No.1『妹さんはまだ純粋のよう』
部屋に入ってきたメイドに身支度を整えられ、私は淑女らしい足取りで朝食をとるためダイニングルームへ向かう。
平民からするととても手が出せないほど、どこもかしこも上質な素材で揃えられている。
だけれど、上位貴族やもっと上の方々と比べると、さすがに天と地の差だ。それほど格差のある国で大丈夫なのかと思うが、私の目的はあくまで妹の更生である。
そして慎ましく、健康体の人生を満喫できればそれでいいのだ。
「お父様、お母様、おはようございます」
ダイニングルームに入った私は、淑女の礼――カーテシーをとってから席に着く。七歳にしては洗練された動きだ。
きっと『ソフィーリア』はたゆまぬ努力を続けてきたのだろう。
彼女にとって、大貴族になり家族に一生贅沢させてあげるのが人生最大の夢だったから。
私の挨拶を聞いた父と母はにこりと微笑む。
「おはようございますわ、ソフィーリア」
「ソフィーリア。今日は起きるのが遅かったんじゃないか? アリーシャよりも遅いなんて珍しい」
二人とも凄く優秀な文官だ。アリーシャの性格がどんどん歪んでいって、二人の人生を捻じ曲げるようになるまでは、こんな風に仲睦まじい家族だった。
アリーシャが荒れ始めてから、どんどん洗脳されて行って段々ソフィーリアへの扱いも悪くなり、ソフィーリアも精神を病んでいく。
物語の番外編で書かれたストーリーなのだが、読んでいてよかったと今日ほど思った日はない。とにかく、何度も言ったがそうはならないように気を付けねば。
「はい。じつは、少しだるくて」
「おや、それは風邪かもしれないな」
「大事になってしまったら大変よ。すぐにお医者様を呼ぶわね」
「ありがとうございます」
体がだるいのは事実だ。いきなり別の人間の体に入ってしまったのだから、慣れていないという可能性が高い。
色々な謎は解けていないのだが、今は転生の謎を解くよりも先にすることがある。
「おねぇちゃん、だいじょーぶー?」
「ええ、アリーシャ、お姉ちゃんは大丈夫よ。ありがとう」
「今日はありーしゃがご本よんであげるね……?」
「本当? それはとても嬉しいわ、アリーシャ」
と、対面に座る妹のアリーシャが心配そうにうるうると瞳を潤わせてこちらを見上げていた。その目はとても純粋で、まだまだ闇に染まっていないのが分かる。
それよりも、このセリフを放った後でちらっと周囲を確認した。
両親、侍女、執事、妹共に何かを怪訝に思う様子はない。記憶をもとに『ソフィーリア』を演じてみたのだが、どうやら不自然ではなかったようだ。
ちょっと大人っぽ過ぎたかもしれないが、ソフィーリアは元から大人びた子供だったのでそう怪しがることもないのだろう。
〇
「おねぇちゃあ~ん!!」
「はいっ!!」
一度目。
それは廊下で私とアリーシャがそれぞれ両端から歩いてきたとき。私に向かって走り出したアリーシャが、その場でずっこけた。
こういう時、『ソフィーリア』は華麗に髪をかき上げながら『貴族の淑女として、転んで泣くのはみっともない。もっとこういう風に』なんてことを言うはずである。そして最後の最後に『……医務室に連れていくわ。付いてきなさい』とツンデレを付け加えるはずだ。
しかしこれは私の妹更生計画の一環。こう言った小さな場面も大事だ。
「大丈夫、アリーシャ? お姉ちゃんがついてるわ、医務室に一緒に行きましょう? 大丈夫よ、お姉ちゃんがいれば何も怖くないから」
「うん……いたいよぅ……」
「アリーシャ、いい子だからもうちょっと我慢してね。すぐに痛いの、飛んでいくからね」
ちょっと笑みが張り付いたかもしれない。
けれど頑張ってめちゃくちゃ頼れるお姉さまを演じて、王子様のように手を差し伸べた。アリーシャがキラキラの瞳でこちらを見上げていたので、恐らく成功したのだと思われる。
〇
「おねぇちゃあ~ん!!」
「はいっ!!」
二度目は、アリーシャが私の部屋を訪れたとき。
アリーシャが誤ってお茶を盛大に零した。ごめんねぇ~~!! と泣き崩れながらもどうしたらいいか分からない五歳のアリーシャに、原作の『ソフィーリア』ならば『なんてみっともない』と散々お説教した後に『そこに居なさい。すぐに何とかして差し上げるわ』と再度ツンデレを見せてくれるはずだ。
だがそこは妹の更生以下略。
「アリーシャ、貴方は凄く偉いわ。お茶を零してすぐに謝れるのはとってもいいことよ。すぐに何とかするから、見ていて。でも、不注意は気を付けなきゃね?」
肯定して、イケメン女子風を吹かして、お茶目にウィンクをしてみる。果たして妹の反応はと思ってみてみると、目がハートになっていた。
恐らくこれも成功であろう。
妹攻略計画になっている気がしないでもないが、闇堕ちしなければそれでよいのだ。それに、してはいけない事もちゃんと伝えている。彼女を否定したりもしていない。……わりと、上手くいっているんじゃないだろうか。
〇
「おねぇちゃあ~ん!!」
「はいっ!!」
〇
「おねぇちゃあ~ん!!」
「はいっ!!」
〇
「おねぇちゃあ~ん!!」
「はいっ!!」
…………
〇
妹にトラブルが起きて、姉の私が家のあちこちを走ること一日。自分の社交レッスンなどの時間ももちろんあるが、妹のトラブル処理にかけた時間がとんでもない。
夕方、私はすっかりバテて令嬢らしくもなくベッドにダイブしていた。
ベッドにダイブするなんて経験、前世では一度もなかった。それに元は令嬢などではなくただの平民なので、誰もいないところくらいでは見逃してほしい。
「はぁ~~~~……」
そして、この一日でわかったことがある。
アリーシャはぶりっ子でもなんでもなく、ただ素でドジっ子なのだと。何も五歳で、あんな純粋な瞳を向けてくる彼女が、まさかわざとやっているわけがあるまい。
まあ何があっても不思議ではないのだが、ひとまず今はこの方針で問題ないはずだ。
(それにしても時間とられるぅ……)
ただの庶民な私が、『ソフィーリア』の記憶だけを頼りに貴族令嬢としてやっていける……そんな夢物語は、小説の中だけだ。
実際は体が覚えていること以外物凄くきついし、執務についてはまともにやれる気がしない。
それでもこの家には男児がいないため、私が当主にならねばならないのだ。難しい書類とか、一枚も見れる気がしない。政策とか一個も打ち出せる気がしない。貴族会議とか絶対無理。
(でも、頑張らなきゃ……せっかく、できることが増えたんだもん)
それだけが、私の情熱の起源だった。
常人とは違う、『私』にしかないもの。健康体に生きれることの貴重さを知っているからこそ、もっともっと必死に頑張れる。
だから、今の私にはなんだってできるんだ。それだけの動力があるから。