傷だらけの楔は愛を刻む 【1】
ゴルタギアの郊外にひっそりと、小さくて古い霊廟が建っていた。人一人がようやく通れるだけの入口に今は人影が寄りかかっている。右腕を失った人影だ。
「随分と長い間、君を待たせてしまったな」
ベベルベリスの顔は穏やかだ。まるで憑き物が落ちたかのように。
ベベルは玄室の中心に安置された石棺へと歩き始めた。その動きには精彩がない。両足を泥濘に捕らわれているかのように、大気の重みで今にも押し潰されてしまうかのように。手向けられた石細工の花々も、今はベベルの歩みを邪魔する障害物となっている。
ベベルの胸はごっそりと抉られ、内部にあるはずの心臓器官が失われていた。燃えつきる寸前の、命の残滓で辛うじて動いているにすぎないのだ。
ようやく石棺へと辿り着いたベベルは、糸が切れたようにその場に腰を落とした。左腕を持ち上げ、残った力を振り絞って石蓋を押し退ける。石棺の内部にはなにも残っていない。あるべきはずの体は長い年月によって風化し、灰となっていた。
それでも、灰を見つめるベベルの眼差しには愛おしさが満ちている。
ベベルの視線が霊廟の入口へと移動する。新たに、左腕をなくしたルーザーが立っていた。
「私の最愛の人だ」
ルーザーは石棺の内部に積もった灰に視線を落とし、静かに瞼を伏せた。再びベベルに視線を向け、すっと右手を差し出してくる。
「いや、いい」
ベベルは静かに、ルーザーからの申し出を拒否した。
「私はここでいい」
「……そう」
ルーザーの指先はなにかを探すように虚空を彷徨った。けれどなにも摑むことはできず、未練をかかえながら引き戻されていく。顎を引いたルーザーの表情は、どことなく悲しげで寂しげだ。
「本音を言うと、どちらでもよかったんだ」
顔を上げているのも疲れるというふうに、ベベルの視線が床に落とされた。
「塔を起動させて世界を滅ぼしても、誰かに阻止されて私が終わっても、どちらでもよかったんだ。どちらも私の本心で、心からの願いだったからな」
それは身勝手だったのだろう。しかしルーザーは否定することなく、ただただ黙ってベベルの言葉に耳を傾けていた。
「結局のところ、私の望みは彼女と一緒にいることだけだったのだろうな。だけど私を止めたのがお前でよかった。本当に、よかった」
ベベルの声は徐々に小さくなっていく。瞳からも光が失われ、どこを見ているのかも定かではなくなっていた。
「なあ救世主、お前はどこにいこうとしている? 全ての《葬世者》と《葬星禁器》との決着をつけたあと、お前はどうするつもりだ?」
「僕は私は、傍観者になりたい」
「傍観者?」
主体性のない表現に、ベベルは訊ね返していた。
「そう。誰かが生まれて、育って、愛する別の誰かと家庭を築いて、そしてまた別の誰かが生まれて、ときには争いが起こるけど、自分たちの力で争いをやめられる。そうやってちょとずつ進んでいく世界。人間が人間たちだけの力で作り上げていく世界。僕は私は、そんな世界を外側から見守る傍観者になりたい。それはきっと僕の私の、《葬世者》も《救世主》もいらない世界だ」
「難儀な夢だな」
ベベルは苦笑いした。ルーザーの夢見る世界は、ルーザー自身が世界から消えなければ実現しない夢なのだ。
「だが、それはきっと、いい世界なんだろうな」
ベベルの視線が遠くに向けられる。視力が落ちているにもかかわらず、目はなにかを見つめる光を帯びていた。ベベルもルーザーの夢見る世界をともに夢想しているのだ。
ベベルの腕が動いた。なにかを握り、放り投げる。ルーザーの手の中に落ちてきたのは夢見る欠片だった。
「それには、私がこれまでに調べてきた葬星禁器の在処に関する情報が記されている。元々は計画に組みこめないかと調査していたものだが、今となっては私には無用の長物だ。だが、これからのお前には必要なものだろう? 餞別というやつだ」
「……少し、欠けてるんだけど?」
「お前が力一杯殴ったからだろうが。自業自得と思って諦めろ」
ベベルは苦い顔をして笑った。ルーザーも同じように笑った。
ベベルの手にはいつの間にか遠隔操作のための釦が握られていた。
「いい夢が見られそうだ」
釦を押した直後、ベベルの腕が力なく落ちていった。まるで眠るように石棺に体を寄りかからせる。音が響いて、ベベルと石棺を乗せた床が地の底へと下降していった。ベベルが彼女のために拵えた石の花も、二人に連れ添うように穴の中へと落ちていく。霊廟ごと地面が崩れ、土砂で穴が埋まっていった。
ベベルと彼女は誰の手も届かない地の底で、永遠に寄り添っていくのだろう。
完全に埋もれてしまった穴の上に、黒金の光で作られた花が舞い落ちていった。花は一瞬だけ強く輝き、そして儚く散っていく。
「君は、生き抜いたよ」
これはとある男の、愛と戦いの足跡。




