3 その一室、別の戦場につき――
毛足が長く豪奢な絨毯が敷き詰められ、ここ数年で一気に普及した巻金入りの長椅子に腰掛けながら雅な陶磁器のカップに満たされた黒茶を啜る女が一人。
パンツを履いているとはいえ、スカートでも気にせず脚を組んでいた女の眉がピクリと動く。
「……ふむ、淹れるのに慣れてないのかしらね。不味くはないけれど、折角の薫りが飛んでしまってるわ」
「君の言う通り些か香りが弱いとは思うけど、腕の拙さを差し引いてもあんまり出回っていない黒茶が出てきた時点で及第点だと私は思うんだけどネ」
同じように黒茶を啜っていたヴィクトールが片眉を上げて言えば、カップを置きながら長い脚を組み替えたレイラは肩を竦める。
「確かにここがそこ等の商会なら及第点どころか満点でしょうね。でもここは末端とはいえ貴種が来ることもあるル・アン商会よ?それにこの味と風味からいって多分ルチャールナ原産の高級茶葉なのに。エッタが煎れてくれる安物の黒茶の方が美味しいだなんて、勿体ないと思わない?」
「私としては野営の時にあんな料理を作る君が、一口飲んだだけで産地が分かる繊細な味覚を持っている事に驚きを隠し得ないんだけどネ」
「あら、最小限の食材で最大限栄養バランスに配慮した料理になにか不満でも?」
「栄養に配慮してるのは認めるけど、アレを料理と呼ぶならせめて味にも気に掛けてもらいたいものだネ……」
嫌味をぶつけ合いながら優雅に黒茶を満喫している二人であったが、ここル・アン商会へやって来た理由は優雅な物とは程遠かった。
先日ル・アン商会を介して名指しで依頼を出された公共物資輸送の護衛の件で聞き出さねばならない事があったのだ。
ただし〝村喰らい〟に襲撃を受けた事ではなく、レイラが問題にしているのは公共物資と言う名目で運ばれていた品についてだ。
あの時、本来であれば釘やら何やらが満載されて人が乗れる余地はないはずの幌付きの荷車には、何故か人が乗っていた。
一人二人どころか、明らかに要職に付いている身形の者達が複数人も。
それもただの要人ではなく、普段は行政府が置かれた第一市壁から滅多に出ることのない戦闘魔術師が、だ。
一人ならば視察や研究の一貫だとも考えられる。
二人ならば、まぁフィールドワークや他領への内密な支援の為に乗り込んでいたとしても可笑しくはないだろう。
しかしそれを超えた数の、しかも戦闘に特化した魔術師が一塊に移動していたとなれば、戦争あるいはそれに準じる大規模な戦闘の準備となるだろう。
どう鑑みても政治的、戦略的に重要な楔であるのは疑う余地もない。
同じ魔術師であるヴィクトールが断言したため間違いない。
そうなれば〝村喰らい〟が隊商を襲った理由も変わり、当初の公共物資輸送の護衛と言う依頼の範疇を優に越える。
蛮族との戦争に明け暮れるアルブドル大陸で戦闘魔術師の存在は万の金貨を越える価値があり、蛮族達からしてみれば討ち取りたくて仕方のない手合のはず。
そんな襲撃を受ける可能性が高いにも関わらず、日当で銀貨一枚の安い依頼であって良いはずがない。
コレがレイラが自ら選んだ依頼であれば、割りに合わない仕事を掴まされたのだと愚痴を零しながら笑い話にして終わっていただろう。
しかし、今回はル・アン商会がわざわざ遣いを出してまで依頼を仲介しにやってきったのだ。
欠員が出たためル・アン商会の面目を保つために是非受けてくれ、と。
つまりレイラはル・アン商会に騙されたのだ。
ル・アン商会も仲介を頼まれただけで真相を知らなかった可能性もあるが、それはレイラには関係ない。
ル・アン商会はそういった可能性を考慮しなければならない立場であり、それを加味した上でレイラに白羽の矢を立てたのだ。
何があっても、幾らか問題が起きても対処のしようはあると軽く見られたのだ。
軽く見られること、舐められることが齎す面倒事は昨年の冬にマリエッタが拐われたことで痛感しており、レイラは今まで以上に体面について気にかけるようにもなった。
故に今回もレイラはわざわざ正装を纏い、ル・アン商会へとやってきたのだ。
全ては〝彩〟が消え去る瞬間を、心置きなく堪能するために。
「しかし〝村喰らい〟とかいう蛮族を討伐したのは良いけど、これから面倒なことになりそうだネ」
「そうねぇ。吸血鬼事件の時も抱え込もうとしてくる商会やら貴族やらも多かったし、今回はその比ではないでしょうから、その対応を考えるだけで頭が痛くなるわ」
「ま、交渉担当は君だからネ。せいぜい損にならないように立ち回ってくれ給へヨ」
「…………貴方との契約内容を見直そうかしら」
大きな溜め息を吐きながらレイラは額に手を当てる。
