時を稼ぐ重圧
「あ、ふたり死んじゃった」
ぼんやりしてたらこうだ。そう呟く刀の男に猟矢はじわりと汗をにじませた。
どこがぼんやりしていたら、だ。この指先ひとつ動かせば首が断たれそうなプレッシャーの中で。
猟矢と彼が対峙してから、かなりの時間が過ぎていた。それは5分かもしれないし1時間かもしれない。時間感覚など消し飛ぶほどのプレッシャーを感じながら、猟矢は彼と向き合っていた。
相手は自分の接近を気取られないほどのやり手だ。装備で気配を消したというが、だからといってここまで侵入できる力は道具頼りのものだけではない。その実力は本物だ。
十章衆筆頭、"断罪"のマズルカ。カーディナル級の中でも上位に相当するという地位は誇張ではない。こうして向き合っているだけでも精神が削られそうだった。
時間感覚が消し飛ぶほどの重圧に置かれている猟矢をよそに、マズルカはのんびりとしたもので、笑顔さえ浮かべていた。
「フェーヤとジャーベルかな、悲しいなぁ」
そう言う割には悲しんだ様子はない。まるで歌うように数えたその声音には、同胞を失った悲しみも、同胞を殺した相手への怒りもなかった。
憎悪に身を任せ、切り込んでこればいいものを。それすらしない。ただ笑顔でプレッシャーを与えながら、何をするでもなく立っているだけだ。
切り込んでこればいいのにそれをしない。彼が攻撃を仕掛けてこないにはきっと理由があるのだろう。その目的は何なのか、推理する余力さえ猟矢にはなかった。少しでも意識を逸らせば、あの手にある刀が首を狙ってくるような気がして。
「緊張してる? してるよね」
させてるんだもの。マズルカは笑みを浮かべたまま続けた。
もちろん、攻撃しないには理由がある。談話室などというソファやら机やらがあるこの部屋で刀を振り回しにくいだとか、そんな理由ではない。ただひとつの目的のために攻撃しない。してもいいのだが、現状このままで目的に沿っているから攻撃しない。
猟矢が拮抗を破り、攻撃してくるなら迎撃するが、してこないなら手を出す必要がない。だからしない。
こうやって笑顔でプレッシャーを与えているだけで目論見が満たされているのだから、それを自ら捨てるようなことはしない。
その目的とは時間稼ぎだ。魔力の奔流でビルスキールニルを消し去るため、魔力の結晶塊を砕くという役目を課された同胞のための。
それを成すまで、マズルカは時間を稼がないといけないのだ。邪魔者を一手に引き受け、この場に押し止めなければならない。
「……今頃、みんな何してるかな」
待ってるんだから早くしてよ。つけっぱなしの通信から上司の声が聞こえ、ニネマライアは歯噛みした。
「したいのは山々なんだが! な!!」
通信先へ言い返しながら、叩き込まれた衝撃波を避ける。
今回の襲撃の目的はビルスキールニルの民の魔力の結晶塊の破壊だ。その役目を任されたのはニネマライアだ。自身の異形化の武具によって結晶塊を砕き、濃密な魔力の爆発を起こしこの島を消し去る。それがニネマライアに課せられた役割だ。
それをしたいのは山々なのだ。だがビルスキールニルの皇女がそれをさせてくれない。
「そのまま時間稼ぎし、うぉわ!」
喉めがけて突き出されたレイピアの切っ先を皮膚一枚のところで避ける。薄皮が切れ、わずかに血がにじんだ。
「ん、もう! さっさと倒れてヨネ!」
焦れったくアッシュヴィトが地団駄を踏む。
ビルスキールニルの各地で起きていた戦いは決着がついた。3人の臣下たちはそれぞれ勝利をおさめた。あとは目の前のニネマライアと、猟矢が対峙しているだろう1人だ。
早く決着をつけたいのだから、さっさと倒れてほしい。具体的に言うと、攻撃を避けずに全部くらって死んでほしい。
殺す。例外はない。パンデモニウムは殺す。生かす選択肢はない。ニネマライアの死は、課せられたと交わした契約を成すための1歩だ。だから殺す。
薄暗い復讐心を疼かせながらアッシュヴィトはレイピアを振るう。この刺突が今度こそ急所を貫くように。
「そりゃこっちの台詞……うぉっ!」
応酬する余裕もない。ニネマライアは舌打ちしたい気持ちになった。
マズルカが時間稼ぎをするにも限界がある。だからこちらとしても早く目的を達成したいのだが。
「くそーー!! ああっ、もう!」
皇女を排除してから目的に取りかかるのは止めだ。
通信武具から流れてきた何度目かの催促を聞き、ニネマライアは排除と目的達成を同時に行うことにした。
飛びすさり、十分な距離を取ってから首飾りに魔力を込め始めた。
「"自己変革"!」
それは、理性を失った化け物となる武具だ。対となる武具でのみ元の姿に戻れる。その武具はマズルカに預けていてここにはない。
だからここで発動すれば最後、死ぬかあたりを破壊し尽くすまで止まらない。
「お、おおおおおおおおお!!!」
自己変革の痛みに叫ぶ。大きく仰け反った胸が肥大化した筋肉で膨らむ。
胸から腹、腕と広がった筋肉の肥大化に合わせ、背中の筋肉もそれを支えようと自己変革を始めた。
大きく仰け反ったニネマライアは膨らんだ背中の筋肉に押されて背を丸めた。その肩甲骨のあたりが異様に盛り上がり、そこから新たに両腕が生えてくる。
「キモチ悪……」
地面につくほど伸びた腕。逆に縮んだ足。逆三角の胴に埋まった頭。首は筋肉に埋もれたのか、なくなった。
指の長さはばらばらで、指というより肉塊についた突起だ。
醜い。それがアッシュヴィトが抱いた感想だった。思わず目を逸らしたくなるほどの異形。
生理的嫌悪の反面、怒りがわいてくる。こんなものがこの神聖な神殿の前にいていいわけがない。これ以上この美しい島を穢すな。化け物め。
「触りたくナイから交代! ……"インフェルノ"!」




