魔女回避は容易
「直接会いに行こう!」
「は…? え?」
唐突な提案に猟矢は目を瞬かせる。会いに行こうとは、つまり、ビルスキールニルに行くということか。
確かに危険を承知で"蛇の魔女"に会うよりも氷神に聞いた方が早いし、それならばナルド・レヴィアの悋気を避けてビルスキールニルに行くのも理屈に合っている。
それはわかるのだが、あることを忘れていないだろうか。
「いやでもヴィト、だってあそこは」
ビルスキールニルにおいて神と対話できる場所は限られている。神殿の奥、王族しか入れない禁域の神殿のみだと聞いている。
そこに王族でもない人間が立ち入ろうとすると神の裁きが降るという。その裁きのせいであの日ビルスキールニルを襲撃したパンデモニウムも神殿には手を出せなかった。と、以前にアッシュヴィトに連れられビルスキールニルに向かった時にそう聞かされた。
王族のみ立ち入れる神聖な神殿に、ただの高校生にしかすぎない猟矢が入れるわけがない。あの神殿に立ち入れる資格は血統のみであり、ビルスキールニル王族のみである。それ以外は関係ないのだ。たとえこの世界を創造した作者であっても。
「俺じゃ神殿に入れないだろ?」
猟矢は神殿には入ることができない。アッシュヴィトはどうする気だろうか。
神殿に立ち入れないのなら適当な場所で"インフェルノ"を用いてその場に召喚するのだろうか。
「え? いやフツーに入れるヨ?」
というより、入らせる。神の裁きがなんだ。自分はその神の主に立っている。主たる自分の言うことならば神とて聞くはずだ。
アッシュヴィトはあっさりとそう返した。何か悪いことをしようとするならともかく、目的はただ神との対話だ。それならば少しくらい禁を破ったところで咎められることなどないはずだ。
神自身、アッシュヴィトが自由奔放だということは知っているし、苦笑いくらいで済まされるだろう。
「いいのかなぁ……」
それでいいのかビルスキールニル。
あの島で皇女の帰りを待つビルスキールニルの神官長が聞いたら卒倒しそうだ。1度しか会ったことはないが、彼女は規律や規則にうるさい人間だった。 そんなお堅い彼女がこれを聞いたらどうなるだろう。数時間くらい正座で規則というものの大切さを説教させられそうな気がする。
「まぁ……バレなきゃイイデショ」
それでいいのかビルスキールニル。
「"ラド"、ボクたちをビルスキールニルへ!」
ビルスキールニルへ出掛ける旨を皆に告げ、アッシュヴィトと猟矢は不滅の島へ降り立った。
ビルスキールニルの玄関口、白き祈りの空と呼ばれる通路だ。この結晶はビルスキールニル人の墓である。濃密な魔力を持つゆえにビルスキールニル人は死ぬと肉体まるごと結晶化する。それが自然と風化して残るのがこの結晶の小道である。
ビルスキールニルに訪れる人間は、死して結晶となった彼らに見定められながらこの道を進む。
白い結晶が乱立する小道を抜け、転移装置があるところへと向かう。あずま屋の前にはビルスキールニル神官長のイルートが待機していた。
「お帰りなさいませ、アッシュヴィト様。そしてようこそいらっしゃいました、サツヤ様」
流麗な動きで礼を取ったイルートに片手を挙げて応えるアッシュヴィトの耳に転移装置が稼働する音が聞こえた。
送信ではなく受信の方だ。きん、と澄んだ音と共に現れたのは世の果てに似た漆黒の騎士。ラクドウ・フィルセット。
「アッシュヴィト様、よくぞお戻りで」
少しばかりぎこちない面持ちで彼はアッシュヴィトに跪いた。楽にしていいよ、と礼の姿勢を解かされたあとも表情は変わらない。その視線が猟矢を捉えた。
「あ…ど、どうも…」
見つめたまま言葉を発しないラクドウへ向け、猟矢はとりあえずとばかりに会釈しておく。
最後に会ったのはいつ以来か。彼にかけられた洗脳の術を解いた時だ。その時もあまり言葉を交わさなかったのでどう接していいかわからない。ラクドウ自身あまり喋る方ではないし感情を表に出す方ではないので余計に話しづらい。
「ん、ゴメンネ、ラクドウ。用事あるカラ挨拶は後でネ」
王宮前広場で待つひとりもいるのだが、そちらに顔を見せるのは用事が済んでからだ。積もる話は多々あるが、今はそれを語るのは後回しだ。ラクドウたちとの話はどうせ報告から世間話まで長いものになるだろう。それならいっそ挨拶から全部まとめて後にする。
自分勝手だが、アッシュヴィトはこの国の皇女だ。最高権力者なのだから多少の勝手は許してもらおう。
「まったく……仕方がありませんね。礼儀知らずのバッシュには礼儀が欠けた行動でちょうどいいでしょう」
イルートが肩を竦めた。ちくりと皮肉を刺してアッシュヴィトを咎める。皇女だからといって礼儀の欠ける行動を許すほどイルートは優しくない。ただそれよりも優先されるであろう事態が起きたのでこの場では皮肉で済ませるだけだ。
アッシュヴィトと猟矢の到着に前後して神の神殿に反応があった。神殿に神が降り立っていることを空気の変化で感じ取ったイルートは主とその友人の用事の内容を察した。おそらく、主たちは神と対話するために来た。神との対話ならば我々ごときに構う暇はない。
それならばイルートがやるべきはアッシュヴィトと猟矢を見送ることだ。
ついでに、アッシュヴィトと猟矢が神との対話をしている間に、皇女とその友人と臣下たちが交わす長くなる話に備えて席を用意しておこう。宿泊もありえるだろうからその準備も。
「アリガト、イルート! ラクドウも後でネ」
「えぇ」
「はい」
短く応じた臣下に背を向け、アッシュヴィトは転移装置に手を伸ばす。この転移先はアッシュヴィトにしか指定できない場所だ。はぐれないよう猟矢の手を握って転移装置を作動させる。
「ボクとサツヤを神殿へ!」




