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風雷雨(ふうらいう)至りて、されど未だ嵐こず 【2】

 彼の視界には世界の左側だけしか映っていなかった。

 鮮烈な陽光が彼の全身を灼いている。大通りに面した喫茶店の野外席で、組んだ両脚を卓上に投げ出し、椅子に深く腰を沈める男の姿があった。

 右半面を隠す巨大な眼帯が特徴的な男だ。残った翠玉の隻眼が、手にした一冊の本に鋭い視線を注いでいる。男の手が卓上に伸びて陶杯を摘まみ、湯気を上げる蜂蜜牛乳を反復行動のように口に運んでいく。

「うむ。この、脳髄の芯まで溶かすような甘ったるさ。やはり蜂蜜牛乳は大人の漢にこそ相応しい飲み物だ」

 誰もいない虚空に独り言ちて、男は満足げに笑みを浮かべた。

 ふと、男の視線が空に向けられる。左側だけの視界を巨大な影が縦断していた。

 鮮烈な青空を縦断して、天高く巨大な塔が聳え立っていた。一見すると銀色に煌めく巨大な六角柱だ。陽光が乱反射して氷柱にも似た美しさがある。足元に広がる白亜の街並みを貫いて、空を突き刺すように上へ上へと伸びていく。大地から天空へと伸びていく臍の緒にも思えた。

 荒野の中心に突如として巨塔が出現する光景は異様の一言だろう。同時に目印のない荒野にあって、遠方からでも目に入る威容はとびきりの道標だ。ゆえに人々が集まり、巨大な都市へと成長するのも当然だろう。

 その街の名をゴルタギアと言う。

「《人間戦争》時代に建造された古代の塔か。一つの時代の墓標、あるいは死骸と言ったところだな」

 男は皮肉げに唇を歪めて、蜂蜜牛乳を一口。

「古代人がどんな意図でこの塔を建てたのかは分からないが、今では誰もが生活のための足の踏み場としてしか使っていない。どんなに凄まじい偉業も思惑も、歴史の砂には埋もれるのみだな」

 次いで、男の視線が水平に移動する。

 喫茶店のある大通りはゴルタギアを東西に貫いていた。大通りの左右には古今東西のあらゆる店舗が軒を連ね、大陸各地の様々な人種が行き交っている。

 目につくのは砂漠地帯で多く産出される石灰岩で築かれた白亜の街並み。そこに日干し煉瓦を積み上げた建物や、動物のなめし革を使った遊牧民のテント、漆喰を用いた西部風の建物に、木材で組み立てられた東部風の建物が混じっている。

 ゴルタギアは発展の経緯から、交易拠点や観光地としての側面が強い。人間とともに各地の文化や技術が流入して、ゴルタギアの雑多で情緒豊かな街並みを形成していた。

 それにしても平和な昼下がりだった。気持ちのいい日光を浴びていると瞼が重くなってくる。男は陶杯の底に残った最後の蜂蜜牛乳を口に流しこみ、

 男の鼻っ面を高級車が横切っていった。ただし、縦回転しつつ風を切る速度で空中を飛んでいったのを、横切ると表現していいのなら。

 高級車は喫茶店の一階部分に突っこんだ。一面の硝子張りを粉砕し、無数の客席を巻きこんでいく。屋根から床に墜落し、悲鳴のように火花を撒き散らしながら床上を滑っていき、壁に激突してようやく止まった。客に被害が出なかったのは行幸だろう。

 男は緩慢な動作で口の中の蜂蜜牛乳を飲みこんだ。あまりの衝撃体験で味がしない。

 周囲はすでに悲鳴と怒号の坩堝だ。我先にと逃げ出す人々や、逆に集まってくる野次馬などが衝突して混乱が起きている。平和な昼下がりなんてあったもんじゃない。

「まったく、私の一時(ひととき)の憩いを台無しにしてくれたのはどこの馬鹿だ」

 男は大仰に天を仰いだ。その目の前を、飛び切りの大馬鹿三人組が歩いていく。

 喫茶店の内部は滅茶苦茶に破壊されて無残の一言だ。床一面には硝子や木片が散乱し、その終点で裏返った高級車の屋根は潰れ、前方部はひしゃげていた。内臓のような内部構造をあらわにし、後輪が慣性のままに物悲しく空回りを続けている。

