44 その事件、露見につき――
バルセット城塞都市において、吸血鬼による襲撃と言う前代未聞の事件が起きてから一夜が開けた。
例えどれほど犠牲が出ようと、例えどれほどの惨劇が生まれていようと朝は必ずやってくる。
そして当事者や関係者でもない限り、どれだけ大きな事件が起きようとも万人にとっては変わらぬ日常が始まるものだ。それが現場から離れれていれば尚更だった。
バルセットの南方で暮らしていた一人の男も、普段と同じように日が昇る前に目を覚ました。
平素と変わらない薄暗い部屋でノロノロと寝床から抜け出し、男は秋雨が降り始めてから冷え込んだ朝の空気に身体を震わせる。
そして日課の如く淀んだように感じる空気を入れ替えるために何気なく木戸を開ければ、自身の目を疑うような光景が飛び込んできた。
「おいおい、嘘だろ……」
血で衣服を赤く染めた人種の女が、自分の倍する牛躯人を引きずって歩いていたのだ。
しかもよくよく見れば、その牛躯人はこの近辺を縄張りにしている〝雷火の猛牛〟の頭目たるモラウ=バラだった。
何度も目を擦り、自分の見ている光景が幻ではないかと疑う男だったが、通りを挟んだ向かいに済む夫婦も自分と同じ顔をしながら歩く女を見つめていた。
漸く自分の見ている物が現実なのだと理解した男は、即座に駆け出していた。
「旦那ッ!!旦那ッ、一大事が起きやがった!!」
「うるせえ!!テメェに言われなくても分かってらァ!!」
着の身着のまま自分が務める木工所に駆け込めば、知らせを届けたかった木工所の棟梁だけでなく、近所に住む同僚も同じ格好で棟梁の前に集まっていた。
出遅れた、そう思うものの男は興奮を抑えきれなかった。
「でもアイツがやられたって事はもうアガリを取られる事もネーってことですよね!!」
「そうだそうだ!!もう連中に金を集られることも、酒場で暴れられることもねーんだろ?!」
「喧しいッ!!まだそうと決まった訳じゃなーんだ、少しは落ち着けバカどもが!!」
棟梁の一喝で漸く落ち着きを取り戻す男たちだったが、その顔はまだ不満げだった。
早とちりする職人達に呆れを隠そうともしない棟梁だったが、彼自身も職人達の気持ちがわからない訳ではなかった。
〝雷火の猛牛〟はスリの元締めをするだけでなく、小さな工房や酒房から娑婆代と称し少なくない金を脅し取っていたのだ。
お陰でこの工房に務める職人達の数は減り、残った者達も苦しい生活を強いられていた。
「話を聞く限り、確かにモラウ=バラのくそ野郎はやられたんだろうさ。でもアイツが他のヤクザモンにやられて、ただ首がすげ替えられただけかもしれねーんだ。それじゃあ、今までの生活は変わりはしねーよ」
「そんなぁ……」
淡い期待を抱かないように棟梁が言えば、職人達は一気に肩を落とした。
暗い表情で俯く職人達を見ながら、棟梁も悔しそうに口を歪めた。
何も棟梁も今まで何もしてこなかったわけではないのだ。
同じ被害に遭っている者達と一緒になって、南方の治安維持を預かる衛兵詰所に訴え出た事も一度や二度ではない。
だが大半は取り合ってすらもらえず、取り合ってくれた数少ない衛兵は気付けば僻地へと飛ばされていた。
それでもと金を出しあって冒険者に依頼を出したこともあったが、依頼を受けた冒険者達が戻って来ることは一度もなく、〝雷火の猛牛〟が求める娑婆代はより厳しい物になった。
だから棟梁は今回の一件は組織同士がぶつかり合っただけであり、あと数日もすればモラウ=バラよりも更に強い者がその立ち位置に就くだけだと諦めていた。
一人の顔馴染みがやってくるまでは。
「おい、メレディス!!聞いたかっ!!」
「どうせあの牛野郎が他のヤクザもんに負けたってことだろ?それならここにいる連中に聞いて――――」
「違うぞ!!モラウ=バラの野郎をヤッたのはレイラっつう単独の女冒険者だっ!!しかもソイツ、あのクソ野郎を中央詰め所に突きだす気だぞッ!!」
「なんだって?!」
同じ被害を受け続け、同じ苦渋を舐めていた酒房の店主の言に棟梁は思わず立ち上がる。
