会いたいひとはあなただけ
作戦が始まった。
すでにラピス諸島から部隊が出発し、氷原の横断が始まっている。彼らが氷原を渡り、インフェルの森にさしかかるまでキロ島からの部隊は待機となる。
「あのさ」
やりたいことがあるんだけど。
ラピス諸島から発ったと知らせが入った日の昼下がり。猟矢は作戦を取り仕切るユミオウギに声をかけた。
「やりたいこと?」
いつ、どうなるかわからないこの状況であまり動き回らないでほしいものだが。まぁいい、とりあえず聞こう。
そんな風にユミオウギは続きを促した。
「ラピス諸島に行きたいんだ」
「なん……あぁ」
なんで、と言いかけて止まる。ラピス諸島の巫女と猟矢の微妙な関連性の話は弟子から聞いている。なにやら、幼馴染と瓜二つだとかなんとか。
巫女自体には面識もないし、アッシュヴィトがすぐ会いに行くため遠慮しているようだが、幼馴染と同じ顔がああなっていることは気にしているのだとかなんとか。
そんな相手だが、戦いの前に会っておきたいのだろう。
「あぁ、いいぞ」
自覚しない少年の恋心がどうとか。弟子の言葉を思い出し、甘酸っぱい思いで胸を満たされながらユミオウギは頷いた。
若者の甘酸っぱい青春を応援する意味もあるが、戦術的な意味もある。
氷原を渡る部隊の中に旗印の二人の姿が見えないという状況はパンデモニウムにとって妙に映るだろう。旗印が氷原を渡らないのなら、それならいったいどこから来るのだと警戒し、こちらの奇襲の可能性に思い至るかもしれない。
キロ島から乗り込むなんて正気の沙汰ではないと思ってくれればいいが、そうもいくまい。
なのでここで猟矢とアッシュヴィトがラピス諸島にいるという情報はパンデモニウムに与えておきたい。旗印の二人も氷原を横断するのだという目眩ましのためにも。
「皇女も連れて行ってこい」
ただし、行く時は派手に、帰る時はひっそりと。
カガリの召喚や物資の移送など、キロ島からの部隊の用意が整うまでラピス諸島に滞在を許そう。
これが最後かもしれないのだ。
「おや。アッシュヴィト様、それにサツヤ様」
忙しい中の訪問であるにも関わらず、ラピス諸島の領主アルクスは来客を快く受け入れた。
「やっほ。様子見に来たヨ」
「様子ですか? 作戦でしたらつつがなく進んでおりますが……」
ディーテ大陸、ベルミア大陸をはじめとした各地から集った精鋭たちを順次氷原に送り出していっている。予定通り、つつがなく行われている。
ラピス諸島に集合する彼らたちの船はミリアム諸島のアレイヴ族によって守られている。彼女たちはわざわざこのために木造船を作り、派遣してくれた。船というよりはいかだに近いが、それでもアレイヴ族の助力が嬉しい。
「アレイヴ船団の長はルイス殿とおっしゃりまして、どうやらお二方の知り合いだとか」
懐かしい名だ。アッシュヴィトは口笛を吹いた。
閉鎖的なアレイヴ族において、外界に興味を示した異端の里長だ。どうやら、あれからうまく立ち回っているらしい。
でなければ船団と呼べるほどの集団をなせる人数のアレイヴ族を島の外に連れ出すなどできないだろう。
おそらく、閉鎖的な慣習を貫くアレイヴ全体の長であるシスの代わりに今回の助力を引き受けたのだろう。
それなら外界に関わるなという精霊トレントの不興もそれほど買わないだろう。ミリアム諸島の外にはみ出す仕事ははみ出し者がやればいいのだとか言えば言い訳は立つ。
そのルイスはというと、休憩の合間にラピス諸島を観光しているようだ。あれこれ物を買い、人と話し、知識や技術を取り入れようとしているのだとか。
特にラピス諸島の住民と不和を起こしたり文化摩擦を起こしたりという話は聞いていない。もちろん、我々を護衛するという役目についてもトラブルの報告はない。
だから何ら心配することはなく、様子を見に来る必要はないのだ。アッシュヴィトや猟矢にだって準備があるだろう。そちらに注力してもらって構わないのに。
「あぁ、そういうコトじゃなくてネ」
旗印なんて役目としてじゃなく、個人として来たのだ。
そうアッシュヴィトが微笑むと、意図は伝わったようだ。頬笑み返したアルクスもまた、領主の顔から母の顔に変わっていた。
「えぇ、えぇ、そういうことでしたらどうぞこちらに」
「ヴェイン、アッシュヴィト様たちが遊びに来てくださったのよ」
領主としての事務的な固い声でなく、柔らかい母親の声でアルクスは扉を開けた。
どうぞ、とアルクスが通すより先に、するりと隙間をすり抜けてアッシュヴィトが部屋に踏み入った。
「ヴェイン!」
呼びかける。抜き取られた意識と知識のうち、知識は返還されている。
自我を司る意識の部分はなくとも、呼びかければ応答くらいはある。それが適切なタイミングで適切に返ってくるかはともかくとして。
アッシュヴィトの呼びかけに反応し、虚ろに宙を見つめていたヴェインはゆっくりと視線をこちらに向けた。
「ビ……ト」
ヴィト、と呼びたいのだろう。意図を汲んだアッシュヴィトはヴェインの手を握る。
だいぶ細い。ずっと臥せっているから仕方ないとはいえ、痛々しかった。
「あのネ、今日はサツヤもいるんだヨ」
「…サ………ヤ…」
声は掠れて音になっていないものの、はっきりと唇がそう動いた。
うん、と頷いたアッシュヴィトが身を引く。ヴェインの視線が猟矢を捉えた。
「あ、えと……その、久しぶり、なのかな」




