27 その試合、児戯につき――
レイラが指導という名の私闘に同意したことで直ぐに場は整えられた。
元々レイラに絡もうと考えた時点で根回ししていたのか、はたまた教官や他の生徒が忖度する程度には似たことを繰り返してきたのかはレイラの知るところではない。
ただ一つ言えることは、忖度であるのならばそれはエイサムにとって有り難迷惑以外の何物でもないということだけだった。
「それで、結局のところ彼の実力はどの程度なの?」
アルブドル大陸側とノルウェア大陸側の出身者で陣営が分かれ、自身の背後で一塊になっている生徒を振り返りながらレイラは聞いた。
既に対面に立つエイサムが侯爵家に長年仕えてきた名門騎士家――――騎士階級は一代限りの爵位だが、当主引退と同時にその嫡子に騎士位を賜ることで騎士位を代々引き継いできた家も存在するのだ――――の長男であり、相応の後ろ盾を持たねば男爵位ですら潰せるほどの名家なのは理解していた。
それ故か、遠回しに負けるように提案してくる生徒も居なくもなかったが、その全てをレイラが満面の笑みで断ったのを見て同じ言葉を繰り返す者はいなくなった。
その代わり、どうせやるならあのムカつく野郎を盛大にぶっ潰せと激励を貰うこととなった。
「…………権力を振りかざすどうしようもない相手ではありますが、地位相応の腕前はあるかと」
レイラを中心とした諍いに巻き込まれるのを嫌った生徒がやや遠巻きに見ている中、そんなもの知ったことかとばかりに堂々と傍に立つラライネが答える。
その勇ましさに反し、実情は騎士となるべく培われた責任感と使命感で関わっているうちに引くに引けなくなってしまっただけなのだが。
それを知ってか知らずか、レイラはラライネにやや挑発的とも取れる視線を送る。
「貴方よりも強いのかしら?」
「……これから手酷く負けるだろう手合いより強いか弱いか聞くのは意地が悪くないでしょうか?」
呆れを多分に含んだ苦笑いを浮かべたラライネにクスクスと笑い掛けるレイラだったが、不意にラライネが真剣な眼差しをする。
「エイサムは我々に対する時は相当なクズではありますが、アレでいて多くの生徒に好かれた男です。そんなエイサムと堂々と戦い下す意味、お分かりですか?」
「諄いわね、そう何度も言われなくても分かっているわ。もしかして貴女も実は彼の事を好いてたりするの?」
「私が?彼を?まさか!!あのクソ野郎は今までその立場を使って女生徒に無理やり迫ることも少なくありませんし、私も一度だけ迫られた事があります。まぁ、襲ったことを後悔させたきりではありますが」
「そう……」
無理矢理犯されることはなかったものの、迫られはしたらしいラライネはそれはそれは清々しい笑みを浮かべた。
流石にこれ以上軽率に踏み込むには関係性が薄いと判断し、レイラは愛想笑いを返しながら嵌めている手甲の留め具に手をかける。
両の手甲を外すだけでなく、今度は手早く胸当てを外し、その下の軟革鎧すらも脱ぎ捨ててラライネに押し付けるレイラ。
「と、ところで、あの、レイラ殿。これは一体……」
「終わるまで預かってて頂戴」
そして袖のないインナー姿と言う、見るものが見ればあられもないと顔を赤くする姿となって異性の視線を一身に集める。
しかし当のレイラは鎧に溜まっていた蒸し暑さから解き放たれ、その開放感を噛み締めるばかりで気にする素振りすら見せない。
これに正常な反応をしたのは、突如鎧を押し付けられたラライネだけだった。
「レイラ殿!これから試合だというのに一体何をしておいでか?!木剣とはいえ下手に当たれば――」
「いい加減、陽射しが暑くて脱ぎたかったのよね。だからちょうど良かったわ」
さも当然だろうと言わんばかりに宣うレイラに唖然とするしかないラライネと、そんな彼女にお構いなく歩み出すレイラ。
そしてようやく始まると悟った衆目がレイラへと集まる。
数多の視線を感じながら臆することなくレイラが周囲を見渡せば、講義に参加していた生徒達と教官達に囲まれている。
アルブドル大陸が出身の者達はレイラを応援するような眼差しを向け、ノルウェア大陸出身の者達はレイラが晒す無様な姿を晒すのを期待するかのような言葉を口にしている。
惜しげなく晒された左腕の術式など気にも止めず。
レイラは何も、本当に暑さに嫌気が差して鎧を脱いだ訳ではない。
初歩の初歩とはいえ魔術に関する知識を納め、戦う術を身に着けた者達が入れ墨に隠された術式に気付くかどうか確かめたかったのだ。
喩えヴィクトールからのお墨付きがあろうと、蛮族の血が流れるせいか世間知らずな一面もあるため、レイラとしてはどうにも信用しきれていなかった。
