対立と神巫、幸甚と騎士
精霊を介して主に見られている。そう感じ取ったものの気にした風もなく、イルートは目の前の相手に問いかけた。
「退却する気は?」
「あのね、確かにあたくし平和主義者ですけど、この状況でそれを言います?」
この女は何を言っているのやら。きょとんとされながら返された言葉に、そうですか、とイルートは答えた。
イルートとて、侵入者が素直に帰ってくれるとは思っていない。ここはビルスキールニルの民の墓。その墓前を汚したくないので説得を試してみただけだ。
断られたのなら結構。説得は無理として排除するのみ。イルートは持っていた杖を腕輪に戻す。
「……我が天に掲げし樹神の名において」
イルートが述べたのはビルスキールニルの騎士の誓約の口上だ。ビルスキールニルを守護する神のうち、自身が信仰する神の名を挙げ、その神の名において主に忠誠を誓う。
というのがこの口上の本来の役割であるが、神官であるイルートの場合は少し違う。
自らが信仰する神を述べることで、その神の力を借りるための口上だ。人は神を敬い、神は信徒を庇護するという人間と神の関係によって、神の庇護を招請するためのもの。
「堅固なる大樹の契約のもと、我に力を貸したまえ」
力を貸せといっても、その方法は招請を受け取った神に委ねられる。眷属を派遣する時もあれば、直接本人がその場に顕現する時もある。何も召喚されることなく、神の力のみがその場に振るわれる時もある。
人間はあくまで助力を請う側であり、どう力を借りられるのかを指定することはできないのだ。
さて、今回はどうだろうか。自らが信仰している樹神の気配が迫ってくるのを感じとりながら、イルートは事態に備えた。神がどう出るか、イルートとてわからないのだ。
「あのね、あたくし容赦はするなって言われてるの」
一切の慈悲なく、手を抜かずに島を沈めろ。そう命令を受けている。だから最初からやる気だし、そして今もそのために動いている。
この神官が神の庇護を要請しているのを邪魔せず見過ごしたのもそのためだ。
「あのね、結論から言ってあげる! あのね、あたくしの"時の砂"はもう動いてるの!」
自分の武具は、その能力上、十分な効果を得るまでに時間がかかる。満足に力を振るうためには早めに準備をしておかねばならないものだ。
だから、ビルスキールニルに到着した時からこの武具を起動させていた。
そこから十数分。わざと見過ごした神への招請の時間も足して四半刻に満たないほど。
それだけかければもう、満足に力を振るうだけの十分な時間となる。
「あのね、名乗った方がよさそうだから名乗るわね。あたくし……"対立"サンドリア・パンデモニウム・ザントアウア、いきます!」
迷彩魔法を解き、隠していた砂時計を出現させる。身丈ほどの巨大な砂時計を背にして彼女――"対立"サンドリア・ザントアウアは名乗りをあげた。
「名乗りには名乗りを。慣例にのっとりお返しします。ビルスキールニル神官長、イルート・アールヴァクル」
そして、といったん言葉を区切り、イルートは続けた。
ざわざわと背筋が粟立つような気がした。招請を聞き届けた樹神が遣わした力の気配が間近に迫ってきていた。木の根がそうするように、地中を這って向かってきている。
神はどうやら顕現するでもなく眷属を派遣するでもなく、力のみをこの場に送り込もうとしたようだ。イルートの要請に従い、一撃だけ敵に与えてやるということだ。
仮に仕留め損ねた場合、そこからは自力での解決となる。仕留め損なうことなどないだろうが。
「……これが、我が天に掲げる樹神の御力」
くらうがいい。イルートの言葉と同時、地中から突き出た根が侵入者を貫いた。
「あん、イイ男」
イケメンってだぁいすき。甘ったるい声で侵入者はそう言った。
この侵入者に見覚えがあるようなないような。パンデモニウムの顔見知りとなると、思い当たるのはひとつ。5年前のあの日に襲撃をかけてきた面子のひとりだということぐらいだ。だが、残念ながら覚えが薄い。
「…………ああ!」
うーんと唸って首をひねったバッシュはようやく記憶からそれを引っ張り出した。
島のふちから海にぶん投げた気がする。なにせ武器も持たず丸腰でいたので攻撃しやすく、また叩き落としやすかった。
雑魚という印象がある。そんな相手がまた自分の前に立つのか。
それなら結構。返り討ちにするだけだ。バッシュはついと手を掲げた。
「悪いが速攻だ。こんな状況でもなけりゃ手合わせ程度に刃を交えてやるんだがなぁ」
なにせこの島では剣術の相手などラクドウくらいしかいないのだ。同じ相手ではマンネリに尽きる。
こうした状況でもなければ、剣術の新しい相手として手合わせ程度に戦えたものを。
ぼやきながら、バッシュは一度息を吸い、ゆっくりと吐いた。掲げた手に力を込めた。それは、神への信仰の誓いであった。
「我が天に掲げし火神の名において」
信仰の誓いでもって神へ招請する。請うのは純然たる力。破壊を司る荒々しい火の属性の力。
敵を凪ぎ払うためだけの力を火神に請うたバッシュは掲げた手をひらめかせた。
「来いよ相棒、"フィアンマ"」
次の瞬間、バッシュの傍らに現れたのは巨大な眼球であった。
ひとの顔面から、眉から頬骨にかけての片目の部分だけを引き剥がし、板に貼り付けたような形態をしている。
炎を思わせる赤毛の睫毛で彩られたその目はしっかりと閉じられており、瞼はぴくりとも動かない。
それは、バッシュの自慢の相棒だ。剣では届かない範囲の敵に、剣ではさばききれない数の敵に一度にまとめて攻撃するための。
「こんがり焼いちまえ。……"フィアンマ"、開眼!」
バッシュの合図に弾かれるように、片目だけの顔の精霊は閉じていた瞼を一気に見開いた。
瞬間、侵入者の女の全身が燃えた。灼熱に身を焼かれる音がし、そしてそれに掻き消された悲鳴がか細く響いた。
片目だけの炎の精霊フィアンマ。その閉じられた目が開かれた時、視線を合わせてしまった者は灼熱に身を焼かれる。
生き物が一瞬で灰になり、その灰すら残らない大火力は火神の力をそのまま写し取ったものだ。
「焼き肉食いてぇ」
ぱちぱちと火が爆ぜる音を聞きながら、バッシュはぼんやり呟いた。夕飯前なので腹が減った。
ひとが焼ける光景を見ながらなんと不謹慎なと言われそうな感想を述べたバッシュの鼓膜を、信じられない声音が叩いた。
「あぁん、乱暴」
ぱんぱんと。裾をはたきながら、なんでもないという風に女は炎の中から出てきたのだ。
下品なほど露出した服の裾には少しばかり焦げがみられるものの、その肌は灰になるどころか火傷ひとつ見当たらない。
「どうやって……」
「やっだぁ、びっくりしちゃった」
おかげで、思わず咄嗟に考えてしまったではないか。"もし、焼けずに済む可能性"を。"無傷で済む可能性"を。
考えた結果、それはあった。視線を合わせれば灼熱に苛まれるという精霊と"そもそも目を合わせなかった"可能性を。
そして手繰り寄せた。可能性を実現してやった。灼熱は彼女を焼かず、ただそのあたりの空間の空気だけを焼いた。
「無傷だなんて幸甚に尽きるわぁ、あん、超ラッキー」
そう言って、"幸甚"フェーヤ・フェーユは微笑んだ。