ヴィクトールと組むようになって早四ヶ月。
吸血鬼事件が解決してからと言うもの、事ある毎に商会やら貴種の使いやらがやってきては専属の冒険者になってくれと宣う事が多かった。
当然、レイラはその全ては蹴ってきた。
他の冒険者達からは勿体ないと羨望と妬みの溜め息を吐かれたものの、レイラからしてみれば専属になるなど冗談ではない。
なにせ専属となればほぼ固定給で高額の金が手に入るものの、依頼は雇用主が指定した物以外を受ける事ができないのだ
隊商や要人の護衛、希少な物品の採取などが主となり、公然と人を殺したとて咎められることのない盗賊や蛮族と遭遇するような依頼は受けられなくなる。
ヴィクトールにしても専属となってしまっては娘たちの肉の殻を密かに創るのに専属では都合が悪く、二人の間で交わされた契約に基づいてヴィクトールへの勧誘もレイラが断っているのが現状だ。
とはいえ、あまりに歯牙にもかけずに断り続けているせいか、不穏な動きをし始めた有力者もいてレイラにとっては頭の痛い問題になりつつある。
それに合わせて今回の嘘の依頼が起き、一時は本気でバルセットから出奔してやろうかとレイラは考えた程だ。
「しかし人の世とは何故こうも面倒かネ。強さが全てを決める蛮族達の方がよっぽど単純で分かりやすいと思わんかネ?」
「それはそれで面倒くさそうだけど、確かにそれぐらい単純なら楽ができるのでしょう――――」
香りの薄い黒茶を口に運ぼうとしていたレイラの動きがピタリと止まる。
言葉が途切れたことで黒茶と共に供されていた砂糖菓子を頬張っていたヴィクトールがレイラを見やれば、レイラは何故か陶磁器の中で揺れる液面を見つめていた。
「どうかしたのかネ?まさかまだ香りの抜けた黒茶の事が気に入らないのかネ?」
「それもあるけれど、さっき蛮族の話が出たじゃない。それで一つ思い出したことがあるのよね」
「……?」
唐突な話題転換に首を傾げるヴィクトールを気にも留めず、レイラは手にあるカップを傾けてその液面を見続ける。
まるで液面に写るものを見定めるかのように。
「この間、野営中にアルサドが襲撃されたそうよ」
「アルサド、がかネ……?」
ヴィクトールとレイラの共通する知人の中にアルサドなる人物は存在しない。
それどころかヴィクトールが知る限り、アルサドと言う名の人物は存在しない筈である。
なにせ海を渡った先の大陸、その更に遥か西方に存在する一大国家、ルビシチア公国とその衛星諸国で使われている言葉で〝覗き魔〟を意味する蔑称なのだ。
異名や字として呼ばれる者はいるかもしれないが、自らの子に名付けたり名乗る者はいないだろう。
少なくともルビシチア公国で過ごした事もあるヴィクトールはそんな奇特な人物に巡り合った事はない。
ならばとレイラの急な話題転換と存在しない人物の名を告げた意味はただ一つ。
今自分達を覗き見している存在が現れたのだろう。
「背後から三体の遊鬼に襲いかかられたんですって」
背後から三体と聞きながら、ヴィクトールは自分の背後に一枚の絵画と本棚が並んでいたのを思い出す。
更に自分たちが通された応接室の隣には部屋などは存在しないが、今居る部屋の間取りを考えるといくつか不自然な点がある事にも気付く。
建物を二分するように設けられた中央の階段を挟み、片側全てを応接間にしているにしては部屋が些か狭いのだ。
長さにして大人一人分の肩幅ぐらいの広さだが、第一市壁に近く猫の額ほどの土地面積を確保するのにも馬鹿にならない金を要する立地でそれだけのデッドスペースを作るとは考え難いだろう。
にも関わらず、一見するとそんな空間があるようには見えなかった。
ならば間者や刺客、あるいは高貴な身分の者の護衛を潜ませておくための空間を予め用意していたと言われた方がしっくりと来る。
あくまでレイラの言葉が真実であれば、だが。
ただ一つ気になるのは、例えレイラやヴィクトールが巷で話題の冒険者ではあるものの、わざわざ刺客を潜ませる価値があるかと聞かれれば二人は揃って首を横に振らざるを得ない。
レイラ達が浅慮な行動に出ることを警戒していたとて、護衛や警備として雇い入れている傭兵を伴って入室すればいいだけであり、わざわざ隠し間に潜ませる理由はないのだ。
礼儀云々の問題にしても、例え得物がなくとも荒事に身を置く人間と会合をするのならば護衛を連れていたとて誹られる謂れもない。
蛮族として生きて来たせいで人の世についてやや疎い自覚があるヴィクトールですら分かることなのだ。
であるならばレイラの脳内ではどんな結論が導き出されているのかと隣を見やるが、当のレイラは素知らぬ顔で黒茶を口へと運ぼうとしている所であった。
 