しかし他の生徒や教官達だけでなく、ティギルですら入れ墨の仕掛けに対して気付いたような反応はない。
元々、銀葉蔦は神話で〝鎮魂〟や〝貞淑〟の象徴として度々登場する事もあり、地方によっては荒事に身を置く者や未婚の処女が入れ墨として身に刻む事もある図柄だ。
そんな銀葉蔦を未婚の処女であり、また冒険者でもあるレイラが刻んでいたところで違和感がないのだろう。
レイラは改めてこの図柄を描き出し、見事に性癖を歪めてしまった少年に感謝した。
「その格好は一体なんだ。色仕掛けでも仕掛けているつもりか?それとも負けた時の言い訳にでもするつもりなのか?」
そしてレイラの思惑に気付きもしないエイサムの不快気な声が届き、レイラの思考は現実へと引き戻される。
声の方を見やれば全身甲冑を着込み、上げられた面覆いの中から忌々しげに睨み付けているエイサムがいた。
「あら失礼な方ね。手加減出来ない代わりに、貴方様の粗末な一撃でも傷を負えるように鎧を脱いで差し上げたましたのに。私欲で濁った頭ではそんな事もお分かりになりませんか?」
「あ゛ぁ゛?」
そして他所に意識を向けていたと気付かせぬよう煽り文句を口にするレイラ。
随分と安い挑発だが、既に煽っているため効果は覿面だった。
そもそもレイラの丁寧な言葉に含まれた挑発にまんまと乗せられこの場が整えられたのだ。これ以上挑発したところで意味は薄いが、念の為の保険である。
この段になって逃げ腰になるとはレイラも思ってはいなかったが、自分ルールを押し通すのが得意な貴種が相手となれば保険を掛けておくに越したことはない。
流石にここまで煽られて芋を引けば騎士としての名誉に関わり、まだ騎士として叙勲されていなくとも騎士家の名家となれば引くことなど出来よう筈もない。
その証拠に、レイラの豹変に怯んでいた筈のエイサムは今にも殺さんばかりの怒気を含んだ瞳を向けてきていた。
「……無駄話はそこまで。双方、準備はいいか?」
「ッチ、あぁ」
「えぇ。いつでも」
双方が互いに一〇歩の距離で睨み合っていれば、審判役――――一応は講義中のため模擬試合の一環ということになっている――――のティギルが割って入る。
「最後の確認だが、試合中は身体賦活を含め魔法や魔術の使用は禁止。致死の一撃以外はあらゆる手を使うものとし、負傷の責を相手に問わないものとする。これに相違ないか」
「えぇ。勿論」
「ふん、みなまで言われるまでもない」
一応の確認がなされ、ティギルの構えと言う声が響く。
エイサムは即座に面覆いを下ろして正眼に木剣を構え、レイラはだらりと剣を持ったまま動かない。
待てど暮らせど構えようとしないレイラに訝しげな目を向けるティギルだが、レイラが無言のまま始めるように目配せすれば大きな溜め息を吐かれる。
「始めッ!!」
「舐めるなぁあああ!!」
ティギルの合図と同時、エイサムは一息で距離を詰めて剣を振り下ろす。
颶風を伴う木剣を半身になって紙一重で躱し、だらり下げていた木剣を振り上げ、エイサムの腕を打ち据える。
「むッ」
しかし正しく着込まれた鎧下と手甲に守られた腕を木剣で打ち据えた所で、大した痛痒もないだろう。
現に止めどなく繰り出された切り返しの一撃がレイラの眼前を通り過ぎる。
「そう言えば、甲冑を着込んだ相手とやり合うのは初めてね……」
相当重いだろう騎士甲冑を着込んでも淀みなく繰り出される一撃を躱しながら呟くレイラ。
アルブドル大陸で甲冑を正しく着込んでいるものは少ない。
冒険者や傭兵では手が出ないほど高価なのもあるが、〝村喰らい〟のように騎獣ごと鎧を引き裂く蛮族が蔓延るせいで、動きを鈍らせる重い鎧はあまり好まれないのだ。
そのせいか、式典や祭事で姿を見せる騎士達も全身甲冑を纏っている事は少ない。
流れ矢などが飛び交う蛮族との最前線に行けばまた話も変わるらしいが、当面の間レイラがそんな野蛮な地に向かう予定もない。
とはいえ人を狩る機会はまだまだ巡ってくる。
巡り会えるように動いていく。
その時、甲冑を着込んだ手合と相対しないとも限らない。セララリルとの関係を続けていく以上、その機会も多くなるはずである。
騎士甲冑相手の経験を積めると思えば、どうにも興の乗りきらないこの〝お遊び〟も腹癒せ以上の意味を見出だせるだろう。
「どうしたッ!!大見得切ってこの程度かッ?」
最初の一撃以降、反撃もせず見に徹して甲冑特有の動きを把握し、攻略法を考案していたレイラ。
だがエイサムは攻め手を見つけられずに居ると判断したらしい。
このまま無視しても良かったが、体力切れを狙ったと言う言い訳を与えるのも業腹である。