 カウンターの奥では女性店員が放心して立ちつくしていた。顔の筋肉が引きつって涙目になっている。その店員の目の前に、無遠慮な腰が三つ連続で下ろされた。

「珈琲一杯」

「あ、ボクは番茶で」

「練乳」

 喫茶店で茶を飲むのは当然とばかりにレックが注文を口にして、さらにフィフニとルーザーも便乗。店員の顔は悲痛に歪んでいく。

「やってくれたな」

 聞こえた声は不気味なまでの平坦さだった。機械的、とすら言っていい。

 フィフニの、レックの、そしてルーザーの視線が移動する。止まった先は裏返しとなった高級車、その下だ。

 重々しい音を上げて高級車が押し退けられ、姿を現したのは背広の上下からネクタイ、革靴に至るまで白一色の人物だ。中性的に整った顔に嵌まる瞳は硝子玉のようになにも映していない。

「舐めてくれる、とでも言っておけばいいのか?」

 温度も抑揚もない、機械から発せられたような声だった。激突の衝撃を物語るように体のあちこちが潰れ、奇妙な輪郭となっているが、血液に相当する体液は一滴も流れていない。痛みなど感じていないように平然としている。

「やはりその程度じゃ死にやがらないか」

 レックは苦々しい感情を珈琲とともに喉奥へと流しこんだ。その隣でフィフニは番茶の湯呑を啜り、ルーザーは呑気そのものといった仕草で練乳の缶に口をつけている。

「この私がゴルタギアを支配する商業組合の長であると知っての用か? …………あるいは、もう一つの肩書に対する用件か?」

 白い人物は手を振って埃を払い、一歩を踏み出すと同時に体中の損傷が逆再生のように修復されていった。

 白い人物の歩みが止まる。硝子玉の視線が下りていき、自らの足首を摑む血塗れの手を視界におさめた。血塗れの手は高級車の下敷きとなった秘書風の男から伸びている。

「ゼ、ゼッペル様、助けて」

 ゼッペルと呼ばれた白い人物は無造作に高級車から鉄管を引き千切ると、躊躇もなく秘書の頭に突き刺した。秘書には悲鳴を上げる暇すらない。鉄管は床まで突き抜け、真紅の水溜まりが広がっていく。

「どうしてそんな顔をする?」

 俄かに腰を浮かしたフィフニとレックに対して、ゼッペルは不思議そうに口を開いた。

「お前、なんで部下を殺した?」

「なぜだと? その質問は理解できないな。彼の臓器は甚大な損壊を受けていた。助かる見こみは非常に低い。ならば速やかに彼の苦痛を取り去ってやるのが最善だろう」

 言葉は淀みなく流れ出た。心の底から本気でそう考えている口調だった。

「それに、私を襲撃した時点で彼が巻き添えで死ぬのは想定の範囲だったはずだ。現に運転手は死んだ」

 硝子玉の視線が高級車の前方に移動する。高級車の運転席はぐちゃぐちゃに潰れていた。運転手は人間の形を留めていないだろう。

「なのに彼を殺したことは許せないというのか? 破綻しているな。理解不能だな」

 ゼッペルの言葉は正論で反駁の余地はない。しかしその論理に人間味はなく、まるで機械が計算をしているかのようだ。

 すでにレックの視線は鋭く研ぎ澄まされていた。

「話し合いの余地はないな。こいつとは共存できない」

「襲撃をかけてきて、最初から話し合うつもりなどなかっただろう」

「それもそうだ」

 レックがカウンターに陶杯を置き、次いでフィフニが湯呑を、ルーザーが空き缶を置いた。三人がそれぞれの歩調でゼッペルへと歩いていき、ゼッペルは悠然と迎える。

「くたばれ、人造人間」

「ゼッペル様、ご無事ですか⁉」

 そのころになって、ようやくゼッペルの護衛たちも追いついてきた。続々と車両が到着し、護衛たちは車両を壁にして銃を構える。

 喫茶店周辺はけたたましい騒音に包まれ、肌を刺すような緊張に支配されていく。こんな状況で息を休められるはずがなく、溜め息が出るばかりだ。

「もう好きにしてくれ」

 眼帯の男は我関せずを主張するように、顔の上に読みかけの本を乗せた。

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