静寂の朝 【6】
最初に異常を察知したのは視覚だ。遠く、巨塔の膝元に聳える高層ビルが砂の城であるかのように崩れていくのが見えた。
一拍遅れて届いたのは轟音。崩れる高層ビルを爆心地として突風と衝撃が発生し、津波のように窓硝子が割れていった。
「なによ……なにが起きたっていうのよ……」
レッチェルは呆然として呟いた。
二人の位置は高層ビルからは遠く、被害は無いに等しい。しかし高層ビルの周囲はそうはいかない。高層ビルの崩れた瓦礫が隣のビルを破壊し、その瓦礫がさらに隣のビルをと、連鎖的に巻き起こった破壊によって壊滅状態に陥っていた。何百人もの死傷者が出ているはずだ。
「どうやらあいつが元凶のようだな」
レックの鋭い視線が最初に倒壊を起こした高層ビルを睨みつける。粉塵の中で蠢く影があった。それも、とても巨大だ。ビルのように大きい。粉塵が晴れていき、徐々に影の正体があらわとなっていく。
「ひいいっ!」
誰からともなく悲鳴が上がった。影の正体は巨大な体に巨木や尖塔のように太い四肢を有した生物、化け物だったのだ。
全体的には二足歩行の前傾姿勢で、巨大な翼を有している姿からも鳥類を彷彿とさせた。主翼の下に位置する両腕は手首から肩まで刃のような羽が連なり、副翼としての能力も備えているのだろう。全身は灰青色をした装甲版のような皮膚に覆われ、大地に下ろされた尻尾は錐のように鋭く槍のように長大な円錐形。長い首の先に乗る頭部には冠状の羽毛が聳え立っていた。顔におさまる瞳に感情の色はなく、反して剣のような牙が並ぶ口からは蒸気の息が漏れている。
それはお伽話に出てくる邪悪な竜そのものだ。
「《葬星禁器》……っ」
レックの口から険しい言葉が零れた。
「ゴルタギアの民よ」
声は静かに聞こえてきた。聞きなれた、馴染みの深い声だ。ゴルタギアに住む者ならば、声の主がゼッペルであると瞬時に理解できただろう。
だからこそ、次の瞬間に訪れた感情は安堵だった。ゼッペルが自分たちを守るためにあの怪物を可及的速やかに討伐してくれる。そのお達しが流れてきたのだと思った。
「滅びろ」
しかして、巨竜の口から光の奔流が街に向けて放たれた。ビル群が一瞬で消し飛ばされて連鎖的に爆発が起きる。瞬く間にゴルタギアは炎に呑みこまれていった。
光の奔流に蹂躙された跡地はまさしく焼野原だ。文明の名残など跡形もなく、ただただ焼けた大地が広がるのみ。人間の亡骸など肉片一つ残らず蒸発している。
今の一撃だけで、いったい何百人が犠牲になったのだろうか。
「な、なにをなさるのですか⁉」
ゴルタギアの人々は酷く動揺していた。ゼッペルは彼らを導く指導者であり、どんな災いも撥ね除けてくれる守護者、神にも等しい絶対存在だ。その神が自分たちを打ち捨てた。呆然自失となって『なぜ? どうして?』を繰り返すばかりだ。
「私は、私の目的を達するための準備を進めてきた。そのためにゴルタギアを整え、資金と武力と人員を駆使して力を探し求めてきた」
動揺する民衆へ天啓を与えるように、ゼッペルの声が降り注いできた。しかし福音のような情景とは裏腹に、その内容は絶望に満ちている。
ことここに至って、人々はゼッペルの声がどこから聞こえてくるのかようやく気が付いた。巨竜の胸元からゼッペルの上半身が突き出していた。ゼッペルと巨竜は融合して一つの存在となっていたのだ。
「私はこの地上から人間を一人残らず根絶やしにする。かつての同胞、《葬世者》と同じように」
巨竜を見上げるゴルタギアの人々は、すでに正気の顔をしていなかった。呆然として思考の全てを手放した者はまだマシだ。目の焦点が合わなくなって涎を垂らす者、発狂したように泣き笑いを繰り返す者、怒りをぶつけようにも巨竜に向けられるはずもなく周囲に当たり散らす者、ただただ嗚咽する者などが溢れ返り、ゴルタギアは神罰を待つ背信の都のような地獄絵図と化していた。
「ゴルタギアの民よ、自らが祀り上げてきた力によって滅びるがいい」
巨竜が口を開き、放たれた二度めの閃光がゴルタギアを薙ぎ払っていく。
その光景を見つめる者たちがいた。
街頭で手を握り合う青年と女が、雑踏を歩く長外套と迷彩柄の二人組が、街中で振り返った眼帯の殺人者が、真紅の輝きを宿した鴉の鎧が、路地を進む青一色の男が、窓から空を見上げる黒づくめが、高いビルの頂上から地上を眺める天と書かれた背中が。
そして、誰も知らない場所に立つ誰でもない人物が。
それぞれにその光景を見つめていた。




