地下錯綜 【1】
地下錯綜
「くそっ! なんてことだ」
冷たい壁に背を預けて、レオシュは荒く肩を上下させていた。その表情には疲労と動揺が色濃い。少しでも呼吸を整え、頭を冷静にさせるべく酸素を貪っている。
背後から慌ただしい足音が聞こえたのはそのときだ。レオシュの心音が跳ね上がり、反して呼吸は殺され、背中は壁に押しつけられる。
「いたか?」
「いや、向こうに逃げた形跡はない」
「裏切り者を探せ」
手短に言葉を交わして、足音は周囲に散らばっていく。
「私の行動は筒抜けだった……っ!」
レオシュは歯を食い縛り、忸怩とした表情となる。
一体いつから裏切りを見抜かれていたのか? 今日の昼に心変わりをしてから、まだ数時間しか経っていない。にしては現在追われている対応は早すぎる。
(ということは、ゼッペルは常に全配下、あるいは情報の流れを監視しているのか)
どこまで他人を信用していないのだろうか。ふざけるにもほどがある。
とはいえ、情報に規制をかけたり改竄をしては人員を使う活動に支障が出る。自分程度が入手できる情報に罠はないだろう。の、はずだ。
(しかし、これからどうしたものか……)
レオシュは疲労した体に鞭打って歩き出した。行く当てもなくゴルタギアを彷徨いながら、今後の身の当てを考える。
(自宅には真っ先に手が回されているだろう。友人や家族にも迷惑はかけられない。どうすれば…………)
レオシュは溜め息気味に息を吐き出した。視線が地面に向かうのも致しかたない。
視線が再び前を向いたとき、そこには金網が広がっていた。
レオシュは首を傾げる。この金網はなんだったろうか?
金網は視界の右端から左端まで、ゴルタギアを区切るように続いていた。金網の此方にはコンクリートや鉄骨で作られた近代的な街並みが広がっているが、彼方には荒れ果てて遺棄された煉瓦造りの街並みが広がっている。
そこまで観察したところで、レオシュははたと気がついた。
「そうか、ここは封鎖区画だ」
このゴルタギアには何か所か、ゼッペルによって立ち入りの禁止された封鎖区画が存在していた。立ち入り禁止の理由は様々で、古い街並みや自然の保護だとか、地下に空洞が広がっていて地盤が不安定だとか。
目の前にあるのはその封鎖区画の一つらしい。
そこでレオシュに新たな疑問が生まれた。
「どうして封鎖されている? ここになにがあるんだ?」
レオシュが感じた限り、ゼッペルは無駄なことをしない。街並みや自然の保護などであるわけがないのだ。
無駄をしないのなら、この封鎖には意味がある。もしかしたら、ゼッペルにとって重要ななにかが隠されているのかもしれない。
「どうせ追い詰められているのだ。危険かどうかなど考えるまでもない」
意を決してレオシュは腰から剣を引き抜く。それは剣と形容するには刃が存在しなかった。しかしレオシュの意思に反応して、柄の先端から高熱ガスの刃が形成される。
ゼッペルの情報を入手する際、一緒にくすねておいた葬星器《レオンブラッド》だ。
追われている状況で強烈な光を放つ武器はどうかと思うが、どうせ封鎖区画に逃げこんでしまえば追ってはこれないのだ。構うものか。
剣を振るうと、金網はまるで糸のように焼き切られた。レオシュは煉瓦造りの古い街並みの中を歩いていく。
古い街並みだ。何十年、あるいは何百年昔だろうか? 煉瓦の表面は風化によって崩れ、土が剝き出しの地面には枯れて干乾びた雑草が張りついている。少なくともレオシュは目にしたことのない時代の風景だった。
封鎖区画を歩いていく内に、レオシュは曖昧な違和感を覚えるに至った。明確な言葉にすることはできない。追いこまれて研ぎ澄まされた神経が、普段なら気付かないほどの些細な違和感を訴えているのだ。
レオシュは足元の小石を拾い上げると、違和感の一番強い空間目がけて放り投げた。
なんの変哲もない空き地だ。住宅地の端を通りすぎてしばらく進んだ、周囲になにもないまっさらな空間だった。それなのに小石は空中で音を発して跳ね返される。
レオシュは喉を鳴らしてから前方にそっと手を伸ばした。硬い感触。そこでようやく、目の前に不可視の壁が存在しているのを理解する。
違和感の正体は、迷彩の僅かな誤差が生み出す景色の歪みだったのだ。
「区画ごとの封鎖に、さらに不可視の壁か。そこまでして隠したいなにかがこの先にあるというわけか」
レオシュは再びレオンブラッドの高熱ガスの刃を振るった。不可視の壁は縦長の長方形に切断され、不具合が生じて迷彩機能が停止。蜃気楼のように高い囲いが出現する。
しかし長方形から壁の中を覗きこんだところでレオシュは首を捻った。壁に囲まれていたのはただの一軒家だ。先ほどまで素通りしてきた住宅地に建つのと同じ、なんの変哲もない煉瓦造りの家だった。
「ゼッペルがわざわざ隠しておくような施設には見えないが……」
疑問を覚えつつ、レオシュは一軒家に踏みこんでいく。
玄関を抜けたところでレオシュの歩みが止まった。屋内には埃が積もっていなかった。つまり誰かが頻繁に足を運び、掃除をしている証拠に他ならない。
どこかで誰かが聞き耳をそばだてているかもしれない。レオシュは注意深く屋内を進んでいく。玄関を抜けて廊下へ、最初の扉を開けて応接間をざっと見回し、さらに奥へ。二階へと続く階段が目に入ったが、今は一階を調べるほうを優先させる。
そこでレオシュの足が止まった。階段の脇に見える扉がほんの少しだけ口を開けていたのだ。その光景は魔物が獲物を誘惑しているようにも思えた。危険が待ち構えていると理解しつつ、レオシュは花に吸い寄せられる蝶のように扉の取っ手を握っている。
レオシュは喉を鳴らして、一息に扉を開いた。扉の内部は黒一色。闇の奥に伸びているのは、さらなる暗黒に続く階段だった。




