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月下 【3】

 食堂に駆けこむや早々に、レックは果実酒を喉に流しこみ、レッチェルは麦酒で髭を拵えていた。一瞬で酒杯は空となり、二人の口からは酒臭い至福の吐息が吐き出される。

「大人になってよかったと思う瞬間だな」

「一日の終わりに呑むお酒って、どうしてこう美味しいの!」

 レックとレッチェルは最高の笑顔をかわし、そこでふと疑問顔。なぜか今し方まで途方に暮れていた気もするが、まあいいかとばかりに二杯めの酒杯を呷る。酒の魔力にはなにも勝てないのだ。

 店内に客はまばらで、ゆっくりと話をするには好都合だった。暖気を逃さぬためだろう、窓には木製の鎧戸が下ろされ、歪んだ隙間から店外に明かりが漏れ出している。店内は土壁が剝き出しとなった如何にも地元らしい内装で、雑多な感じがレック好みだ。

 喉を潤すのも一段落したところで、レッチェルが覗きこむようにレックを見てきた。

「ところで、レックってこの街の人じゃないよね? 旅行者?」

「ああ、まあ、そんなところだ」

「へえ。なんで?」

「なんで……って……」

 レッチェルは純粋な興味で訊いてきただけなのだろうが、レックは言葉を詰まらせた。

 世界を旅している大きな目的は、七年前に部隊を全滅させた《天》を探すことだ。レックたち前線部隊の全滅によって情報は錯綜し、周辺諸国の総攻撃を許す事態となってしまった。本土決戦の末に王は死亡し、領土は割譲され、テンペランという国は滅んだ。家族や顔見知りも生きているのか死んでいるのか定かでない。

 テンペランが滅亡したこと自体は、当のテンペラン人であるレックにしても戦争大好き国家すぎて排除されるのが至極当然な流れだと思う。

 しかし、故国滅亡の元凶になった男を追うことには僅かばかりの疑問もない。

 そして葬星禁器のあるところ、《天》や《アーク教団》は必ず姿を現す。だからこそ自分やフィフニが、ルーザーとともに葬星禁器を破壊して世界を回ることに意味はある。

「まあ……とある男を探している」

 さすがに部外者に根掘り葉掘り言えることじゃない。レックは核心に触れない範囲で真実を口にした。

「ふーん」と、レッチェルは興味なさげだ。それでも話題を振ってしまった責任からか「どんな人なの?」と訊き返してくる。

 レックの指が上に向けられた。レッチェルは怪訝な顔で天井を見上げる。

「空からきたと言えば、信じるか?」

「なによそれ」

 はぐらかされたと思ったのだろう。レッチェルは笑いながら麦酒に口をつけて、それ以上を追及してこなかった。

「それじゃあさ、世界中を旅するのって楽しい?」

「楽しいとか楽しくないって話でもないが……」

 レックは遠い目で天井を見上げた。思い返されるのは実に人生の三分の一を駆け抜けてきた日々だ。始まりは《天》との一件で世界を回ることになり、ルーザーと出会い、その数年後にフィフニが加わって三人になった。二人と肩を並べて、二人に振り回される日常が、なんだかんだで心地よかった。

 レックの口元には自然と笑みが浮かぶ。

「まあ、悪くはない」

「ふーん。そうなんだ……」

 レックの言葉を聞くレッチェルは両目を輝かせ、籠の中から外の世界を夢見る深窓の令嬢のようだ。

 しかし対照的に、レックの表情は絶望に打ちひしがれた奴隷のようになっていた。目尻には涙が溜まって今にも零れそうだ。

「本音を言うと、泣きたくなるようなことばかりだったけどな……」

(いい年した大人が涙ぐむって、一体なにが?)

 レッチェルの瞳は輪をかけて強く輝いた。失礼だとは思いながらも、好奇心は刺激されるばかりだ。

「まあ、嫌な思い出はあるが、それだけだったわけでもない。同じくらい綺麗な景色も見てきたし、美味い食い物も美味い酒もたらふく腹に入れてきた」

 そこでレックは一端言葉を切った。その顔には僅かな落胆が滲んでいる。

「惜しむらくは、隣にいたのが野郎じゃなくて美女だったらな……」

「男の人って大変ね」

 これほど他人事と表現するのが的確な反応もないだろう。レッチェルはレックの落胆など興味ないとばかりに駱駝のコブのステーキを口に運んでいく。

 レックの視線がレッチェルに向けられたのは当然の流れだった。レックはじっとレッチェルを見つめる。

「……前言撤回だ」

「なにが?」

「少なくとも、美女と一緒にメシを食う野望は達成された」

「ふーん……」

 やはりレッチェルは興味ないとばかりに口の中身を酒で喉に流しこみ、その動きが止まった。レッチェルは右を見て、左を見て、そしてもう一度右を見て、最後にレックに向き直る。ようやくレックの言葉の意味を理解して、レッチェルの顔が赤くなる。

「美女……って、もしかして、私のこと?」

「他に誰がいるんだよ?」

 レックはなにを当たり前のこととばかりにぞんざいな口調で言った。

「俺は見えない人間が見える危ない人じゃないぞ?」

 他人から好意を示されることに慣れていないのか、レッチェルは改めて耳まで真っ赤になっていた。気を紛らわせるように食事を口に運んでいく。

 その様子にレックは首を傾げた。レッチェルと自分の前を交互に見る。

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