犯人逮捕しました
少しグロテスクな描写があります。
心臓が弱い方、又、そういった類が苦手な方は読むのをご遠慮下さい。
万が一、体調不良などを起こしても作者一切の責任を負いません。
「はあっ、はあっ、はあっ!」
住宅街、昔の面影など覆い尽くした様に硬いコンクリートの上をかれこれ十分程全力疾走している。地面が地面だけに足が付く度に痛みが来るが、そんな事は気にしていられない。今はただ走らなければならない。
「逃げるな、待て!」
俺に遅れてお世辞でも痩せているとは言えない――いわゆるポッチャリとした先輩が叫んでいる。当然だ、今ここで犯人に逃げられたら上司に何を言われるか。またお馴染みの『逃がしたの? なんでかな?』などと言われてしまう。
「先輩、そんなこと言っても犯人が止まる訳ないでしょう! 喋ってると走るスピード落ちますよ!?」
「うるさい! 後輩が先輩に注意するな!」
相も変わらずに理不尽な先輩だ。まあ、四年も付き合ってたから流石に慣れてしまったし、もっとも最初に出会った時のインパクトが大き過ぎて直ぐに打ち解けられたのだが。
あの頃の配属されたばかりの新人の俺は情熱と正義で出来ていた。自己紹介の時に『世界中の犯人を捕まえて見せます』なんて言って周囲から笑いを買ったものだ。でも、それが今の先輩から好感を買う事になって、いきなり後ろから殴られたんだよな。丁度、有名な古田とか言う政治家の選挙活動が始まった時だから良く覚えている。
まあともかく、出会ってから早々に上司に『コンビを組め』と言われて、二人で色色な事件に直面してきた。
基本的に先輩は様々な事に順応出来て、自分達が解決した事件が辛い結果になっても仕方ないと割り切れていた。
でも、俺はもっと他の方法無かったのか、あれが最善だったのかと悩み悔やむ事が多かった。それが原因で先輩と衝突した事もあった。だけど、先輩とは息が合っていたからコンビの解消もなく上手くやっていけた。
しかし、ある日の事だった。とある一軒の家が火事になったと先輩から連絡があった。たまたま外出中で現場に近かった俺は先輩を待つ事になり、消防車を手配して待機していた。それなりに家は大きかったものの、とても古くて人が使っていないのが一目で分かる。
そういえば最近は放火が立て続けに起きている。こんな無人の家を放火して、犯人は一体何をしたいのだろうか……?
二十分後、無事に火事を消化し終えた頃に先輩が到着した。
「先輩、放火魔は何を目的に放火してるのでしょうか」
「目的なんてないんだろうさ。適当に放火するのが楽しいんじゃないか?」
「愉快犯ですか?」
「だろうな」
愉快犯、簡単言えば『事件を起こして楽しむ』と言った下衆な人間の事だ。自らの感情や欲求を満たす為だけに犯罪を起こしては人々に迷惑を掛ける、ある意味一番最悪な犯罪者だ。
「とにかく一刻も犯人を捕まえたいものですね! これ以上の被害を増やさない為にも」
「……ああ、そうだな」
× × ×
翌日、ふと政治のニュースを見ていた。どうやら古田という人が一番票が少ないらしい。この分だと勝ち目は無しだな。まあ、自分は選挙には興味が無いので『残念でした』と言いながらTVを消してベッドに寝ころんだ。
こうして寝ながら部屋を見回すと随分質素な部屋だと思う。元元お洒落とは縁遠い性格だから装飾といった物も飾らないし、あるのは片隅に置かれたクローゼットと、それに対に成るように固定された机のみ。今度、何か買って来て、いつも『いつ来ても質素だな』と言っている先輩を驚かしてやろう。
しかし、そんな邪な考え(ではないと思うけど)を良しとしないのか携帯電話が唐突に鳴った
どうやら先輩からのようだ。
「もしもし、先輩どうしたんですか?」
<今、家か?>
「そうですけど」
<そうか、悪いがまた放火だ。現場はお前の家の近くの公園だ。分かるか?>
「般若公園ですね?」
<そうだ、大至急向かってくれ>
「分かりました」
また放火か。本当に最近は多いな。絶対に捕まえなければ!
