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前へ、それでも前へ 【3】

 どれほどの時間、夢を見ていたのだろうか。気付けば頬には涙の感触が残されていた。楽しかった夢だった気もする。悲しかった夢だった気もする。

「どちらにしろ、懐かしい夢だ」

 ルーザーは拳を突き上げた。体を埋める瓦礫を押し退けて外界へと這い出していく。

 全身が痛い。血は止め処なく流れ、体はバラバラに分解してしまいそうだ。目の前には同じような満身創痍となったベベルが立っていた。杭打機も大筒と中筒が一本ずつ、合わせて二本にまで減っている。

 二人の横手には銀色が世界を分断する壁となって聳えている。二人の戦いはついに巨塔の足元へと到達していた。街路は完璧に整備されていたはずだが平地などなくなっている。サーペントによって倒壊したビルの瓦礫が山脈となって連なり、鉄骨や配管や人間の手足が林となって突き出していた。

 二つの小山の頂点でルーザーとベベルが向かいあう。二人から流れた血が銀色の川となって麓へ引かれていた。

 ルーザーはその辺からコンクリ片を拾い上げて口に運んでいく。焼菓子のように齧って、噛み砕いて、美味くもなさそうに呑みこんだ。対してベベルが取り出したのは本物の焼菓子だ。干し果物と木の実を小麦の生地で焼いた菓子を口に運んでいく。

 ルーザーの口の端から物欲しそうな涎が垂らされた。

「私が焼いた」

「焼けるのか⁉」

 ルーザーは驚いたように目を丸くする。

「長く生きていれば菓子くらい焼けるようになる。…………焼けないのか?」

 さも当然とばかりに答えたベベルは、ふとした疑問を覚えて口を開いた。ルーザーは体裁が悪いとばかりに視線を逸らしてしまう。

 意外だった。自分よりも人生経験のあるルーザーは、当然のように自分にできることをやってのけて、自分よりも多くのことができると思っていた。

「では、逆にお前はなにができるんだ?」

「別に。なにも」

 ルーザーの答えは端的で率直だった。

「卵は割れずに砕けるし、肉は生焼けか炭になる。包丁を持とうにも何度やっても同じ大きさに切れないし、毎回指を十二本は切り落とす」

 一通り語ったはずのルーザーは、まだまだ語り終わらぬとばかりに言葉を続ける。

「掃除も洗濯も裁縫もできない。絵も描けないし歌も歌えないし音も奏でられないし、人を笑わせることもできない。服だって着こなしが悪いから黒ばかり着ているし、ネクタイも髪も自分じゃ結べない」

 語るルーザーは悲しそうで悔しそうで、心の底から自分を不甲斐なく感じていて、だけど疲れ果てて諦めてしまった脱落者の顔をしていた。

「私は人間としては欠陥品だ。戦うことしかできやしない。人間としては君のほうが何倍も上等だよ」

「……まるで気にしたことがなかった」

 あの時代では完全無欠に思えた兄も、視点を変えればこんなにも不完全な存在だったのだ。考えればいくらでも話す時間はあったはずだ。なのに誰もが必要のないことだとして気にもしていなかった。

「あんたとはもっと話すことが、それこそ山のようにあったのかもしれないな」

「ああ」

 合図も予兆もなく、二人の左腕が跳ね上げられて抜き撃ちのような黒と藍色の応酬。ルーザーの右脇腹が削られ、ベベルの頬が掠められた。ベベルは衝撃で上体を仰け反らせ、ルーザーは傷口に手を回して膝を折ってしまう。

 ルーザーの動きは緩慢だ。追撃を放とうとするが負傷で狙いを定められない。ベベルは強引に体勢を立て直すと同時に飛び出した。防御すら遅いルーザー目がけて必殺の大筒を繰り出す。

 大筒がルーザーの顔面を捉えるその瞬間、ベベルは突如として急停止していた。地面から飛び出した黒い光球がベベルの鼻っ面を掠めていく。先ほど瓦礫に埋もれたルーザーが地下に仕かけておいた策を放ってきたのだ。それが完璧に対処された。

「ここぞという場で隙を見せたなら、それは誘いこむための罠に決まっている。見え透いているんだよ」

 ベベルは再び大筒を突き出した。今度は止めない。一撃でルーザーの命を奪うべく最速で繰り出される。

 衝撃が走り抜けた。杭打機が粉々に破壊されて残骸が飛び散っていく。瞬前にベベルが目にしたのは杭打機に真正面から激突し、殴り壊していくルーザーの拳だ。

 ルーザーの拳は黒と金に包まれていた。不敵に口の端が吊り上げられている。最前の罠は攻撃のためではなく、この一撃を生み出すための時間稼ぎだったのだ。

「見つけたぞ」

 ルーザーの得意げな顔は一瞬で苦痛に歪められる。

「仕かけたのは私も同じだ!」

 同時にルーザーの腹部にも交叉によるベベルの膝が叩きこまれていた。内蔵が破壊されて腹腔が血袋と化す。杭打機での追撃を行おうとしてベベルに悪寒。ルーザーの腹部に埋めた膝が引き抜けない。

 ルーザーの左腕が蛇のようにベベルの体を拘束した。ベベルの背中を特大の悪寒が駆け上がる。ベベルが杭打機を繰り出すより早く、二人は凄まじい速度で飛び出していた。

 僅かばかりの時間を水平に飛翔して、二人は頭から巨塔に激突。凄まじい衝撃が襲いかかり、全身が砕けそうになる。それでも勢いは止まらず、二人は巨塔の表面を削りながら上空へと駆け上がっていった。

 上昇する二人の左右を二つの影が追い駆けていく。

「離せ! 離せえっ!」

 巨塔に削られて最後の杭打機も壊されてしまった。ベベルは必死に左腕と両脚をルーザーの体に叩きこんでいく。元から消耗していたルーザーの拘束を解くのにさほどの時間はかからなかった。力が弱くなった一瞬を見逃さず、強引にルーザーの体を蹴って引き剝がす。

 ベベルはルーザーに追撃することなく視線を横へと向けた。

 垂直に聳え立つ巨塔の外壁に、自らも水平となって立つ男の姿があった。青一色の着物の男、フィフニ・アルダーだ。フィフニは両腕に装った黒一色の籠手を打ち合わせて重厚な金属音を鳴らす。

 ベベルの視線が今度は逆方向へと向けられる。

 巨塔に寄りかかるようにして奇跡的に倒壊に耐えている高層ビルがあった。斜めになった屋上に立つのはレック・ソヴァイスキーだ。

 レックの左手は巨大な手甲をぶら下げていた。手甲には女の右腕がついたままだ。レックが手甲を真上に放り投げ、黄金の剣が掲げられる。

「キルアーク、食らえ」

 黄金の剣身が牙となって女の腕ごと手甲を噛み砕き、呑みこんで捕食する。黄金の剣がレックの右腕を包みこみながら巨大化していき、五指の先端が地面に達するほどの巨大な手甲を形成する。

「さあ、宴たけなわらしくなってきたじゃないか!」

 誰からともない言葉を合図に、四人が同時に動き出した。

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