あるいは太陽の日々 【1】
私には口の中に溢れる血液を吐き出す力さえ残されていなかった。力なく開かれた口の端から命の糸のように銀色の血が流れ落ちていく。
本来なら全身を激痛に苛まれていなければならないはずなのに、体の損傷が激しすぎてなにも感じない。私の胸から下は消失していた。救世主の仕業だ。同じように右腕も、左腕の肘から先も失われていた。心臓が助かったのは奇跡とすら言える。
もっとも、こんな体たらくではどうもできないのだが。
同じように顔も酷い有様だ。右半面は眼球が潰され、皮膚と筋肉を奪われて骨まで剝き出しとなっていた。左目もほとんど見えていない。
「ぐおおおおおおおおおおおおっ!」
霞んだ視界の遥か彼方で怒号が巻き上がった。見えたのは山のような巨体と、巨体を貫く黒い光の奔流。そして黒い光に呑みこまれた山吹色の男、ジニュスカーニュだ。
「きゅううううううせいいいいいいしゅううううううっ!」
ジニュスカーニュの断末魔と肉体は黒い光の中に溶けていき、そして消えてなくなった。創造主を失った山のような巨体も沈黙し、動かなくなる。
「まだ生きているか?」
遠くなった耳に私を呼ぶ声が聞こえた。僅かに残った視力が映し出す滲んだ世界に金色の光が溢れる。《太陽の破壊者》が私の顔を覗きこんでいた。
「こ、んな……状、態になっ、ても……死ねない……のだから、我々《葬世者》も、不便な……もの、だ」
破壊者から息の音が聞こえた。私がまだ消えていないことに安堵したのだ。
「私たち葬世者は旧いニンゲンと違って、脳や心臓器官が無傷なら肉体の大部分を失っても死ぬことはない。ただ、回復に長い眠りを要するだけだ」
それでも目覚めない確率はある。我々がこの世界に生まれ落ちてから、誰一人として長い眠りを経験した同胞はいない。前例がないのだ。私が最初の一人となるだろう。
回復に支障が起きて目を覚ませないかもしれない。休眠の最中に何らかの事故や、ニンゲンの襲撃があるかもしれない。
「こ、れが……最後、にな、る……かも、しれない……な……」
私が皮肉めいて言うと、破壊者が歯を食い縛る。
「目を覚ましたら驚かせてやる。我々のものになった世界を見せてやるさ」
「ああ……それは……いい夢が見られそうだ……」
私は霞がかった思考で夢想する。旧いニンゲンたちのいなくなった、私たちの新しい世界。私たちのような戦争の道具は生み出されず、穏やかに笑いあう日々を送り、愛する人と子を生み育てていく、楽園のような世界を。
守るべき旧いニンゲンが一人残らずいなくなってしまえば、もしかしたら救世主も我々の側に戻ってきてくれるかもしれない。
そうなったら、それはとてもいい世界だ。
「おやすみ」
「ああ、おやすみ」
そして私の意識は闇に落ちた。
鼻をくすぐる草の匂いが、空っぽの胃から猛烈な吐き気をこみ上げさせてくる。聞こえてくる風の音と、鳥の鳴き声、そして草木のざわめきは鼓膜を破らんばかりの爆音だ。寝心地がいいだろう草布団は針となって足の裏を突き刺し、暖かな午後の日射しは肌を焼け爛れさせる熱線となって私の全身に降り注いでいる。
長閑な昼下がりだ。気持ちのいいはずの風は、私の皮膚を刃で切りつけるような激痛を与えてくる。
一歩を踏み出そうとして私はよろけてしまった。長年の眠りで私の体は骨と皮ばかりに瘦せ衰えていたのだ。反して髪や髭、爪は伸び放題となっている。
意識を傾けて代謝を調整すると、髪の毛や爪は体に再吸収されて短くなり、反して手足は太く、皮膚は厚くなっていく。全身を苛んでいた外気の刺激も気にならなくなっていた。それでも身長の平均からすれば瘦せ細った体型にしかならなかったが。
「イまハ、こnoていドが、限カiか……」
自分の声にも違和感がある。発声練習が必要だ。
腕を持ち上げて五指を開閉させ、肺を膨らませて全身の緊張をほぐす。足を踏み出すと難なく進む。当面は問題なさそうだ。
振り返った背後には、先ほどまで私が眠っていた壕に続く通路が開いていた。壕の小部屋には今も白い男が繫がれている。私の作った人型の一体が、施設維持の動力として使われていたのだ。
……腹が減っていた。麺を腹一杯に搔きこみたい気分だ。
どちらにしろここで突っ立っていては日が暮れてしまう。行くあてのない私は、取りあえず目立ちすぎるほどの道標を目がけて歩き出す。
私の行く手には、天空へと続く巨大な塔が聳えていた。




