自らを縛りつける者たち 【4】
先に仕かけたのはファルマンだ。長槍を突き出し、フィフニが余裕で回避して、直後に真下からフィフニの顎を打ち抜いたのは長槍の石突きだ。口から血を噴いて天上を仰いだフィフニが鬼の笑み。
フィフニの両脚がファルマンの腕に絡みつき、両腕が床に箸を突き刺して体を固定。全身の筋肉が竜巻のような螺旋を描いてファルマンの体を引っこ抜き、背中から天井に叩きつけた。ファルマンは天井を突き破って上階に投げ出され、瞬時に拳圧の流星雨が室内全域に降り注ぐ。
企業の事務所だろう一室は、天井から降り注ぐ拳圧の豪雨と、床を逃げ惑うフィフニの下駄に蹴散らされて滅茶苦茶に破壊されていった。
何秒かが経過し、轟音。ファルマンの連続攻撃によって蜂の巣と化した天井が自重を支えきれなくなって崩壊。拳圧による蜂の巣はフィフニの立つ床をも貫通していて、同時に崩壊。さらにその下も、その下もと、連鎖的に床が抜け落ちていく。
ビルが完全に内部崩落する寸前、壁をぶち抜いて二つの影が空中に飛び出していた。
二人はビルの外壁に足をかけると、フィフニは駆け上がり、逆にファルマンは駆け下りていく。交錯し、それぞれの体から血を撒き散らしつつ上下を入れ替え、フィフニの脚に激痛。フィフニの脚に翠色の鞭が巻きついていた。
「ようやく捕まえたぞ」
さらにファルマンは籠手の内側から取り出した二本めの鞭を繰り出した。フィフニの顔面を柘榴のように破裂させる鞭は、しかしその瞬前に搔き消えてしまう。口の端を歪めたフィフニの手には箸が握られ、その先端には鞭が挟まれていた。フィフニは瞬時に拘束から脚を引き抜き、箸を器用に動かして、二条の鞭を蝶々結びにする。
ファルマンは鞭を捨てると同時に壁を蹴りつけ、衝撃でビルが傾斜した。倒れてくるビルは断崖絶壁のような圧力をぶつけながら二人を押し潰さんと迫ってくる。
二人はそれぞれに別個のビルへと跳躍し、着地と同時にすぐさま再跳躍。フィフニの腕が大きく振られ、卓上からくすねておいた硬筆を棒手裏剣として投擲。短剣を握ったファルマンの腕が高速で動いて棒手裏剣を正確に撃墜し、その隙を突いてフィフニの蹴りが放たれる。
ファルマンは造作もなく籠手で受け止め、直後に顔を仰け反らせた。フィフニの足の指には小太刀が挟まれていて、回避し損ねたファルマンの左肩当てが真っ二つに割られて頭髪が散らされる。
ファルマンの顔中に血管という血管が浮き上がった。
「やってくれたな!」
「なんだよ。髪型でも気にしているのかよお洒落さん」
交錯が終わり、離れた二人はそれぞれにビルの外壁へと着地した。フィフニが壁を蹴って、ファルマンの背から炎が噴かれ、それぞれに垂直の壁を駆け上がっていく。
「私の妻は美容師をしていてね。一仕事を終えたら妻に乱れた髪を整えてもらうのが恒例になっている」
「つまり遺品は髪の毛を届けろってことか?」
「私が最も嫌いなことは、家族との時間を邪魔されることだと言っている!」
ビルの頂点まで走り抜けた二人が屋上に着地し、相手を正面に見据えたまま横移動を開始した。ビルからビルへと飛び渡りながらフィフニは困り顔を浮かべる。
「あー、えーと、一応、結婚おめっとさんと言っておけばいいのか?」
「息子もいる。可愛い盛りだ」
何度めかの跳躍を終えて、二人の足が止められた。二人が着地した先はビル同士を繫ぐ回廊の屋根だ。
空中の闘技場めいた一本道の上を、一歩、また一歩と近付いていく。
高まっていく緊張感をせせら笑うかのように電子音が鳴り響いた。ファルマンが籠手に並ぶ釦を操作すると、籠手から光が放射されて空中に像を結ぶ。どこかの施設と思しき場所を背景に、蛇鎧のシーザッツと蜘蛛鎧のフォルルーガが顔を見せた。
「ファルマン様、時間稼ぎご苦労様でございました」
シーザッツの口からぶちまけられたのは、汚泥のような侮蔑の言葉だ。慇懃無礼を隠そうともしない尊大な笑みを浮かべている。
「貴方が敵を引きつけてくれたお陰で、我々は難なく塔へと辿り着くことができました」
シーザッツに続いてフォルルーガも侮蔑を口にする。二人の口振りからすると、どうやら背後に映る施設は塔の内部らしい。
「それでは我々が任務を引き継ぎますので、ファルマン様はお早く帰られてご休暇になされてはいかがで」
最後まで聞くことなくファルマンの拳が籠手に叩きつけられて、二人の御託を強制的に黙らせた。
「無粋なやつらだ」
視線を上げたファルマンは呆れたようにフィフニを見た。フィフニは「ふむ」と頷いて視線を虚空に彷徨わせる。
未だ二つの激突音は鳴りやんでいない。つまり二人はレックを突破したわけでも振り切ったわけでもなく、おそらくは《天》が横槍を入れてきたのに乗じて逃げ出したのだろう。おめおめと尻尾を巻いたにもかかわらず、傲岸不遜な態度でいられる面の皮には失笑を禁じ得ない。
「頭の足りない部下を持つと苦労するな」
フィフニの呟きには同情がありありと含まれていた。
「あの二人じゃ大した時間稼ぎもできず無駄死にするのが目に見えていた。だから実力で勝るチミが時間稼ぎを買って出て、二人を塔に向かわせたってのにな」
「そこは衣を着せて、部下を信頼したなり華を持たせたなり言うところだろうが」
「……狒々鎧の真似事か?」
その問いは頭で考えたのではなく、自然とフィフニの口から零れていた。ファルマンは一瞬だけ「うん?」と首を捻り、そして「……そうかもしれんな」と、どこか腑に落ちた顔で頷いた。
気がつけば、ファルマンは十年前の狒々鎧と同じ行動を取っていたのだ。あの日の少年が今や年長者となっていた。
「……十年は、長いよな」
「ああ」
どちらからともなく零れた言葉に、どちらからともなく相槌を打つ。
「愛する女ができて、父親になって、そして家庭を築いた」
「ああ」
「家族はいいものだ。妻の笑顔を見るだけで心が温かくなるし、子供の寝顔を見ているだけで心が安らぐ。なにより帰る場所があることは、とても幸せなことだ」
「ああ」
「正直に言うと、お前との因縁もなにもかも投げ捨てて、静かに、平穏に暮らしたいと考えたこともある。星の数ほど願ってきた」
「……ああ」
「だが!」
「おう!」
「幸せを嚙みしめる心の裏側で、常に冷たい感情が囁いてくるのだ。見つめてくるのだ。憎しみの炎が音を立てて強くなっていくのを感じるのだ」
「愛で憎しみは癒せるか? 消せるか? 答えは無理だ。憎しみとは愛すらも糧にして限りなく大きくなっていく化物だからだ」
「「愛の熱で、憎しみの炎は消せやしない」」
フィフニとファルマンは示し合わせたように走り出した。それぞれに固く拳を握り、怒号とともに暴力衝動を解き放つ。
「愛すべき人たちと穏やかに生きていくために!」
「この憎しみは!」
「「お前の命と一緒にここへ置いていく!」」