そう意気込んで家を出ると、何故か背中に悪寒が走った。冬も終わりかけているとはいえ、まだまだ寒いらしい。再び家の中に入りコートを羽織ると、駆け足で現場に向かった。
「……?」
現場に来たものの火事は起こっていない。それに気付けば此処には燃やすものがない。あるのは、むしろ火を消してくれる噴水にジャングルジムなどの遊具。
(どう言う事だろう?)
と疑問に思ったものの先輩に聞けば分かるかと思い、近くのベンチに腰をかけようと辺りを見回した。
それにしても汚い公園だ。お菓子のゴミ袋やタバコ、ジュースの缶など好き放題に散らかされている。
「先輩が来るまでの間、片付けておくか」
近くにあったスーパーの袋にゴミを詰めていく。缶などはあと回しにしてお菓子の袋などを先に片付けていく。そしてそれをゴミ箱に捨てる。
菓子袋が終わると次は缶を捨てる作業に取り掛かった。缶を揺らすとカンカン、と音が鳴る。最近の若者は缶の中にゴミを入れているらしい。全く、結局その缶も捨てるから意味なかろうに。と愚痴を零しながらも缶をゴミ箱に捨てた。
――瞬間。ゴミ箱の口から煙が勢い良く出てきた。パチパチと中から音がしているが、まさか……燃えている? しかも何故か煙の勢いは著しく上昇していく。ここに油性のものなど何もないはずなのに。
とりあえず消そう。それが先決だ。そう思い、丁寧にバケツが置かれた水道へ走ると不意に。
「確保!」
という声を合図にして警官が数人出てきて俺は取り押さえた。
「ちょ、これはどういう事だ!?」
「現時刻、十四時二十分、近頃頻繁に起きている放火の犯人と思われる、連続放火魔を現行犯で取り押さえました」
「ち、違う! 犯人は俺じゃない! ……そうだ、俺は犯人に嵌められたんだ!」
直ぐ近くで犯人がこの様子を見て笑っているに違いない。何しろ相手は愉快犯だ。だとしたら、今ここでこんな事をしていては犯人を逃してしまう!
「おい! 近くに犯人が居るはずだ! 早くに探しに行けよ!」
「うるさい黙れっ! 現行犯なんだ。言い逃れは出来んぞ。……おい、連行しろ!」
数人の警察官に無理矢理に立たされる。両手は既に手錠が嵌められている。
「くそっ、くそっ! お前ら何考えているんだ! 俺は警察だぞ!? 犯罪を犯す訳が――がっ……!」
途端、首筋に電気が走って俺の意識は深い闇へと包まれていった。
× × ×
「先輩! どういうことですか!?」
取調室で俺の怒号が響く。
「まさか、お前が犯人だったとはな」
先輩はというと、そしらぬ顔で目の前に座っていて、同じ台詞を先程から繰り返し泣いている。
「違いますよ! あれはゴミを捨てていたら急に火が上がったんですよ!」
「俺もそう信じたいさ。だけど俺は現場を見てないんだ」
「先輩っ!」
叫ぶ自分に対し、先輩が可哀想な顔をして静かに言った。
「……お前は犯人じゃないんだな?」
「当たり前です」
「そうか。じゃあ俺が真犯人見つけてやる。だからそれまでは大人しくしていろ。いいな?」
「はい……」
× × ×
留置所までの移動の間ふと思った。
――どうして火事は無かったのだろうか?
――どうして突然発火したのだろうか?
