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自らを縛りつける者たち 【8】

「お前たち《天》の救おうとしている世界とは、つまり天の地。《人間戦争》以前に建造された月面都市のことだ。そして《天》とは、この星への帰還を推し進める最大強硬派の武闘集団だろ?」

「そう。その通りよ」

 レックの言葉を肯定して、レッチェルは静かに睫毛を伏せた。

「月はもう限界なの。資源は何百年と昔に枯渇して、施設の老朽化によって生産力も失った。食糧と物資が足りなくて、飢えと寒さで死んでいく末期の世界よ。

 私たちが、あの人が立ち上がらなければ、あと何十年と生きてはいけない。貴方たちが都合の悪いことから目を背けて、綺麗だと見上げている月の現状がそれよ」

 レッチェルの身にまとった《天狂器(ルナティクス)》が、レッチェルの言葉を裏付けていた。この世界で一から葬星器を作り出せる技術力を擁した組織は、両手の指で数えられるほどしか存在しない。そして天狂器の特性こそ、《天》が月の住人である証明になっていた。

 つまり、同じく葬星器を作り出せる《アーク教団》とは真逆の発想なのだ。

 資金と資源はあるものの技術力の追いついていない《アーク教団》は、大量生産と個人仕様という両極端な構成にすることで問題の解消を図った。

 逆に技術力こそ《人間戦争》以前に近しいものの資源に乏しい《天》は、少数の高性能器という方向に活路を見出したのだ。

 再び開かれ、レックを見つめるレッチェルの瞳には、業を煮やすような怒りがあった。

「なのに、それを知っていながら!」

「だが、慮る道理がないね」

 レックが剣を蛇腹に変じさせ一閃、横手のビルへと。根元を斜めに切断されたビルが転倒する巨人のように傾斜していく。レッチェルへと向かって。

 レッチェルは走り、倒壊するビルの影から脱出。一拍遅れて目の前にビルが倒れ、粉々に瓦解し、その大災害の中心からレックが飛び出してきた。ありえないことに、倒れるビルの内部を走って接近してきたのだ。

 レックの手にした大槍が突き出され、防御に掲げた手甲を貫き、レッチェルの右肩が切り裂かれて滝のように鮮血が流れ出る。レッチェルは肩を破壊しながらも無理矢理刃から脱出した。

「大義は全面的にお前たちにあるだろう。滅びに瀕した故郷を救うための戦い。誰もが涙する正義で美談で英雄譚だ。

 で? それは俺があいつを追い、殺すこととどんな関係があると?」

「……はっ?」

 レッチェルの思考は停止した。激痛も、腕を伝う血の熱さも気にならなくなる。目の前の男の思考回路が改めて理解できないのだ。

「俺があいつを殺したから月の何万何十万人かが死ぬとして、そいつらは俺とは全く関係も影響もない別世界の人間だ。どうして俺がそんなやつらの生き死にになにかを感じなけりゃいけねえんだよ。お前は宇宙のどこか彼方や別次元で滅ぶ生物や文明があったとして心を痛められるのか?」

 ようやくレッチェルは理解した。想像力や共感の欠如というより、何万人を死に追いやることに全く頓着していないのだ。

「貴方、それでも人間なの⁉」

「人間さ。どうしようもなく人間だよ。殴られれば痛いし、毒を吐かれれば傷つくし、泣いて笑って人を好きになるただの人間だ。というか現時点で心臓が張り裂けそうに痛い。なにせお前を殺さなくちゃいけないんだからな」

 ようやく分かってきた。レックにとって命の価値は重くても、それを奪う行為の忌避意識が限りなく希薄なのだ。

「それにな、外交取引なのかなんなのか今となっちゃどうでもいいが、あいつの介入が原因で俺の故郷は滅んだ。何万人も、何十万人もが路頭に迷い、死んでいった。そして生きるために犯罪に手を染めた」

 レックの眼に初めて闘争心以外の感情、怒りが現れた。あるいは糾弾だ。死刑執行の刃のような視線でレッチェルを睨みつける。

「世界から見ればテンペランは滅ぼすべき悪だったさ。それは間違いない。だがそれでも、どんなに悪だろうと命が生きていたんだ。自分の故郷を救うために他人の故郷を滅ぼしてもいいというのなら、お前たちに正義も正当性もない。ただの侵略者だ。

 お前たちに俺の故郷を滅ぼす正当性があったと言うのなら、俺があいつを殺してお前たちの故郷を滅ぼすことになっても文句は言わせねえぞ」

 最早問答の時間は終わった。両手に凶器を握ったレックが猛獣となって走り出す。

「だとしても、あの人を死なせるわけにはいかない!」

 しかしレッチェルも譲らない。手甲の五指が路面に突き立てられ、摑んで、捲り上げた。波のようにうねる地面によってレックの足が鈍らされ、すかさず弾幕が殺到。着弾の衝撃でレックの体が揺れ、血が飛び散る。

 同時にレックも剣を放り投げていた。直線で強襲してくるかと思われた剣は、しかし突如として曲線を描く。見れば剣の柄が多節棍となって操られ、虚を突かれたレッチェルへと襲いかかってきた。レッチェルは体に裂傷を刻まれながらも間一髪で致命傷を回避し、髪留めが千切れて桜色の頭髪が肩にかかる。

「月にとってあの人は必要不可欠な存在よ。あの人がいれば、暗いだけの夜空も青空に変わる。だから私はなにを犠牲にしてでも戦う」

「違うね。全くの逆だ。あいつの方針が月の総意であるのなら、第二第三の《天》は現れるべくして現れる。お前たちがあいつを守ろうとするのは間違いなんだよ」

 土が剝き出しとなった地面を歩きながら、レックはふとした違和感に襲われた。レッチェルとの会話はなにかが噛み合っていない。

 レッチェルはどうしてこうまでも必死に抵抗してくる? 塔を手に入れるという目的のためか? いや、それではレックの前に現れたという前提自体が成立しない。レックを邪魔者として排除したいとしても、ここで決死の踏ん張りをする必要はない。機を改めて態勢を整えればいいはずだ。

 そう、レッチェルは決死だった。そこまで彼女を駆り立てる理由があるはずだ。

 顔を疑問の表情に歪めた拍子に鼻先から眼鏡がずり落ちていく。他人からの譲渡品で顔の大きさに合っていないのだから当然だろう。

 そこで気付いた。サーペントとの交戦中に眼鏡が《天》と共鳴を起こしたことを。しかし今、目の前にいるレッチェルには反応を見せていない。つまりこの場所に、ゴルタギアに、レックの眼鏡と共鳴する別の人物がいたことになる。

 レッチェルはレックの刃がその男に届くのを防ごうとしていたのだ。

「まさか、あの男がここにいるのか……っ⁉」

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