炎の日 【2】
一国の都を襲撃し、城を焼き、大君を、多くの人々を殺害してのけた《アーク教団》は正気ではない。
《アーク教団》は宗教団体と呼ぶより、信奉団体と呼ぶのが近い。《人間戦争》時代の遺物や文明そのものを崇拝し、各地から収集しては保存と研究を行っている組織だ。
しかしその活動は白や透明どころか黒一色。《アーク教団》の行う遺物収集とは脅迫に近い一方的なものであり、要求を拒否すれば武力強奪も厭わない。《アーク教団》に目を着けられて破滅した人物や組織は天の星ほどもある。早い話が狂信者と狂科学者を足して二で割らずに倍化させたような連中だ。
しかし長年の活動は侮れず、その組織力は裏世界最大級の五万人超に達し、その技術力は独自に葬星器の開発をも可能とし、保有する戦力は葬星器の鎧をまとった一万人の大部隊という、名実ともに世界で最も危険な組織の一角である。
中でも《十二弟》は《アーク教団》に所属する戦士でも最高位に位置する十二人だ。個人で力量の差はあるだろうが、狒々鎧と同列の戦士を十二人も抱えている《アーク教団》の総戦力は計り知れない。
能舞台を燃やす炎が勢いを増していた。世界の燃えるバチバチという音が耳元近くで聞こえてくる。反して屋外から聞こえていた悲鳴や怒号は消えかかっていた。戦いの終局が近いのだ。
「……休んでいる場合じゃないな」
少年は脚に力を入れて進むと、狒々鎧の前で一礼。
「お借りします」
狒々鎧に突き立てた自らの得物はもはや使い物にならない。狒々鎧の体から自分に見合った二振りの小太刀を引き抜く。
手の中に感じる重みで、改めて思う。
「生き残るべきは、ボクより他にいたはずだ」
少年の独白はこの戦いで燃えつきた全ての命に向けられていた。それは敵である狒々鎧も例外ではない。
矮小な自分と比べて、失われた命のなんと大きいことだろうか。その感傷が生き残った者の傲慢であると理解しながら、少年は誰かの代わりに自分が死んでいればと思わずにはいられなかった。
《アーク教団》の目的は、琶家が《人間戦争》時代から代々秘匿してきたとある品を強奪することだ。この激突は琶家と《アーク教団》、二つの存在が生まれたその瞬間から定められていたのかもしれない。
「だが、こんなにも多くの犠牲を出す価値が《厂処黒》にあるのか?」
「さて、どうだろうか」
声は炎の中から聞こえてきた。炎の中に人影が浮かび上がり、そして脚が、腕が、腰が、顔が抜け出てくる。
身にまとう《葬星装》は琥珀の鷲鎧。声と体格からすると少年よりもさらに若い。十代の半ばを超えたあたりだろう。炎の照り返しが琥珀を紅玉のように染め上げている。
「世界の重さを命の重さとするのなら、命そのもののほうが重いのか、命を奪って世界を壊す存在のほうが重いのか、それは見解の分かれるところだろうな」
鷲鎧は全身鎧と呼ぶには面積が少なく、軽鎧といった出で立ちだ。しかし画一的な量産型とは意匠が違っており、量産型を個人仕様に改修した高弟用のそれだった。
鷲鎧は狒々鎧を指揮官とした夜襲部隊の、副官か分隊長といったところだろう。
「だが、この場の真理はたった一つ。俺とお前の間にある関係性は一つだけだ」
鷲鎧が拳を握って構えを取った。紅玉の瞳は炎のように燃え上がっている。
「短い間だったが、その男には恩義があってな。どうも俺は、その男を殺したお前が赦せぬらしい」
「復讐、か。それは若さだ」
「お前もそうだろ?」
鷲鎧は意外そうに目を見開いた。目の前の少年に復讐以外の感情があるとは到底思えなかったのだ。
「生憎こちとら宮仕えでね。個人的な感情には構ってられないんだよ」
「ならばその道理、力づくで押し通してみせろ」
鷲鎧は落胆したように見えた。決して長いとは言えない人生の中で、年齢や思考や戦いの強さで自分と近しい人物に会ったのは初めてだったのだ。
それが全くの見当違いだった。
鷲鎧は拳を突き出した。一抹の寂しさを払拭するように全力を籠める。
血を噴いたのは鷲鎧だ。小太刀が兜の額から右目を縦断して頬へと抜けている。鷲鎧は額からの出血を手で押さえ、驚愕を吐き出した。
「馬鹿な。俺の拳が通じないだとっ⁉」
「お前の動きは予習済みだ」
少年の左肩はだらりと垂れ下がっていた。右手の小太刀で防御はしていた。しかし鷲鎧の拳は葬星器の小太刀を破壊し、少年の骨を砕いていたのだ。
逆に鷲鎧の拳が少年に届いていなければ、兜ごと頭を割られていたことだろう。死合は引き分け、しかし勝負は決した。
「お前、狒々鎧から手ほどきを受けていただろう? お前と狒々鎧の拳筋は同じだった」
「なるほど。一日の恩義を返そうとして、その一日の教えによって負けたのか。人生とは皮肉なものだ」
それは少年も同じ感想だった。少年は先に狒々鎧と対峙していたからこそ、鷲鎧の拳を間一髪で見切ることができたのだ。満身創痍の狒々鎧と、五体満足で若さに勝る鷲鎧を比べれば、後者のほうが圧倒的に手強い相手であるのは明白。出会う順番が逆だったら、勝負の結果も全くの逆になっていただろう。
「さて……」
少年は踵を返した。鷲鎧に興味を失ったかのようにすたすたと歩いていく。
「待て。どこへいく」
しかして、背中から受けた威圧感に足を止めた。横顔だけを向けて鷲鎧を睨みつける。
「勝負はついた。お前だけに付き合っている暇はない」
「人間とはつくづく不思議な生き物だ」
少年の言葉を聞いているのかいないのか、鷲鎧は意に介さず喋り続ける。
「恩義と復讐、という感情は気の迷いでも嘘でもない。だが、今はもうどうでもいい」
鷲鎧の矛盾した言葉に、少年は怪訝そうに眉を歪めた。鷲鎧の顔にあるのは狂気でも策略でもなく、純粋な怒りと憎悪だ。
「お前に一撃浴びせられた瞬間から、どうにもこうにも屈辱が勝ってしまってなあ!」
少年は溜め息を吐き出した。《アーク教団》に属している時点で分かっていたことだが、どうもこの手の人種に話は通じないらしい。
「言ったはずだ。個人的な感情には構っていられないと。それはボク自身にとっても例外じゃない」
鷲鎧の敵意と炎の熱気に炙られながら、少年は一度深呼吸。
「だから……皆殺しだ」
少年の口から出た言葉は氷の冷たさを宿していた。それは燃える炎すらも凍りつかせる絶対零度の感情だった。
「近いうちに《厂処黒》の回収命令が下されるだろう。それはお前たち《アーク教団》との敵対を意味している。もちろんボクは勇んで志願するだろう。だからボクが、お前たちを皆殺しにしてやるよ」
轟音。能舞台の天井に亀裂が走り、そして崩落。降り注いだ瓦礫が少年と鷲鎧の間に断絶の壁となって横たわる。
鷲鎧の出血を押さえた指の間から、激情に燃える紅玉の右目が少年を睨んでいた。
これは終わりではなく始まり。これから十余年と続く復讐鬼と戦鬼の、奇妙な関係が始まった出会いの夜だ。




