20 その女、制服につき――
下賜の為に呼ばれた式典より早くも一月が過ぎ、レイラ達の姿はアルブドル大陸から離れてノルウェア大陸にある王都にあった。
数日前から王都に入り、日程調整のため宿屋に泊まっていたレイラとヴィクトールだったが、漸くレイラの編入の日を迎えたのだ。
「ほぅ、中々様になっているんじゃないのかネ?こう言うのをなんと言うんだったか……遊鬼に鎧?」
「喧嘩を売ってるなら買うわよ?」
まだ日が登り始めるよりも早いこの時間。
王都の中心近くにある学院へと向かうレイラを見送る為、別の日程で王都入りしていたヴィクトールはレイラと久方ぶりに顔を合わせるなりそう言った。
「君の本性を知っていると違和感が凄まじいけど、パッと見はもう普通に貴族の子女だネ。金貨数枚は下らない服の着た感想はどうだネ?」
「着心地は悪くないし、お洒落で良いとは思うわよ。でもやっぱりスカートは趣味じゃないのよね……」
レイラは今、事前に作っていた学院の制服に袖を通していた。
ただし、制服と言っても指定の物はコルセットのように腰元を絞る形になっているジャンパースカートのような物のみ。
上衣であるブラウスは白を基調とした物であれば形は問われず、靴もまた指定に似た形状であれば種別は問わないという緩いもの。
ただその緩さのせいか、在学する女学生のブラウスや靴、更には今お洒落の一環として流行っているスカートから僅かに覗くよう丈を調節したスリップに似た肌着など、自由にできる部分の質やデザインで家格を見せ付ける風潮が出来ているのだという。
それは表向きのレイラと同じく貴族の後援を受けてやってきた平民出身の生徒も変わらず、どの家も自身の懐事情を悟らせない為に高価な物を与えていた。
その為、レイラが身につけている物は全てアルムグラード辺境伯家が誂えた高級品だった。
『ねぇ!!貴女にはこれが似合うと思うの!!』
光沢がありながら、光の当たる角度で淡く刺繍が浮かぶブラウスも。
『やっぱり〝赫の狼〟なんだから、赤かそれに近い色を取り入れた方が良いんじゃないかしら……お姉さま、これなんかレイラの瞳と似た色合いで似合うのではないでしょうか?』
踝近くまである長いスカートの裾から、ほんのわずかに覗く鮮やかな橙色の肌着も。
『奥様方、やはりここは髪色に合わせた方が映えるかと』
髪色に合わせた金の装飾が付いたローファーのような靴も、全てアルムグラード辺境伯夫人方――一部のメイドも参戦していたが――が似合うからと動き易さを求めるレイラの意向を無視して用意された物だった。
「うーむ、やはり違和感が拭えないネ。コレなら誘鬼の下手な踊りを見てたほうがマシな気分だヨ」
「どうも今日この日を命日にしたい人がいるみたいね……」
失礼な物言いをするヴィクトールを睨み返しながらも、しかしヴィクトールの言わんとしていることも分からなくはないとも思うレイラ。
自身の容姿が異性の――勿論同性からもだが――視線を集める程度には整っている自覚はあった。
しかし普段は一つに纏める後ろ髪を緩く巻きながら前へと流し、金貨が何十枚と必要になるような制服に袖を通せば、貴族の令嬢のようにも見えるだから不思議な物である。
とはいえ貴族の後援を受けてやってきた平民出身の生徒は単純な構造のブラウスを、貴種の令嬢はフリルなどがあしらわれた豪奢なブラウスを着るのが暗黙の了解になっている。
学院に行けば、勘違いする人間は殆どいないだろうが。
「一応その服も報酬として下げ渡されるんだろう?店の客達に見せたら上手くチップを騙し取れるんじゃないかネ?」
「嫌よ。何が嬉しくて小銭の為に見世物にならなくちゃいけないのよ」
そんな会話を交えつつ、ここまでの情報交換をしながら店主もまだ寝ている静かな宿を出れば、宿の外には辺境伯家の家紋が刻まれた馬車が停まっていた。
「お待ちしておりましたレイラ様。この度、学院への案内を仰せつかりましたリルファに御座います」
難癖をつけるのが難しいほど完璧なカーテシーでレイラ達を出迎えたのは有角人の侍女。
セララリル付きの侍女だったカリファと瓜二つのリルファは彼女の双子の妹であり、王都にある別邸で暮らす嫡男付きの侍女でもあった。
「何も知らせが来なかったから気にしていなかったのだけど、監視の目は無いと思って良いのかしら?」