さて、と横薙ぎの一撃を上体を逸らすだけでやり過ごしたレイラは考える。
いくら厚手の鎧下と甲冑の装甲があろうと、関節や可動部の守りはどうしても薄くなる。
それがヘルムと胸当ての隙間である首元ならばなおさらだ。
「こう、かしら?」
故にレイラはエイサムが不用意に振るった大振りの一撃を余裕を持って躱し、視界を狭める面覆いによって生まれた死角から首元を狙った突きを放った。
「ッ?!」
「あら?」
しかし木剣を持つ右手も、木剣の切っ先すらもヘルムによって作り出された死角に置き、最短距離を突き進めたにも関わらず切っ先は空を切った。
そしてお返しとばかりに放たれた切り返しは躱せないと判断したレイラは木剣をずらし、剣の腹で受け止める。
――――ミシッ
エイサムの一刀を受け止めたレイラの木剣が軋みを上げた。
軋みを上げる己の木剣を見て、レイラは追撃として迫る木剣を弾くようにやり過ごす。
そしてエイサムから距離を取りながら自身の木剣に目を落とす。
たった一撃、正面から受けただけで僅かに歪んだ木剣。
そしてビリビリとした痛みを訴える右手。
身体賦活もなく、ただの木剣を受けただけでは決して起こり得ないこと。
だが答えは直ぐに思い付いた。
レイラは追い縋ろうとしているエイサムへ飛び付くように距離を詰め、互いに剣を振るえぬ間合いに入り込む。
手立てがなくなるその距離を嫌って突きこまれる柄頭を躱し、されど身体を押し付けるようにしながら鍔迫り合い持ち込むレイラ。
そして木剣らしい軽い擦過音が響く中、兜を挟んで息を吸い合う距離まで顔を寄せる。
「鉄芯入りの木剣を使うだなんて随分と狡い手を使うのね、騎士様」
証拠はない。
少なくとも試合を終え、エイサムの木剣を改めるまではそれを証明する手立てもない。
白を切られ、改める事が出来なければただの言い掛かりにしかならないだろう。
それに、そもそもレイラの勘違いである可能性もなくはない。
しかし木剣同士が擦れる音が交じる中、確信を持って問い掛ければ、ヘルムの奥でエイサムの瞳が仄暗い〝彩〟の輝きを放つのをレイラは見逃さなかった。
「一体、なんの、ことだかッ!!」
案の定白を切るエイサムに力任せに押し返され、レイラは振り下ろさんとするエイサムの手を打ち据えて自身を捉える木剣の軌道を大きく逸らす。
エイサムの切り返しの一撃を側面から叩いて往なし、一先ず距離を開けたレイラは剣先を向けて牽制しながらも思う。
エイサムの殺意があまりにも薄い。
やる気があるのかと疑いたくなるほどに。
百足人のニナや、その相方であるウォルトと寸止め手合わせをしている時の方が遥かに殺意を感じる。
二人は絶対に殺してやると、例えそれで死んだとしても殺される方が悪いのだと言わんばかりに殺意を刃に載せ、例え死地の間合いだろうと躊躇いなく踏み込んでくる。
それが例え、お遊びのような稽古の中であってもだ。
実戦で躊躇いなく相手を殺せるように。
相手を殺し、自分や仲間が生き残れるようになる為に。
それと比べ、エイサムのなんとやる気のない事か。
決して危険には踏み込まず、常に安全な間合いを保持して剣を振るう。
鉄芯の入った木剣で人を殴れば死ぬこともあるため殺意がない訳ではないのだろうが、死んだら死んだで仕方ないと言わんばかりの薄弱とした意思しか感じ取れない。
絶対に殺してやると意思を激らせ、あと半歩分でも死地に踏み込めばレイラも苦戦を強いられていたかもしれない。
しかし現実は違う。
どんな意思を持ってレイラの前に立ち、どんな手を使ってレイラに勝つつもりなのかと期待してみればコレだ。
特筆すべき殺意などなく、レイラに勝つために用意した手立ては鉄芯入りの木剣を用意した程度。
それはあまりに稚拙で、あまりにも期待外れが過ぎた。
特段高くもなかった期待を下回るのはある種才能だと評しつつ、実戦経験どころか〝童貞〟に過ぎない者の考える事はこの程度なのかとレイラはため息を吐く。
きっとこの薄い意志が、妙に興が乗らない理由なのだろう。
甲冑の動きも、弱点も凡そ把握できた。
ならばもうエイサムの相手をし続ける意味は薄い。
「ホント、期待外れね……」
ならば予定通りに事を進めるだけである。
木剣に鉄芯が入っていようがレイラがやることは変わらないのだ。
ただ真正面からの打ち合いや防御ができなくなり、取れる選択肢が狭まった程度。
元々防具を脱ぎ捨てた時点で鉄芯があろうがなかろうが、当たり所が悪ければただの木剣でも命を奪うのには十分なのだから。
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