42 その挺身、無意味につきーー
「どうして、そこまで命を賭けられるのですか。第二王子に、貴方達が命を賭ける価値などないというのに……」
小さく、けれどしっかりと耳に残る声。
三人が揃って振り返れば、俯き、震えながらも第二王子のカリストリスの澄んだ瞳が向けられていた。
そしてヴァレラルの立ち位置と心からの声音、それによってカリストリスの正体に気づいた二人は顔を見合わせ、一拍おいてから朗らかな笑みを浮かべる。
「そうですわねぇ。私の家は御覧の通りの亜人族の多い家系ですし、領民も亜人種が多く暮らしておりますわ。故に神聖皇国と繋がりが強い第一王子を国王にすることは出来ませんわ」
「我が領も銀鉱の工夫、下町の住人に多くの亜人種がいる他、錬鍛神を篤く信奉している者が多い故、レラスティア教が広まれば治世どころではなくなってしまいますので」
隠すことなく事情を吐露した二人にカリストリスは顔を伏せる。
それは第二王子と言う立場にしか期待をされていない故か、それとも他に思う所があるのかは俯いた顔からは読み取れない。
しかしそんなカリストリスに構わず、笑みを深めた二人の口は止まらない。
「第二王子殿下はおそらくお人よしなご様子。傲慢すぎるのも問題ですが、優しすぎる人間を見ると放って置けなくなる性分なもので」
「そうですね。ああも素直で、驕られないと王族としてやっていけるのか些か心配になってしまいますわ」
打てば響くような軽妙な会話。
顔を合わせれば貴族らしい会話しかしない二人を知るカリストリスは思わず顔を上げた。
「それでいて仕えたい、この方の元であれば明日が良くなると思わせるのですから質の悪い方ですわ」
「貴様に同意するのは癪だが、全くもってその通り。それに優しいだけならそれまでですが、しっかりと自身の意思を持って線引きの出来るお方は貴重。そんな人が王であれば、治世はさぞ安定するでしょうな」
「まぁ、私は第二王子殿下にお会いしたことないんですけどね」
「おや、貴女もですか。それは嫌な奇遇ですね……」
漫話のような会話を繰り返す二人にカリストリスは唇を噛む。
二人は第二王子としてのカリストリスとは会ったことも、会話したこともない。
しかしカリストリス扮するルステオ伯爵家の令息となら幾度となく言葉を交わし、その能力も、人柄も、どんな人物なのかもよく知っているのだ。
それらを踏まえ、お家の事情を加味してもなお、カリストリスを守るべきだと良家の二人は判断した。
王子の事など知らないという建前を突き通してでも。
「それでも、私には――――「まったく、仕方ねぇなぁ!!」
最早自分が第二王子であることを隠そうともしないカリストリス。
しかしその声が意味を結ぶ事はなかった。
カリストリスの背後。
後団で全体を視界に収めていた狼人の令息――――ゼランダム伯爵家のフェロシウスが今まで装っていた貴族として礼法を投げ捨て、粗雑に頭を掻きながらカリストリスを後ろへと押しやったのだ。
目を白黒させるカリストリスを他所に、一人、二人と後段に下がっていた貴族の中からロスナンテス達と並ぶように立つものが増えていく。
「戦えねぇ奴ぁ、後ろに引っ込んでろ!!ったく、ルセルタ家に先越されちまったって親父に知れたら叱られちまうぜ」
武門として鍛錬を積み、アルブドル大陸で領地の安堵の為に先陣に立つことを誉れとしている狼人の隣に神経質そうな男が並び、矮人、小太りで戦えそうには見えない生徒すらもがカリストリスの前に立って壁を作り出す。
「ふん。非常時に本性を出してしまうような輩に任せるのは些か不安がありますからね。不服ながら力を貸しましょう」
「自分は三男ですし、どうせ死ぬのなら誰かを庇って死ぬというのも童話の主人公にでもなったようで良いですな」
「欲を言えば挺身するのですから、我が家に手厚い〝御礼〟があると嬉しいですな」
講堂にいた全員ではない。
しかし少なくない数の者がヴァレラルに並び立ち、使用人から武器を預かって少しでも時間を稼ぐべく構えてみせる。
