そして氷塵が到来する 【1】
「ここが限界防衛線だ」
天空に手を伸ばした姿勢で、ゼッペルは声高に宣言した。
ゼッペルはこれまでにも高級車やレックの葬星器を複製している。天空に浮かんだ逆様の大地がゼッペルの仕業であるのは明白だ。
しかし今回は規模が違った。地面から遥か上空に再現されているのは、石灰石を積み上げた壁面に、遮熱硝子の窓。屋上を真下に向けた上下逆様の巨大なビル。
フィフニとレックとルーザーの視線が三方に散らばる。それぞれの視線が捉えたのは乱立するビルの林。ビルだけではなくそれを支える地面が、地面に転がる小石が、空中に舞う紙屑までもが完全に再現されていた。
ビル一棟どころではなく、ゴルタギアの一角がそのまま上下逆様となって天空に複製されていたのだ。その直径はおよそ八〇〇m。重量に至っては考えたくもない。
そして天空の大地からこちらを見上げてくる、自分たちと全く同じ三人の男。
「確か、どこかの地方のお伽話に空から逆様の大地が落ちてくるってのがあったなあ。蜃気楼って説があるけど、実際に巨大質量が落下して作られた大穴と、衝撃波が広範囲を薙ぎ払った形跡が残っているそうな。つまりそれもあいつの仕業ってことか」
フィフニは天体観測のような呑気さで空を見上げて呟いた。あまりに非現実的すぎる光景に感覚が麻痺しているのだ。同じようにゼッペルの護衛たちや、遠巻きに戦況を窺っていた市民たちも呆気に取られて空を見上げていた。
「これ以上中心部に進まれるとゴルタギアの経済が打撃を受ける。それはならん」
ゼッペルが複製の街を支えていたなにかしらの力が消失。複製の街が質量爆弾となって降下してきた。神話に語られる神罰のような光景を前に、ゴルタギアの人々は叫ぶことも泣くこともできず、ただただ空を見上げ続けるのみだ。
高架線路のレックと、馬に跨ったフィフニと、地上のルーザーが同時に動き出した。
「逃げ場なんかねえ! あれだけの巨大質量だ。低空からでも半径数㎞から数十㎞、ゴルタギアの一角が一瞬で壊滅する! 人体なんか肉片以下だ!」
「だったらやめさせるぞ!」
怒声を放ってレックが高架線路から飛び降りると、天空のレックも同じように高架線路から飛び降りる。レックは着地すると同時にゼッペル目がけて走り出し、天空のレックも走り出す。レックが蹴飛ばした路上の小石も、天地で全く同じ放物線を描いた。
「どんだけ神経質なんだよっ!」
「くくくくく、あいつの神経質は四天王の中でも最弱」
「最強の四天王は神経質が原因でハゲまくっているそうな」
走るレックにフィフニが追いつき、逆隣りをルーザーが並走。三者三様に好き勝手を口走りながらゼッペルへと全速力で突っこんでいく。
レックが銃を突き出し、フィフニは馬上で両手に短筒を握る。光弾と鉛玉が撃ち出され、しかしそれらは黄金の乱舞によって撃墜された。ゼッペルの前方で壁となるのは何人ものゼッペル。何振りもの黄金の剣が振り回され、全ての攻撃が撃墜される。
「自分自身を複製した分身体か!」
驚愕を漏らしつつも攻撃の手は緩めない。三人はさらに速度を上げて突っこんでいく。
一番高いビルと、その複写されたビル同士の屋上が激突。双方の屋上部分が鏡写しのように木端微塵となり、地上と空中に瓦礫が降り注ぐ。
「ゼッペル様、これでは街にも被害が出てしまいます」
「だからどうした」
「だから、って……」
声を大にしたレオシュの進言をゼッペルは一言で切って捨てた。あまりにも冷淡なゼッペルの態度にレオシュは絶句してしまう。
ビル同士が次々と衝突していき、頭上からは人間大の瓦礫が流星群となって降り注いでくる。その光景は天が落ちてくる、あるいは巨大な口腔が閉じられていく様にも思えた。三人はさしずめ怪物の口の中から逃げ出そうとする哀れな獲物だ。
「「「おおおおおおおおおおおおっ!」」」
フィフニが、レックが、ルーザーが、それぞれの喉から雄叫びを迸らせながら駆けていく。天空から接近する大地によって日光が遮られ、日食のような闇が支配する中で、三人の眼光だけが爛々と輝いていた。
三人を迎え撃つべくゼッペルの分身体が闇の中へと走り出し、
音。
「上だ!」
「横だ!」
フィフニとレックが同時に口を開いた。二人の言葉は両方とも正しい。
天空から降下してきていた複製の大地が突如して爆散した。地表を貫いて飛び出したのは巨大な鴉だ。しかしゴルタギア近辺に野生の鴉は生息せず、なにより人間の子供ほどの大きさで、真紅の輝きを放ち、金属質の体を持つ鴉など存在するわけがない。
「あの葬星器は、まさかっ⁉」
同時に横手から弾丸の豪雨が降り注いできた。弾丸の豪雨はゼッペルの分身体へと殺到。分身体たちは弾丸の豪雨から逃げようとするが、弾丸は空を飛ぶ昆虫のように鋭角を描いて急速方向転換。前後左右上下四方八方からゼッペルの分身体たちに食らいつき、穿ち、抉って破壊していく。
呆然と半開きになっていたレックの口が凶暴な三日月を描いた。レックはこの曲射の使い手を知っていた。
「ようやくお前の尻尾に追いついたぞ、《天》‼」