そもそも先輩からの通報があったという知らせ、あれ自体がおかしい。何か仕組まれている様な気がするが、今ひとつ分からない。
と、車に乗り込む直前に最近ではすっかりと見慣れた顔が目に入った。それは此処最近になって何故か頻繁に警察署に入り浸っている政治家の古田だった。
(古田が何故こんな所に? ……!)
……そうか。そういう事だったのか。『予め予定されていた犯人』は俺だったのか。
「さあ、入れ!」
留置所までの車に乗せようとする警官。こいつもグルなのか? いや、そんな事は関係ない。今は逃げなければ。
俺は特に手錠もされていなかったので両手で警官を突き飛ばすと、俺は古田目掛けて走った。驚きの表情で此方を見る古田の顔面に俺は一発渾身のパンチを入れてやった。
周りで見ていた観衆から悲鳴が上がり、後ろから警官が迫ってきた。そんな警官から逃げるべく俺のパンチで鼻血を出しながら気絶している古田を押し付けると、急いでその場を立ち去った。
× × ×
そう、全てが仕組まれた事だったのだ。
『古田という政治家は警察と密接だ』という噂を聞いた事がある。それが嘘か本当かは知らないが、火の無い所に煙が立たない以上は、ああして入り浸っている所辺り本当なのだろう。
現在、古田は選挙の票が落ちている。理由は、息子の不祥事。恐らくは放火だ。ただ誰も現場を見てなく、夜に古田の息子が火遊びしている不良と一緒に居るという通報を受けただけなのだ。それだけでは捕まえられないが、証言だけでも噂は広がり、人々は古田の息子が放火をしていると信じてしまっている。そして古田の票が落ちている、という訳だ。
古田が落ちてしまっては警察と密接な関係があったことがばれてしまう、そう思った警察は別の犯人を捕まえて古田の票を上げる事にしたのだろう。
そして不運にも選ばれたのが俺。公園で火事が起きたと知らせ、俺を呼び出す。先輩を待つ間にゴミを捨てると俺が考えるのも計算の内だったのだろう。民間様に信用され頼られる為にそういったボランティア活動は積極的にしろと叩き込まれた習慣があり、その中でも俺は真面目に取り組んでいたのを良く評価されていたからな。
そして、予め油が染み込ませてあったゴミ箱に火種が入った缶を捨てると炎上。おそらく、あそこ一体にあった缶には全て火種が仕込まれ居たのだろう。
そうして後は俺を捕まえるだけで良い。表面上の捜査をして、適当な頃合に俺の名前を公表して古田の息子の疑惑を晴らす。完璧だな。……ふざけやがって!
ふと逃げている俺の後ろから声が聞こえる。――先輩だ。
「逃げるな、待て!」
先輩が叫んでいる。当然だ、今ここで犯人に逃げられたら上司に何を言われるか。またお馴染みの『逃がしたの? なんでかな?』などと言われてしまう。
「先輩、そんなこと言っても犯人が止まる訳ないでしょう! 喋ってると走るスピード落ちますよ!?」
「うるさい! 後輩が先輩に注意するな!」
絶対に捕まるものか、絶対に逃げて見せる! 生憎先輩は足は遅く、俺の方が断然上だ。追いつかれる事はまずな――。
そこで一瞬思考が停止した。風船が割れる様な音がしたと思ったら、足に激痛が走った。俺は前のめりに転倒して強く頭を打った。
視界の向こう側では先輩が銃を構えた姿勢で居た。そして銃口からは硝煙が出ていて、俺の打たれた足からはどくどくと血が流れ、灰色のコンクリートの上に血の水溜りを作っていた。
「くそっ、俺は……何もしてないのに! こんな所で……捕まって堪るか!」
激痛に耐えながらも何とか立ち上がると、此方に向かって余裕の現われか、ゆっくりと歩いている先輩に背を向けて、足を引きずりながら歩いて行った。
