自らを縛りつける者たち 【7】
足音は水気を孕んでいた。地に着くたびにびちゃびちゃと濡れた音が跳ね上がる。
巨塔の聳える中心市街に近付くにつれ、サーペントのもたらした被害は壊滅的に大きくなっていく。石畳の路面は土が見えるまでに割れ、抉られ、大時化の海のように隆起している。崩れ落ち、焼け落ちた高層ビル群は、朽ちた巨人の遺骨の森となっていた。あちらこちらに転がる骸からは臓腑と糞便の悪臭が匂ってくる。真っ昼間だというのに黒煙と粉塵で黒く染まった空を、人間松明の灯りが不気味に照らし出していた。
生きる者などいない死の廃墟となったゴルタギアを、レックが悠然と歩を進めていく。
歩くレックは頭の天辺から足の爪先まで全身血塗れだ。どれが負傷で、それが返り血なのか分かりやしない。両手に下げた黄金の剣と黒鉄の銃も血に染まっていた。赤一色の中にあってそれでも呑みこまれぬ青の瞳には、海の底を思わせる濁った凶暴性がぎらぎらと輝いている。
レックの眼前に立つレッチェルも半身を血に染めていた。右腕に装った《天狂器》、〈サギナウルの甲握翼〉にも破損が見られる。
レックの足が止まり、にいっと口角が吊り上げられた。白い歯を剝き出しにしてケダモノの笑みが浮かべられる。レックの上体が沈み、地に両手を着けた走り出しのための前傾姿勢となる。
踏み出しの音は轟音となった。まるで砲弾のようにレックの体が一直線に飛び出す。
レッチェルの甲握翼が展開。巨大な手甲の本質は武装架だ。手甲の全体に出現した銃口からレックの迎撃に向けて無数の弾丸が射出された。
レックの左手が前方に突き出されて連続発砲。レッチェルの放った弾丸はレックの凄まじい精密射撃によって次々と空中で撃ち落されていく。しかしいくつかは撃ち漏らして弾幕を抜け、レックの肉体に食らいついた。
レックは弾丸を避けようともしなかった。天狂器の弾丸には軌道修正と追尾能力がある。だから避けられないし、避けない。レックは弾丸の嵐に顔から突っこみ、皮膚を裂き、肉を穿たれ、骨を砕き、全身から血を流しながら、レッチェルへと一直線に突進していく。
レックの右腕が後方に大きく振りかぶられ、全身で弧を描いて剣を振り下ろす。動作は大きすぎた。どうぞ避けて下さいと、土産つきで案内しているかのようだ。レッチェルは地面を転がって難なく剣を回避する。
衝撃はその直後にやってきた。空を切ったレックの一撃は勢いのまま下降して地面を爆砕。噴火するように土塊が弾け飛び、大地に巨大な亀裂が刻みこまれる。衝撃波と土砂がレッチェルに浴びせられ、意識と体が持っていかれそうになったそこへレックが横薙ぎの斬撃。レッチェルは全力を傾けて手甲を動かして剣を防御し、手甲の表面を剣が滑っていく金属音と火花が撒き散らされる。
手甲から巨大な刃が飛び出し、レックが剣を引き戻して、激突。手甲の各部から炎が噴出してレックの膂力に抵抗する。口づけでも交わすように二人の顔が近付いていった。
「お願いよ、引いて頂戴」
先に迷いを口にしたのはレッチェルだ。悲鳴じみた絶叫が喉を裂いて飛び出していく。
「私はもう、貴方を傷つけたくないのだ。だから引いて。お願いよ」
「俺は殺してきたぞ。敵を殺してきた。皆殺してきた」
レックの剣と言葉が重い一撃となってレッチェルに浴びせられる。気圧されたかのようにレッチェルは一歩後退した。
「俺はそう教えられて育ってきた。生きてきた。今さら別の生きかたなんて考えられやしないね」
「敵を皆殺しにするのがテンペランの考えかたってこと?」
「そうだ。たとえ肉親だろうが恩人だろうが親友だろうが好きな女だろうが、敵は殺す。殺してでも貫き通さなければならない信念があるからだ」
レックの言葉は自らの精神をも雁字搦めにして焼きつくす業火の呪縛だ。炎のように苛烈な戦闘者の本分だった。
レックは密着状態から強引に剣を振り抜いてレッチェルを引き剥がした。脚でコンクリ片を蹴り出し、レッチェルが手甲の裏拳で撃墜。レッチェルの体勢が開いた瞬間を狙って銃撃するが、レッチェルは踊るように光弾の軌道を避けていく。
「貴方が貫きたい信念は復讐、ってことね」
「復讐だと? はっ。いかにも箱入り娘の考えそうな動機だなっ!」
レックは嘲るようにレッチェルの疑問を鼻で笑い飛ばした。
「俺があいつを追う理由なんて至極単純だ。あいつは俺よりも強い。だから殺しにいく。それだけだ」
「そ、んな……」
レッチェルは当初こそ困惑していた。しかし徐々に怒りが表出していく。
「そんな理由でっ!」
怒気をまとったレッチェルは力任せに手甲の刃を横殴りした。応じて獣の笑みを浮かべたレックも力任せに剣を振り下ろす。力任せの同士の激突は、圧倒的に力任せに勝るレックに軍配が上がった。一瞬にしてレッチェルの刃を叩き割り、薄氷のような破片が宙に舞う。手甲の内側から第二の刃が飛び出したのはその直後だ。レッチェルの右手には手甲から分離した補助の剣が握られ、レック目がけて一直線に突き出されてくる。
鮮血が飛び散った。レッチェルの剣はレックの掲げた左小手に受け止められ、皮膚と肉を裂き、骨に当たって止められた。凄絶な防御行動にレッチェルの頭の中が一瞬だけ真っ白になる。
その一瞬を突いてレックの剣が急速上昇。レッチェルの右脇腹から左肩までを逆袈裟に走り抜けていくが、しかし浅い。直撃の瞬前に剣を手放して脱出したのだ。微量の血を滴らせながらレッチェルは後退し、レックからの追撃に備えて手甲を構える。
「あの人がいなくなれば私たちの故郷は滅んでしまう! 貴方にあの人を殺す正当性も大義もない!」
「俺だって闇雲にあいつを追ってきたわけじゃない。《天》の目的だって知っている」
レッチェルは息を呑んだ。思わずなにもかもを忘れて呆けた顔を晒してしまう。
「さすがに知った当時は驚いたものだ。なにせとっくの昔に滅んだと教わっていたからな。まるで幻の古代遺跡でも見つけた気分だったさ」
レックの腕が真っ直ぐに上へと伸ばされた。まるで舞台役者のように天空を指差す。




