静寂の朝 【2】
ふと、レックは周囲を見回す。料理の匂いに誘われて然るべき姿が見当たらない。
「そういえばルーザーはどこいった? まだ寝てるのか?」
「今はミレルとお風呂に入ってて、もうすぐ出てくるころ」
「風呂か……。あとで俺も入っておくべきだろうか?」
レックは自分の匂いを嗅いでみた。汗と脂、硝煙に焦げと土と血の匂いが混じり合い、内臓が裏返りそうなほどの邪神の体臭となっていた。
「そんな匂いじゃ女の子にモテないぞー」
「おまっ……言うにこと欠いて痛いところを……」
にやにやと嫌味な笑みを浮かべるアニスに、レックは苦々しく顔を歪める。
噂をすればというやつだろう。足音がして、風呂場から髪の毛を濡らした女児とルーザーが姿を見せた。
「おかーさん、ただいまー」
ミレルはぽてぽてという愛くるしい足音を上げてアニスに飛びこんでいく。
レックは首を傾げて疑問顔。はしゃぐミレルの顔にはくっきりと歯形がついている。レックは感情の凍結した顔でルーザーを見た。
「湯気を上げる子供がおいしそうだったから、つい」
「つい、カッとなってやったって範疇じゃねえだろ」
これにはさすがにレックもドン引きだ。
「とても優しい味でした」
「え? マジ? 哲学の味がしたの?」
子供の味議論で白熱する二人の大人を、アニスは(とっととくたばっちまえ)の冷めた視線で見つめていた。
レックの服が引っ張られる。視線を下げるとミレルがこちらを見上げていた。
「げんき出して」
「なにがだ?」
子供の言葉は要領を得ない。レックはしゃがんでミレルの目の高さに視線を合わせると、改めて首を傾げて聞き返す。
「ごきげんなんでしょ?」
「それを言うなら不機嫌だな」
だから、どれに対しての不機嫌なのだろうか? 常時不機嫌すぎてどの不機嫌を言っているのか特定できない。
「ミレル。レックおじちゃんはね、女の人とイチャイチャできなかったから拗ねて……ぶふーっ!」
最後まで耐えることはできなかった。アニスは口を押さえて盛大に噴き出してしまう。
「いい年した大人が色恋沙汰で子供に心配されてやんの!」
「いや、俺、あんたより年下だから。その理屈でいくと、あんたお婆ちゃんだから」
レックの指摘にアニスは「ちっ」と舌打ち。こちらも不機嫌げにレックを睨みつけた。とてもではないが、人妻という妖艶な響きからはほど遠い形相だ。
それにしても、この怒りと苛立ちはどこに向ければいいのだろうか? 硬く握った拳を解き放つことができたらさぞかし気が晴れるだろうに。
そのときだ。ミレルは突然両手を空に伸ばしたかと思うとその場で回り始めた。
「ぷるるるるるる。ぴぽぱぴぱぽ。ぽよっぴー。宇宙電波を受信中。宇宙電波を受信中」
『この子なに言いだしてんの?』の心配そうな顔が三つ並べられていた。
やがてミレルの回転が止まった。小さい手が握られ、短い指がとある方角に向けられた。父親譲りの瞳が空中の一点を真っ直ぐに見つめている。
「レックおじちゃんのさがしている宇宙まじょっこ美少女はあっちにいるよ」
レックは興味なさげだ。「ふーん」と軽くあしらうと、踵を返して扉へと向かう。
「どこへいく?」
「煙草が切れたから仕入れてくるんだよ」
見え透いた背中がゴルタギアへと繰り出していった。




