墓標と落道
溜息を吐いた。長々と重苦しいそれは誰に聞き咎められることなく空に溶けていった。
自分はうまくやれていただろうか。やれているだろうか。そんな不安のこもった溜息を吐いたラクドウは、目の前の墓標にそっと語りかけた。
「……気まずいんだ、正直」
自分は一度、パンデモニウムの奸計により記憶を操られ、認識を歪まされ、本来の主たるアッシュヴィトに剣を向けた。
その操りの術から解放された時、事実を理解したラクドウは自らを呪った。
守るべきものを自らの手で殺そうとしていたということに。敵であるものを味方とし、主であるものを敵として認識するという魔法にまんまとかかってしまった自分の未熟さに。
自害するべきかと悩むほどだった。今でもその実行を検討するくらいには、あの時の自分は恥ずべきものであった。
それなのに剣を向けられた当人であるアッシュヴィトはあっけらかんとラクドウを許したのだ。そうなるように操られていたのだから仕方ない、処罰は与えず不問に処すと。
自分を追い詰めるほどに思い悩み、自責の念を抱えているのだから、追い討ちをかけるような真似はしないと。
アッシュヴィトはそう言ったのだ。昔日のように、幼馴染兼近衛として振る舞ってくれと。操られ、剣を向けたことなどなかったかのように。
そう言われた時、ラクドウは逆恨みのような感情をアッシュヴィトに抱いた。
どうして責めてくれないのか。罰を与えてくれれば、それをもってして区切りをつけることができたのに。
けじめをつける場さえ与えられず、自責の念の中で身悶えていろというのか。
うちひしがれる自分を気遣って不問とした意図は理解できる。だが、それでも。主として、臣下の罪を裁いてほしかった。
結局、ラクドウは自分では区切りをつけられない自責の念をいつまでも抱き続けることになる。自分が自分を許せるようになるまで、この自責の呪いは解けない。
そんな感情を抱えたままで、どうアッシュヴィトに接していいかわからない。あの時の自分を責めて罰を与えてくれと、今さら詰め寄ることもできない。あの出来事などなかったかのように振る舞うこともできない。
かろうじて臣下の礼儀で取り繕って動いている。自分ばかりがあの出来事を気にし続けていて、それが気まずい。
聞き分けのない子供のように、感情を素直にぶちまけられたらいいのに。それをするには精神が大人すぎた。
「……なぁ、ファス」
お前ならきっと、俺とアッシュヴィト様を交互に見て苦笑いを浮かべるのだろう。
ぽつりと呟いたラクドウは結晶の墓標を撫でた。墓標は答えず、きらきらと光を跳ね返すだけだ。
それは亡き恋人の墓標であった。ファイノレート・ビレイス。墓標には名前が刻まれてはないが、間違いなくその結晶は亡き恋人の魔力が物質化し、結晶となったものである。
否、"亡き"とは誤った表現であるかもしれない。現世にいないだけ。肉体が滅びただけで、魂自体は幽世に在る。
主たる皇女が神との契約を完了した時、彼女の存在は幽世から引き出される。5年前のことなどなかったかのように、昔日のまま蘇る。
だから一時的に手が届かなくなっただけで、失われたわけではない。そうラクドウは解釈している。
「ファス…」
もう一度恋人の名前を呼んで、その姿を脳裏に描く。
人間の記憶とは脆いもので、まず声から忘れていくのだそうだ。そして顔以外の体が記憶からぼやけ、次第に顔さえ思い出せなくなる。最後には思い出を反芻することもできなくなり、そうして故人は忘れられる。
一般的にはそうらしいのだが、ラクドウはそうはならない。瞬間記憶能力というやつだ。反芻するたびに記憶は色鮮やかに再生される。
昔日に聞いた声も触れた肌も詳細に思い出すことができるし、そのたびに狂おしいほどの愛しさが募る。
同時に、それを奪ったパンデモニウムへの復讐心が燃え上がる。あの光景は忘れたくても忘れられない。二振りの直刃の剣がその喉を掻き切った瞬間を。飛び散った赤色を。
その場にいれば庇うこともできたのに、雑兵の足止めを受けて引き離された。その隙に丸腰の彼女は殺された。
駆けつけた頃にはすべてが遅かった。奪われた幸福に発狂しそうなほど絶望し、その動揺を突かれて術にはめられた。まんまと術にかかってしまった自らの未熟さに吐き気がする。
復讐心と自責を煮詰めた感情は泥のようにラクドウにまとわりつく。それは自力では振り払うことはできないのだ。自分では禊ぐことはできない。
明確に区切りをつけない限り、終わらないし終われない。これはそういう感情だ。
そして最も区切りをつけられるであろう主の罰は望めない。この時点で、永遠にラクドウは自責に身悶えする未来しかなかった。
否、明確に区切りをつけられることはもうひとつある。パンデモニウムの滅亡だ。そうすれば皇女が神と交わした契約によりすべては巻き戻る。
辻褄を合わせるため、生き残りたちは5年前のあの日から巻き戻りが起きた日までのことをすべて忘却する。この自責の感情さえなかったことになる。
結局はそこに帰結する。救済も自罰も。パンデモニウムの滅亡に行き着くのだ。
それならば、ラクドウがやるべきことはひとつなのだ。
「……行ってくる」
パンデモニウムを殺す。ひとり残らず。
"コーラカル"とパンデモニウムの戦争に加わり、一人でも多くパンデモニウムの人間を殺す。
ラクドウが取れる手段はそれしかない。のうのうとビルスキールニルで待つなどできはしない。
先程、パンデモニウムのカーディナル級と戦って実力は把握した。あの程度がカーディナルの地位におさまっているなら問題なく切り刻めるだろう。
だから、行ってくる。一人でも多く殺しに。この感情を雪ぐために。
行ってらっしゃい、と声が聞こえたような気がした。




