そして氷塵が到来する 【2】
紅玉の大鴉は一直線に急速下降を始めた。その先にいるのはフィフニだ。大鴉はフィフニに頭から突っこみ、馬から引きずり降ろして、そのまま後退させていく。
「こんの小雀がああああああああああああっ!」
長い怒声の尾を引いて、フィフニの姿は路地の隙間へと消えていった。
「襲撃は失敗だ。逃げるぞ」
レックは確認を求めるが、ルーザーからの返答はない。
「ルーザー?」
不審に思ったレックがルーザーに振り向いて、表情が停止。
ルーザーが流れ弾に当たって倒れていた。呼吸も脈もない。
「完全に死んでるじゃねえか」
ルーザーは普段どおりの無表情で、自分に起きた事態を理解しているのかも怪しかった。血に濡れた指先は地面に『ふぃふに』『れっく』と死に際の伝言を残している。
「これ、どうすんだよ?」
レックは途方に暮れて呟くが、人生を悲観して物思いに耽る時間などない。ゼッペルの分身体を屠った弾丸の嵐が、弾道を曲げて今度はレックに襲いかかってきたのだ。
レックは咄嗟に銃を掲げて弾丸を防御するが、凄まじい威力で体躯が横に跳ばされてしまう。後方にあったビルの一階部分に背中から激突し、壁を粉砕して内部に飛びこんだ。それでも衝撃は殺されず、轟音が連続して次々にビルの壁を突き破っていく。
レックを追いかけて、弾丸の嵐も次々に壁の穴に消えていった。
「逃げられると思うのか?」
「おやめください、ゼッペル様」
必死のレオシュがゼッペルの体にしがみついたのはそのときだ。
「やつらはもういません! このままではあまりにも被害が大きすぎます! 一区画どころかゴルタギアそのものがなくなってしまいます!」
レオシュの言葉を聞いてゼッペルの動きが止まった。やがて腕が降ろされる。
「……それもそうだな」
ゼッペルが納得の言葉を呟くのと同時に、天空から降下していた巨大物体が幻のように消失。半ばまで砕けたビル群が今までの光景が現実なのだと証明していた。
「では、やつらを追え。このゴルタギアから狩りたてるのだ」
ゼッペルの号令に応じて護衛たちの半数が車に飛び乗った。猟犬となってゴルタギアに解き放たれる。
残った半数はゼッペルの護衛を続ける者たちと、戦闘の処理をする者とに分かれる。護衛の死体に混ざってルーザーの死体も運ばれていく。
その様子を眺めながら、ゼッペルは不可解な自己疑念を覚えていた。
(どうして私はゴルタギアの損害を無視してまであの三人の始末を優先した? 人間であるなら『頭に血が上っていた』というところだろうが、私は人間ではない。逆上などという非効率的な思考とは無縁だ。
とするなら…………あの三人の始末は、ゴルタギアの保存よりも優先順位が高かったということか?)
「ゼッペル様、先程の所業はどういうことですか⁉」
自問自答を繰り返すゼッペルの思考に割りこんできたのはレオシュの声だった。視線を向けると、レオシュは困惑と疑念と、そして怒りの顔つきで、今にも挑みかからんばかりにゼッペルを睨みつけている。
ゼッペルにはレオシュの表情が意味する感情も、その理由も分からない。
「どう、とは?」
「市街地への被害を容認されたことです」
「なんだ、そんなことか」
ゼッペルは本当になんでもないことだとばかりの素っ気なさで呟いた。
「ここは優等種が暮らす中心市街の一等地ではない。凡愚と劣等種の生活地域だ。ゴルタギアのいずれかを戦場とし、被害を出さなければならないのなら、全体として価値の低いほうを犠牲にするのは当然だろう。だからこそここを最終防衛線とした」
「そ……んな……。中心市街を生活拠点としている者など、ゴルタギアのほんの一握りにすぎませんよ⁉ 彼らだけを守って、その他大勢を犠牲にすると仰るのですか⁉」
「そう言っている。中流から下流階級は社会を維持するために過不足のない数が揃っていればいい歯車だ。消耗品は破損したら取り換える。それだけのことだろう」
ゼッペルの返答を耳にして、レオシュの顔色が見る見る青くなっていく。ゼッペルにとって、ゴルタギアの大多数は取り換えの可能な大量生産品で粗悪品なのだ。ゼッペルはゴルタギアの九割以上を占める人間たちに、命の価値を見出していないのだ。
「あなたは我々商業組合の長、ゴルタギアの支配者でしょう?」
レオシュは縋るように言葉を口にした。その声は震えている。
この時代、巨大な都市は一つの国家に等しい。そして国と国民がいるのなら、当然、それらを支配する者もいる。大都市の支配者は王にも等しい権力を有しているのだ。
そして貿易拠点であるゴルタギアにおいてその座にいるのは、商業組合の長であるゼッペルだった。ゼッペルの真意の言葉は国王から袖にされたも同然なのだ。
「あなたが我々の生活をよくしてくれるから、我々はあなたにつくしてきたのに!」
「実際によくしたのだ。だからゴルタギアの民の命を対価として支払っても、それは対等な契約というものだ。
分かったのなら貴様も利益に見合うだけの働きをすることだな」
それだけを口にして、ゼッペルは背を翻して車に乗りこんだ。すぐに駆動音が鳴り響いて車が走り去っていく。
小さくなっていく車の背中を、レオシュの敵意の視線が見続けていた。