「はい。既に周囲一帯に潜んでいた間者は引き上げ、此処には私達だけとなっています」
「そう。ようやくあのウザったい視線から解放されたのね」
王都に入った日より常にレイラには何者かの監視の目があった。
監視されること自体はバルセットを出発する前に忠告されていたため気にしていなかったものの、やはり四六時中誰かに見られているのは気分の良いものではない。
それはレイラであっても変わらない。
「それじゃ私は行ってくるから、貴方もしっかり働くのよ」
「言われなくても給金分はしっかり働くとも。それと君の事だから心配していないけどネ、上手くやり給へヨ」
レイラが学院に行っている間、ヴィクトールはヴィクトールで役目を与えられていた。
流しの魔術師と言う滅多に居ない存在を利用し、魔術的な視点を含めて市井での情報を収集すること。
魔導師としての地位を獲得したものは、須らく名と容姿を台帳に記載され、軽々に所属する領地を離れられなくなる。
そして領地を離れる際には必ず通過、あるいは屯留する領主に通達しなければならず、魔導師を密かに派遣して内々に調査をすると言うのは非常に難しく、また露見した時のリスクも高い。
しかしヴィクトールは魔導師と遜色ない知識がありながら、正式な魔導師ではないため通達の必要はない。
またアルブドル大陸では〝村喰らい〟を討った事で誰もが知るほど名が売れたものの、海峡を挟んだノルウェア大陸ではほぼ無名。
更にレイラと違ってヴィクトールは担いでいる〝エルダンシアの柩〟の方ばかりが広まっており、容姿について語られていると言うこともない。
そのため、目立つ〝エルダンシアの柩〟さえ隠してしまえば他家――特に辺境伯家と対立陣営に属している――がヴィクトールを監視するのは難しく、密かに情報収集するのにヴィクトールは打って付けの人材というわけだった。
「ではヴィクトール様は後ほど」
「はいはい。また拠点とする宿を見繕ったら知らせるから、良しなに頼むヨ」
頭を下げるリルファに適当な相槌を返すヴィクトールを眺めながら獣車に乗り込み、続いてリルファも乗り込めば獣車は動き出す。
「では学園に到着するまでの間、改めて確認致しますがよろしいですか?」
「えぇ、どうぞ」
ゆっくりと流れる景色を眺めながら、対面の座席に座るリルファに首肯を返すレイラ。
「では先ず、レイラ殿は学院に入った後にはヴァレラル様と接触して頂きます」
「ただし此方からは動かず向こうからの接触を待つ、よね」
「はい。レイラ殿は時期外れの編入と言う事もあり、多くの教員生徒から注目されているでしょう。ですのでレイラ殿からヴァレラル様に接触してしまうと要らぬ疑いを掛けられかねませんので」
学院内には明確に貴種と平民の区分は分けられている。
幻想小説では定番の学内では皆平等などと言うことはなく、貴種と平民では暮らしている寮も、食事をする食堂も、受けられる授業も違う。
また平民から貴種に声を掛ける行為も許されておらず、貴種もまた品位を落とすとして軽々に平民へ声を掛けることもできない。
唯一、貴種と平民が公に交流を持てるのは教える教員が限られている専門的な授業か、貴種が開いたサロンに招待状でもって招かれた場合のみである。
つまり編入後は何らかの手段で秘密裏に接触しなければならないが、注目されているレイラから動くと他派閥に露見する可能性が高いと言うことだ。
ただしセララリルの息子であるヴァレラルに異常がなければ、レイラの編入を知らされていないヴァレラル側から動きを見せるだろうとの事だった。
つまりレイラの編入自体が、ヴァレラルやその周辺の異常を調べる為の試金石でもあるのだろう。
「もし仮にヴァレラル様からの接触が一月経ってもなかった場合、速やかに報告お願い致します。別の対処を講じる必要がありますので」
「分かったわ。それまでの間、私は報告ができる環境構築、学院内の情勢を把握すればいいのよね?」
「はい、ただ報告環境を整える以外は無理に行う必要はありません」
現状、学院内の勢力は過半が辺境伯と対立関係にある陣営で占められている。
故にレイラの風当たりは強くなることが予想され、主目的以外は出来れば御の字と言った所らしい。
元々アルブドル大陸の貴種に首輪を嵌める役割がある学院とはいえ、数年前までは勢力に偏りがあった訳ではなかったと言う。