そして一緒に来いと言う言葉に一にも二にもなく反応して棟梁は走り出した。
向かうは女が目指していると言う中央詰め所。
その道すがらで聞けば、何でも店主の親類にモラウ=バラを下した女冒険者に依頼を受けてもらった者がいるのだと。
女冒険者の名はレイラ・フォレット。
中央区にほど近い〝羊の踊る丘亭〟と言う中堅以上の冒険者達が好んで使う酒房を拠点に活動している冒険者であり、後ろ盾となる徒党には属さず、冒険者とは思えないほど礼儀正しく珍しいほど品行方正な冒険者なのだとか。
コレはもしかするともしかするかもしれない。
棟梁は一緒についてきていた職人達と期待に胸を膨らませながら走り続けた。そして幾ばくもしない内に第一市壁の門前に人集りが出来ているのを見付け出す。
野次馬だろう観衆を掻き分け――――罵倒を浴びせられたがそんなものは気にもならなかった――――最前列に躍り出た一行が目にしたのは、モラウ=バラの首を掴みながら堂々と立つレイラの後ろ姿。
そして彼女の前で盾の壁を作りながら睨みつける黒い襷を掛けた衛兵たち。
一行は一触即発の空気に固唾を呑んで見守ることにした。
「自分が何をしたのか理解しているのか?」
「えぇ、もちろん」
盾の壁を割って現れた衛士長が重苦しい言葉と共に問えば、気軽とも取れる声音でレイラが返す。
事態の深刻さを理解しているのかと問いたくなるほど軽い口調。思わず衛士長は自身の眉間に深い縦皺を刻んだ。
そして怒声を上げようとして口を開けた衛士長だったが、言葉が音になるよりも早くレイラはモラウ=バラの巨体を衛兵たちの前に放り投げる。
四肢をあらぬ方向に折られ、凄惨な姿から死体だと思われていたモラウ=バラ。だが地面を転がる拍子に響くうめき声からまだ死んではいないのだと、このときになって誰もが初めて気が付いたのだった。
「私は貴方達衛兵や行政府の怠慢を。悪事を見逃すと言う陽光神が直々に記した罪業を。怠惰で愚鈍な貴方達に代わって拭ってきてあげたのよ」
「貴様、何を言って―――」
「それに良かったわね。このバルセットを腐らせていた毒の芽が一つ潰れただけじゃなく、貴方達は何の労もなく安くはない駄賃が手に入るんだもの」
一方的に言われて更に険しい顔をする衛士長に怯むでもなく、レイラがモラウ=バラの上に布袋を放り投げれば、着地の拍子に緩んだ口から一〇枚ではきかない数の銀貨銅貨が散らばっていく。
私闘に定められた罰金額を遥かに上回る硬貨の数に、誰もが呆然とした。
「あとは貴方達の好きになさいな。私は逃げも隠れもしないわ」
唯我独尊と言う言葉を体現するかのように堂々と立つレイラ。
そんなレイラに僅かに怯んでしまった衛士長は被害者らしき牛躯人を見つめ、次に取り囲むように見ている野次馬達を見渡した。
レイラへと向けられた視線はその殆どが好意的な物ばかりで、逆に衛士長へと向けられるものは疑心や非難の色が色濃く出ていた。
衛士長は知る由もなかったが、レイラを遠巻きで見ていた観衆の殆どはモラウ=バラに苦渋を舐めさせられた南方の住民達ばかりだったのだ。
そして自分に向けられる観衆の視線に込められた意味に気付けないほど鈍感ではなかった衛士長は、苦面を作りながらも決断した。せざるを得なかった。
「………その女を捕縛しろ。ただし、詮議が済むまでは丁重に扱え」
部下が恐る恐るレイラの手を拘束し、中央詰め所へと素直に連行されていく背中を見送った衛士長は安堵の息を吐いた。
再び観衆へと視線を向ければ、衛兵へ強い非難の目を向けてながらレイラが大人しく着いていくならと、不承不承と言った態度を隠そうともしない人々の姿が目に映る。
それを見て衛士長は確信した。
一歩対応を間違えていれば暴動へと発展していたかもしれない、と。
「まったく。まだ昨夜の事件の収拾もついてないってのに、朝っぱらからなんだってんだよ……」
事情を知らないが故に愚痴を零し、観衆へ散るように声を張り上げる衛士長はまだ知らない。
この捕縛によって衛士長の上司、各詰め所をまとめ上げる所長や更にその上の者達が頭を抱える事態に発展するなど夢にも思もっていなかった。




