ出そうと、メローナは臆する事なく拳は振り下ろす。
しかし人の身など容易く肉塊に変える拳がレイラを捉えることはなかった。
「いやはや、随分と豪快な歓迎だネ。嬉しさで思わず涙が出そうだヨ」
影に触れた拳から金属を叩く硬質な音が響き渡り、軽薄な印象を与える男の声に誰もが困惑した。
そして弾けて消えた影の繭から現れたのは、暗銀の柩で拳を受け止める老年の男。
「君がヴァレラル殿で良いのかネ?」
「あ、あぁ。確かに私がヴァレラルだが……」
「ウん?あぁ、君とは始めましてだったネ。あの性悪女のレイラと一党を組んでいるヴィクトールだヨ。以後、お見知りおきを」
軽薄で、胡散臭く感じさせる訛りの強い口調に反し、レイラですら正面から受け止めるのを避けたメローナの拳を片手で持った柩で受け止める姿は異様としか言い様がないだろう。
さしものメローナも警戒したのか、一跳びで距離を取る。
『死に損ないが何をするかと思えば、ボロボロの老いぼれと入れ替わるだなんて、一体何を考えてるのかしら』
確かにメローナの言うとおり、ヴィクトールは革の上着ごと至る所が切り裂かれ、内に着た生成りのシャツは流れ出た鮮血によって真っ赤に染め上げられている。
レイラ程ではないにしろ、ヴィクトールも重症であるのは間違いなかった。
しかしヴィクトールが胡散臭い笑みを崩すことはなかった。
「死に損ない、ネ。ふム、レイラは随分とこっ酷くやられたみたいだネ。なら後でその姿を笑いに行くとしよう」
『聞き捨てならないわね。貴方、私に勝つ気でいるのかしら?』
「当然だとも。これでも害虫駆除は得意でネ、図体がデカくて硬いだけの蟲なんて特にだヨ」
あからさまな挑発。
人であれば青筋が浮かんでいるだろうと分かる怒気が溢れ出るメローナに代わり、数匹の人面蟲が躍り出る。
しかしヴィクトールはそんな事に構わず振り返り、レイラが守り通した生徒達を見渡してから仕込み杖の刃で床を叩く。
直後、床から突き出た結晶に人面蟲は刺し貫かれ、ヴァレラル達の足元の床材が結晶へと変わる。
「アレを始末するまで、そこで大人しくしていてくれ給えヨ」
ヴィクトールのその言葉を最後に天井まで伸びる結晶によってヴァレラル達の視界は遮られ、くぐもった音しか伝わらなくなってしまう。
「……どういうことなの?」
思わず触れた結晶の硬さに怪訝な顔をするヴァレラルの傍にマルティアナも立ち、同じように結晶に触れるが、その表情は訳が分からないと言わんばかりだった。
「アレはどうやらレイラの仲間らしい」
「と言うことは、貴方が隠れて何かやっていたのは、もしかして入れ代わりの術式を書いていたの?」
「あぁ。とはいえ、私もなんの魔術の術式を書かされていたのか、あの瞬間まで知らなかったがな」
どうせ入れ替わるのならカリストリスと入れ替わってくれればとも思いはしたが、ヴィクトールの姿から向こうでも厄介な相手と戦闘になっていたのかもしれない。
そんな状態でレイラと入れ替わっても状況が好転するとはヴァレラルには到底思えなかったが、何らかの勝算があるからこそ、レイラは瀕死になっても魔術を発動させたに違いない。
ならばヴァレラル達に出来る事といえば、ヴィクトールが勝利するのを祈る事だけだった。
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