何とか近くの廃工場まで辿り着いた。未だに処理されていない鉄骨やブロック、大型の箱などが幾つも置いてある。身を隠すには最適だ。
適当な所に身を隠すと息を潜めた。俺の足は当に限界を迎えて、立つ事など到底出来なく地面に座っていた。すると、今この工場で響いている足音は必然的に先輩の足音、という事になる。刑事の勘が働いているのか段々と此方に近づいてきている気がする、と思ったら不意に後ろに気配を感じた。
「み〜つけたっ!」
気持ち悪いと思ってしまう程の笑顔を浮かべている。俺はというと、立てない以上は手を頼りにして自分でも思う程に無駄な抗いを続けていたが、やがて壁にぶつかってしまった。
「お前、逃げられると思ってるの?」
「先輩……俺は犯人じゃないですよ! 全部……仕組まれた事だったんですよ!」
と俺が言うと、先輩は呆然として立ち止まった。
そして、信じられない事を言いやがった。
「あ、今頃気付いたの?」
「くっ! お前もグルだったのか!」
「あーうん、そうだね、グルだよグル。一緒に居て気付かなかったの? 残念だったねぇ?」
「どうして……こんな事を馬鹿げた事を!」
俺の叫び声が廃工場の中で木霊する。すると、目の前に居る先輩だった人物は高らかに笑った。
「ああ、確かにお前の言う通り馬鹿げてるよ。古田の裏切りを恐れて、正義の味方ともあろう警察が犯人を作るなんて本当に馬鹿げているよ。でもね」
「?」
「それを手伝う人間には凄い報酬が貰えるんだよね! だから、大人しく捕まってくれないかな、って言っても、もう何にも出来ないだろうけどね」
途端、腹の底から怒りを覚えた。この目の前に居る人物は最早人間ではない金に目が眩んだ、ただの亡者だ。
「ふふ、ははは! これで大金が手に入るんだから楽だよなあ! 今すぐ捕まえてやるよ」
「くそっ、ふざけるな! 誰がお前なんかに……お前なんかに捕まって堪るかあっ!」
不意に手に力が入り後ろの壁を思い切り叩くと、工場内にブザーが鳴り響いた。良く見ると、手を叩いた場所には何らかのスイッチがあった。一体何のスイッチだ?
「な、何だ!?」
と慌てる亡者の左から高速で何かが動いた、と思ったら、亡者はその何かに対応する事も出来ず、尋常ではない衝撃を受けたのかそのまま吹き飛びブロックに背中から衝突した。べちゃ、と音を立ててから数秒後、ブロックに張り付いていた亡者はそのまま倒れて、ぴくりとも動かなかった。
(い、一体何が……あ、あれは工場の設備……そうか)
俺がスイッチを押した影響で工場の設備の一部が作動し、それに運悪く当たってしまったという事か。
「はは、ははは! ざまあ見やがれ! この糞デブがっ! 悪巧み……なんて事……をするから……」
唐突に視界がぼやけてきて、何だか眠くなってきた。
(そう、か……俺はとっくに限界を迎えてたんだったな)
俺は無償に眠たさと足の激痛、朦朧とする視界に耐えられなくなって、壁に寄りかかる事も出来なくなりその場で横になった。
ふと、視界に亡者の死体が入る。
(先輩……か)
何だかかんだ言っても、騙されていたとしても、この何年間もの間を通しての先輩とのペアは楽しかった。最後は悲惨だったけど、今に思い返してみると、くだらなかったり、楽しかったり、悲しかったりするけど、どれも大事な思い出ばかりだ。
でも、それも今日で終わった。先輩は死んだからにはペアは解消だろう。今度は俺が先輩としての立場に立つのかな……。
ああ、でもその前に少しだけ眠りたい。さっきから、ずっと睡魔が襲ってきている。少しだけ、少しだけ眠ろう。
起きたら新しい部下でも引き連れて沢山の事件に挑んでいこう。きっと……きっと、楽しい……はず……だ。