その誰もがルステオ伯爵家の人間としてカリストリスと接してきた物達ばかり。
そして全員が王子と言う地位にいる者にではなく、カリストリスという第二王子だからこそ死地に立つことを選んだ者たち。
「なぜ……」
誰も王子の為と口にしないが故にカリストリスはそのことに気づいていないが、ヴァレラル達もそれを教えはしなかった。
もし壁役として多くの骸が積み重ねられた時、自分達の死がカリストリスの心を縛り歩みを阻む枷にならぬようにと。
「さぁ、覚悟を決めよ!!気張れ!!此処で生き残らなければ奴儕は再び影へと潜み、いつの日か吾らの領地へと、護るべき者へと、愛しい者へと毒牙を剝くぞッ!!」
カリストリスが何か行動を起こす前に高らかに声を上げ、ヴァレラルは居並ぶ者達の戦意を掻き立てる。
そして戦い慣れぬ者の腰が引けぬ内に、後に引けないようヴァレラルは使用人達を引き連れて先陣を切る。
「ゼァあああああ!!!」
心に巣食う恐怖を打ち払うように気炎を上げ、引き倒された使用人に群がっていた魔蟲の中で一際身体の大きな魔蟲へと斬り掛かる。
まさか打って出てくるとはと言わんばかりに目を見開くメローナに口角を釣り上げ、仲間を切り捨てられて僅かに戸惑っているようにも見える魔蟲を蹴り飛ばす。
ヴァレラルが作り出した隙間へ使用人達が喰らいついて強引にこじ開け、そこへ他の貴族やその供回りが雪崩込んで魔蟲達を蹴散らしていく。
「不用意に広がるな!剣を扱えぬ者は魔法で毒液を防げ!!威力はいらん!!撒き散らされる毒液を浴びないように出来れば十分だ!!!」
魔蟲が毒液を撒き散らすのを見たヴァレラルはその特性に気付いていた。
確かに毒液は凄まじい物であったが、その全てが霧状となって毒腺のある尾先から吐き出される。
そして散布された毒液は広範囲に広がり、少しの間だけ中空に漂う。故に撒かれた毒液は即座に全身にまとわりき、抵抗する間もなく致命傷へと至るのだ。
逆に言えば霧状に散布するせいで毒液は軽く、魔法などでも簡単に吹き飛ばせる。
それに接近戦が不得手な者に明確な役割を与えればが不用意に前に出て死んだり、戦い自体に不慣れで高威力の魔法や魔術で仲間を巻き込むのを防げるという効果もある。
そしてヴァレラルの考察は的中し、追い風となるように吹き抜ける風のお陰で幾人かをまとめて溶かそうと散布された毒液は相手に届くことはなく、無防備に晒された尾を切り飛ばされる。
毒液という脅威が薄まり、勢いに乗ったヴァレラル達は次々と魔蟲を屠っていった。
「そんな事をした所で所詮はただの悪足掻き。無駄に死に怯える時間を延ばさなくても宜しいでしょうに」
しかし前に出て来ていた魔蟲を退けても、メローナが浮かべる余裕の表情を変える事はできていなかった。
ニマニマとした見下すような笑みを浮かべ続けるメローナに奥歯を軋ませるヴァレラルだが、脳の底は凍てつくほどに冷静だった。
「……吾ら相手に全力を出す必要もない、か」
メローナの横にはまだ他の魔蟲よりも一際大きい魔蟲たちが並んでおり、初動で前に出てきた数体以外は未だ健在のまま。
最初の不意打ちで一体は切り捨てたが、その時の手応えは不意打ち以外では相手取るのも難しいとヴァレラルに思わせるには十分なほどに硬かった。
並の才能しかないものの、元冒険者の母と戦場に幾度となく立ってきた父に鍛えられてきたヴァレラルですら不意打ちでしか討てないのに、この場にあの魔蟲達を相手に戦える者がどれほど居ると言うのか。
なんとか屠れた小型の方の魔蟲達にしても、まだ講堂にいる半分も倒していない。
今は勢いに乗り、ただ漫然と死の順番を待つよりも時間を稼げているが、もしメローナが本気を出した時にどれほど持たせる事ができるかを考えると暗澹たる思いが首を擡げる。
「この調子だとあまり長くは持ちませんわね……」
飛び掛かってくる魔蟲を軽くいなし、引き裂いたドレスから顕になった脚で蹴り飛ばしたマルティアナが僅かに肩で息をしながら渋面を浮かべる。
「何故です?今の所は余裕があるように思えますが……」
