手に負えない
そうして、やいのやいのと鍛練場に向かっていった一同を見送ったユミオウギは、ふぅ、と息を吐いた。
「………あいつら、大丈夫かな…」
永久凍土の大陸、シャロー大陸。
厳しい気候ゆえに人は立ち入らず、前人未踏の地域が多い。ラピス諸島の対岸にあたる一部分に調査の手が入ったくらいで、その調査も激しい吹雪によって断念した。
この氷の大陸は人間にとって未知の地域なのである。それはまるで氷神が秘匿しているようであるとスティーブは考えている。
氷の属性元素が示す性質は独占。あらゆる物事を氷に閉じ込め、真実を秘匿するのが氷の特性だ。それならば、この氷に満ちた大陸が前人未踏の地域であることも頷ける。
シャロー大陸は氷神の支配下であり、氷神の支配下ならば、その特性によって真実は秘され生態の分布や環境の情報が表に出ることはない。
美しい氷の大陸は秘密という神秘の大陸であるのに、それを踏み荒らす者がいる。パンデモニウムだ。奴らはこの神秘の大陸に無粋をなしている。
だからスティーブはパンデモニウムが許せないのだ。美しい氷神が統べる永久凍土の大陸を踏み荒らし、女神の裾を踏む存在が憎い。
「それはそうとして物凄く寒い」
さすが極寒の地。吹きすさぶ吹雪は容赦ない。到着した直後はオランジェットバナナで釘が打てるとはしゃいでいる声が聞こえていたが、あまりの寒さに今はその声も沈黙している。
その中を黙々と進み続けて早半日。部隊は大きくはぐれることなく無事に全員揃ってキャンプ地に到着した。
クラン単位で動いているため、各自の行動やキャンプ地はばらばらだ。吹雪の中、互いのキャンプの明かりが見える程度の距離を保ち、複数のクランがひとつのキャンプ地に固まることはない。
散開することでパンデモニウムの襲撃に備える目的もあるが、何より、気心も知れない連中といれば必ずいつか争いになるからだ。不和はこの環境ではまずい。誰かはぐれたら絶対に戻ってはこれないだろう。
「めちゃくちゃ寒いデス! ヴィリはずるいデス!」
きっちり防寒着を着こんだゼフィルが不満を漏らす。ヴィリときたら、旗印についていくことを選択し巧妙にこの環境を避けた。ずるい、と子供のようにゼフィルは拗ねた声を出した。
「おっさん、火出せデス!」
「おっさん……」
愕然とバッシュが呟く。そんな老けてねぇぞ。
いや、強大な魔力によって長命なビルスキールニル人ゆえに老化が遅いだけで実年齢は3桁に到達するのだが。しかしそれはビルスキールニル人的にはまだ若いうちに入る。はずだ。
おっさんなどと言われる筋はない。
「加齢臭って本人は気付きにくいものだからね、仕方ないよ。……っと、そうじゃなくて」
便乗しつつスティーブがゼフィルをたしなめる。行動を共にして半日経つが初対面の相手におっさん呼ばわりは失礼だ。
「はー…ついてくるクラン間違えたかねぇ……」
がりがりと乱雑に頭を掻き、バッシュは呟いた。
旗印についていくと言ったヴィリを除くとこのクランの人数はたった2人、しかもうちひとりは子供だ。クランで各自行動をするという作戦上、この人数では色々とままならないだろうと思って手助けついでに加わったのだが、間違っていたかもしれない。
「いやいや、僕は助かってるよ」
「お前が一番やばいんだよ」
失礼なことを平気で口にするゼフィルよりスティーブの方が危険だ。シャロー大陸に到着するなり、氷神の名前を叫んで五体投地するようなことはしないでほしい。
あいつは理性的な変態だから気を付けろと、キロ島を発つ前にユミオウギに言われた言葉をよくよく噛み締めた一瞬であった。
「変態って何処がだい」
「"これってまるで厚いベールを着た婦人を脱がすみたいじゃないか"と熱弁していたあたり」
前人未踏の大陸はまるで厚いベールをまとった婦人のようであり、それを進むのは婦人を裸にしていくようなものだ。そしてこの大陸の主は氷神といっても過言ではない。だとするならベールをまとった婦人とは氷神のことであり、我々は氷神を犯すという不敬を行っている最中なのだと。
それはもう熱弁されたのだ。この半日のうちの半分ほどの時間を。途中から聞いていなかったので実際に耳を傾けたのは始めの5分である。
「事実だろう。神秘学者というのはそもそも……」
「わかったから黙ってろ!」
また熱弁されても困る。怒鳴って黙らせ、バッシュは溜息を吐いた。
もうやだこのクラン。子供と変態しかいない。ヴィリとかいう女はこの変態の何処がいいのやら。後で聞いてみたいものである。
「……で、真面目な話、どう思う」
この大陸の神秘だの氷神を脱がす話はさておき。パンデモニウムの動きについてだ。
我々がシャロー大陸に上陸し、横断を始めたことくらい察知しているはずだろう。それなのに、奴らに動きがない。襲撃を受けたクランもない。
察知はしたし部隊を派遣したが、彼らがここまで到達していないだけだろうか。否、"ラド"を使えばこの場に現れることも可能だろう。
それなのに、来ない。氷原は静まりかえっていて、風雪の音しか聞こえない。風が吹き荒れる音、雪を踏む我々の足音、話し声。氷原の音はそれだけなのだ。
「そうだね、それは僕も気になっているところではある」
何処かで待ち伏せしている可能性も考えた。しかし何もない広い氷原に待ち伏せに適した場所があるとは思えない。何処も同じ光景で、何処も同じ光景ならば何処で待ち伏せしても変わらない。この先で待ち伏せしようとも、今ここで待ち伏せしていようとも同じだ。
「氷神の地を踏み荒らす不敬を恐れて遠慮していると思いたいところだけど、そんな信心深かったらそもそもここに拠点は建てないだろうし」
ここまでで姿を見せない理由が思い付かない。自分たちにはわからないだけで、繊細な理由があったりするのだろうか。
それも先に進めばわかることだ。今ここで答えを出すには材料が足りない。この段階でできるのは、あらゆる可能性を想定することくらいだ。
「ということで聞いてほしいんだけど、氷神っていうのはだいたいが女神として書かれていて」
「その話はもうやめろ!」




