腐った林檎は腐敗を撒き散らす
その頃、ラットゥン・アップルでは数百回目の検証実験が行われていた。
"破壊神"メタノイアと名付けられたそれの肉体補強実験だ。"破壊神"本体から切り取った体の一部を使い、論説に基づいて処置を施し、細胞分裂、および肉体組織の肥大が認められれば成功となる。これらのデータは理論を洗い直された後、"破壊神"本体へと反映される。つまりは同じ処置を施すことになる。
「肉体補強に難が……エネルギーが……」
論文を手にぶつぶつと独り言を呟くのは、この部門の総括ドラマク・マカブルだ。
これから"コーラカル"を筆頭にして全世界がパンデモニウムに牙を剥く。戦争が始まるのだ。世界か我々か、どちらかが滅ぶまで終わらないだろう。それなのに我々の武器である"破壊神"がこの体たらくとは何事か。
大飯食らいの無駄飯食いを何とかしろ。セシルに苦情をつけられ、"破壊神"の肉体補強を申し付けられた。
その道のりは非常に難しい。なにせあの"破壊神"、数匹の獣が合成された生き物であるキマイラ以上に歪な生き物だ。ヒトも動物も何も手当たり次第に合成された"破壊神"は肉体組織の定着が安定しておらず少しのきっかけで自己崩壊を起こす。どうにか培養液から出すことができたものの、運用には程遠い。その証拠に、一撃放つたびに反動で肉体が自壊する。
"破壊神"に施す実験には二種類がある。ひとつは今言ったように肉体補強の実験だ。そしてセシルに苦情をつけられた部分でもある。
もうひとつは"破壊神"が放つ一撃のための、発射のエネルギーの確保の実験だ。魔力を凝縮し放つがゆえに連発がきかないという欠点がある。"破壊神"本体が魔力を蓄積する時間がどうしても必要になる。その蓄積時間を短縮することだ。
短縮するにはただひとつ。他者が魔力を分け与えるしかない。魔力は人間誰しも宿しているもの。しかしそれをそっくり他者に譲渡するということは、その人の死を意味する。魔力は生命力と言い換えてもいい。
要は、他者の"いのち"を犠牲にすれば破滅の一撃の充填時間が短縮される。他者の生命を魔力に変換して打ち込むのだ。
先の実験では受精卵を大量に用意し、それを用いることで打ち出した。単純に人を集めるより面倒だったのでもうやらないだろう。
「再充填……魔力……足りるが……」
新しく打ち立てた理論が正しければ、後者の問題についてはとりあえず一発は打てる。その一発さえ打てればいいとセシルは言っていたから二発目以降については今のところ置いておく。
だが肉体補強の方だ。打ち出すエネルギーは足りる。だが肉体が脆ければまた反動でひっくり返って狙いが逸れてしまう。
土台を安定させるものが必要だ。石や瓦礫を積み下半身を地中に埋めることで安定をはかるか。
「肉体……肉体か……」
今までのように、生物の体を合成して継ぎ足していくのでは無理があるだろう。計測データによれば、足していった質量よりも自壊によって欠けて損なわれた質量の方が多い。
これでは、いくら足したところで雀の涙だ。それこそ、無限に増える肉体でもなければ釣り合いが取れない。
「…無限……増える………再生………」
呟くドラマクの脳裏に電光がひらめいた。
あるではないか。無限に再生する不死の肉体が。
セシルはパンデモニウムによって人工的に造られた人間だ。その製造者はパンデモニウム設立から在籍していた科学者によるものだ。
だが、ドラマクではない。実験体ナンバーせ-211、個体名セシルを生み出したのは、ドラマクの師たる研究者だ。ドラマクはその研究と地位を引き継いでラットゥン・アップルの頂点にいる。
その師は先祖代々ひとつの武具を受け継いできた。使うことは許されない。というより子孫の誰もがそれに適合せず発動できなかった。その存在と謂れと秘められた効果の知識だけを受け継ぎ、次代に渡す。
それはめぐりめぐって師の手元に流れてきた。泡沫の名をつけられた武具は他者の生命を代償に自らの肉体を修復する効果があった。
この武具に秘められた魔術式を解読し、人間に埋め込む。それが師の打ち立てた理論だった。
武具は魔術式を魔銀に閉じ込めたものならば、魔銀の代わりに何を用いたっていいはずだ。人間の肉体であっても。
自らの体を見立てて不死の武具となす。不死の武具を宿したものは不死となるはずだ。それを目指して師は実験を始めた。
泡沫と名付けられた武具を体に埋め込むのだから、器となる肉体はただの人間ではいけない。いちから作らねばならない。
そうして実験を重ね、師の理論を完璧に実証して生まれたのがセシルであった。
その不死の実験も、ひいては彼のためだ。
「世界を手に入れろ」
玉座に座し、そう命令する彼のためだ。"デューク"ロシュフォル・ザンクトガレン。
世界を欲した彼は自らの寿命だけでは世界を手に入れるには時間が足りないと悟った。それほどまでに世界は広く、また強大であった。
世界を支配するためには無限の時間と無限の力が必要だった。そのために彼は不死を欲し、そして自らの手足となるパンデモニウムを作り上げた。
そのロシュフォルが不死を得るために、試用として造られたのがセシルであった。セシルの肉体に埋め込まれた武具に書き込まれた魔術式は解読され、再現品がロシュフォルの肉体へと埋め込まれた。これによってロシュフォルは不死を得た。
そして力として求めたのがこの"破壊神"であった。神さえ打ち砕く力。世界を統べるに相応しい力。
それを作る理論を打ち立てたところで、ドラマクの師は突如として命を断ち、後に残されたものがそっくりドラマクへと継がれた。
「世界を手に入れろ」
そう繰り返すロシュフォルをセシルは静かに見つめた。玉座にかけられた紗のせいで、玉座に至る階段の下からは中を窺うことはできない。その紗をくぐり、ロシュフォルの顔を直接拝めるのはセシルだけだ。
同じ古参であり、それぞれの部門の総括でもあるネツァーラグやドラマクでさえ顔を見ることはできない。もっとも世界の真実に至ったネツァーラグはロシュフォルの現状など知識の内だし、ドラマクは研究に関わりがなければ興味の外だ。
「世界を手に入れろ」
繰り返すロシュフォルをセシルは見下ろす。
あぁ、世界を手に入れてやるさ。内心で呟く。
世界を手に入れ、ロシュフォルに頂点からの眺めを見せること。それがセシルが制作者から与えられた使命なのだから。