「……これだから温室育ちは。見てお分かりになりませんか?向こうは主力を温存中、対してこちらは不慣れな戦いに既に息が上がっている者もおりましてよ」
「…………武家と同じことを期待してもらっては困るのだがね」
ヴァレラルと同じことに気付いているマルティアナの憎まれ口に顔を顰めるロスナンテスもまだ余裕はあるものの、状況を正しく理解したのか険しいままだった。
「どのみち時間の問題なら殿下だけでも逃せないかしら?」
「可不可であれば可能だが、今より長く持たせられるかは微妙な所だろうな」
「殿下がこの講堂から出りゃ、向こうも流石に本気にならぁな」
魔具を両手に暴れまわっていたフェロシキウスも合流し、ヴァレラルが懐いていた懸念を代弁する。
最早宮廷語の影もない砕けた下町口調にロスナンテスは顔を顰めるが、フェロシキウスは気にも留めず尖った三角耳の根本を掻きながらため息を吐く。
「貴方でも無理なの?」
「窓から殿下を抱えて飛び出すことはできるが、その後がなぁ……」
「奴は殺すために来たのだから、逃げ道も当然塞いでいるだろう。それらを殿下を護りながら突破し、追ってくる大型魔蟲の相手は荷が重すぎる」
「んだな。それにあのクソアマの強さも分からねぇ。ただ、そこらの蟷螂人じゃないって事は――――」
言葉を途中で切り、目を細め、三角の耳を忙しなく動かし始めたフェロシキウスの様子に全員の緊張が否が応にも高まった。
そして遅れてマルティアナも自身が持つ鹿の耳を忙しなく動かし始める。
「妙な音がするな」
「確かに。あの魔蟲達とも違うようですけど、一体何が……?」
気付けばメローナも何かを探るように自身の背後――――弾け飛んだ扉の先にある廊下の方をジッと見つめており、その横顔には今までの余裕はなく、真剣そのものだった。
そして幾ばくもしない内、普通の聴覚しか持たないヴァレラル達の耳にも聞き取れるほどの物になる。
「誰か、戦ってるのか?」
「……少しずつ近付いてますわね」
その音に規則性はなかった。
講堂まで届く音は硬質な物が叩きつけられるような豪音から、硝子が砕け散る快音、水気を含んだ物が潰れるような怪音など、種類の違う音が代わる代わるに響いてくる。
「助けが、来たのか……?」
全員が音を拾おうと耳に意識を傾けていたせいか、誰かが呟いた声が嫌に耳につく。
それに促された訳ではないだろうが、メローナは講堂の入口に向いたまま、ヴァレラル達を見ることなくその靭やかなじ疑似手で指差した。
「ッ!!不味い、来るぞッ!!」
メローナの無言の指示に従い、魔蟲たちが一斉に動き出す。小型も大型も関係なく、その場にいた全ての魔蟲が。
魔蟲たちは一塊となって主人達の前に並んでいた使用人達へと喰らい付き、瞬く間に守りの一部に風穴を開ける。
このままでは不味いと悟ったフェロシキウスと数人の貴族と共に前に出て穴を塞ぎに掛かるが、迫る魔蟲の動きに目を剥いた。
「くそッ、コイツら急に動きが変わりやがった!!」
振るわれる魔具を躱そうとすらせず、その身を切り裂かれても走り抜けようとする魔蟲達にフェロシキウス達は思わず鼻白む。
躊躇わず、そして止まりもしない魔蟲の勢いに幾人かはなんとか対応してその場に踏みとどまる事ができたものの、おりしもフェロシキウスの隣にいた貴族が魔蟲に押し倒されてしまう。
「クソッタレが!!」
一匹でも足止めしなければならないこと。
すぐ隣にいつ襲ってくるか分からない存在がいる危機感。
勢いの増した魔蟲たちを前に、一人でも戦える者を失う意味。
その他あらゆる情報が直感に働きかけ、フェロキシウスの身体は考えるよりも早く貴族に伸し掛かる魔蟲を斬り捨てた。
「待て、フェロキシウス!!後ろだ!!」
しかしその行動は致命的な状況を招いてしまう。
フェロキシウスの背後に迫る大型の魔蟲を認めたヴァレラルが叫ぶが――――
「なっ?!まず――――」
――――振り返ろうとした狼人の分厚い頚を魔蟲の鋏が切り飛ばす。
いいね、評価、感想、レビューなど頂けたら幸いです