それが変わったのはここ数年、玉座に座す国王が寝所に伏してから嫡子長男である第一王子を擁立しようとしている陣営が幅を効かせる様になったらしい。
そして第一王子を取り巻く陣営はアルブドル大陸のこれ以上の開拓に反対している縮小派。
つまりアルブドル大陸の開拓には及び腰であり、最近に至っては開拓の最前線を護る北方砦群の軍縮という意向――北方砦に詰める軍人は全て王国軍なのだ――を周囲に漏らしているのだとか。
対して辺境伯側は謂わば推進派。
ただし次期王に推そうとされている人物が擁立されることに前向きではなく、セララリルは迂遠に隠そうとしていたが随分と旗色が悪いのが伺えた。
他にも日和見派も居るにはいるらしいが、今回の一件に絡んでくることはないから無視して良いとセララリル直々に伝えられていた。
他にも込み入って面倒な事情が絡んでいるらしいが、それは学院に入れば直ぐに分かると明かされる事はなかった。
「それと、こちらがお預かりしていた鎧一式と鎧櫃になります」
リルファがレイラの前に差し出してきたのは、新しく仕立て直されたレイラの鎧櫃である。
長年使い込んでいたため随所が痛んでおり、学院に持ち込むには不向きだとしてあたらしく作り直されたのだが、しかしそれだけが理由ではなかった。
「へぇ、上手いこと隠したものね」
「一流の細工師に作らせましたので。使い方はここにある仕掛けを動かせば、レリーフとして偽装しております斧頭と柄が外れますので、非常時には組み合わせてお使いください」
学院内に武具の持ち込みは可能だった。
授業の中には剣術や武術もあり、何年も授業を受けるのならば自身に合わせて誂えた物を使いたいと思う者は多い。
ただし、武器に関しては必ず刃引きをせねばならず、また持ち込める武器は剣のみと限られていた。
当然、魔具による武具は持ち込み不可。
しかしそれを律儀に守っていては困るのはレイラだ。
刃引きされた剣ではただの鈍器でしかなく、不測の事態が起きている可能性の高い学院で使い慣れていない武器しか手元にないのでは、満足に依頼をこなせない可能性すらあり得た。
また学院を含め、ノルウェア大陸側の問題意識にも些か原因があった。
ノルウェア大陸側の貴種や治世に関わる文官達は、陽光結晶を欺く術を手に入れたことの重大さを正しく認識できていないらしい。
辺境伯が王都の別館に住まう嫡男を通して王宮に警告を発しても、まともに取り合うものは少なく、警備体制の見直しなどが行われた痕跡はないと言うのだ。
国王に信を置かれ、アルブドル大陸の治世を任されている辺境伯の言葉といえど、ノルウェア大陸側からしてみれば未だに蛮族が蔓延る野蛮の片田舎の事情と言う認識しかなく、自分達には関わりのない事だと思っている節すらある。
そんな状態の学院になんの武器も持たず乗り込むのはあまりに無謀だとして、セララリルは〝斬り裂き丸〟を持ち込むための細工を用意し、戦斧の魔具も服などを仕舞っている長持ちの支柱として紛れ込ませてあるのだ。
「リルファ、もうすぐ学院に到着するぞ」
「そう、わかったわ」
長々と話していたつもりはなかったが、どうやら相当話し込んでいたらしい。
御者台から聞こえた声にレイラが外を見やれば、所狭しと建物が並んでいた周囲は大きな庭付き家屋が立ち並ぶ中心区画へと変わっていた。
もう間も無く七面倒な依頼の現場へと辿り着くだろう。
ただでさえ政というやる気が微塵も出ない依頼にも関わらず、数ヶ月に渡って至福の瞬間を味わえないと思うとげんなりとするレイラ。
「レイラ様、こちらを」
物憂げな溜め息を溢すレイラを無視したリルファが手を差し出した。
レイラが気怠げにその手を覗き込めば、獣車の窓から差し込み始めた陽の光を煌びやかに反射する銀の指輪が転がっている。
手に取り光を翳してみれば、五連の金剛石が嵌め込まれ、内側には薄らと幾何学模様が刻まれていた。
指に嵌めてしまえば、ただの指輪にしか見えない一品だった。
「そちらに魔力を込めれば対となっているヴィクトール様の物と繋がり、会話ができるようになっています」
「これを通してヴィクトールとやり取りすればいいのね?」
「はい」
受け取った通信用の指輪を嵌めながら、城門のような堅牢な門を潜るのを見るレイラ。
さっさと問題が起きて依頼が早く終わらないかしらとボヤき、再びの溜め息を吐き出すのだった。




