そして氷塵が到来する 【5】
よろよろと後退するフィフニへと、鴉鎧は追撃の手を緩めない。手刀が断頭の刃となって振り下ろされ、これをフィフニは白刃取りで防御。しかし同時に放たれていた膝蹴りが腹部にめりこみ、再び内臓破壊の鮮血が吐き出される。フィフニが反撃の掌底を繰り出し、応じて鴉鎧も腕を突き出す。
フィフニは呆然と目を丸めた。渾身の力で放った掌底は、しかし、鴉鎧の人差し指一本によって止められていたのだ。即座に鴉鎧の手が毒蛇のようにフィフニの手首を拘束。腕一本の膂力による力任せの投げ技で背後に放り投げられてしまう。
フィフニは空中で体勢を整えて危なげなく着地。衝撃だけで口から苦痛が漏れる。
鴉鎧は右拳を肩に、そして左拳を腰に添え、フィフニ目がけて突進してきた。上下から裂帛の気合で拳が突き出される。鴉鎧の拳を受けられないのは先刻承知だ。間に合うはずがないと理解しながら、それでもフィフニは回避行動を取ろうとする。
しかし足が動かない。視線を下げれば両足が粘液を浴びて地面に接着されていた。続いて虚空から糸が放射され、フィフニの上半身を搦め取って防御すら不可能にしてしまう。いつの間にか路地の左右には新たな人影が二つも現れていた。青玉の蛇鎧と、緑玉の蜘蛛鎧だ。
鴉鎧の両腕が伸びきり、フィフニの顔面と心臓を肉片にする、寸前で拳が止まった。鴉鎧の全身から臨戦態勢の気迫が抜けていき、両腕が下げられる。蛇鎧と蜘蛛鎧が疑問符を浮かべる中で、鴉鎧は上を見上げた。
「十年振りにようやく見つけたんだ。ボクも相手してやりたいのは山々なんだけど、」
路地の峡谷を形作る雑居ビルの屋上にフィフニの姿があった。蛇鎧と蜘蛛鎧が弾かれたように路上のフィフニに視線を戻すが、鴉鎧は見ずとも分かっている。先ほどまで鴉鎧と戦っていたはずのフィフニが巨大な丸太人形に変わっていた。
鴉鎧は無言で丸太人形を真上に蹴り上げた。上空に達した段階で丸太人形が膨張、巨大な髑髏の炎となって爆発を起こす。
予定調和だったように、鴉鎧もフィフニも見向きしない。
「さすがに一対三ってのは遠慮するよ。周りが見えなくなるほど頭に血が上っているわけでもないし、無茶して突っこんでいくほど向こう見ずでもない。いやー、ボクちんも年を取ったもんだ。すっかり丸くなっちゃって」
長年追い続けた因縁の相手が手の届く距離にいるというのに、フィフニの笑みには不自然なまでの余裕があった。まるで茶飲み友達と笑い話でもしているかのようだ。
フィフニの笑みには掠り傷一つついていない。鴉鎧との戦いは最初から最後まで、身代わりによる人形劇だったのだ。
「さてと。そっちから出張ってきて部下の前、それで自ら引いたとあっちゃ面目丸潰れだ。今日のところはボクのほうが引いてあげるよ」
フィフニは背を翻してその場をあとにしようとして、足が止まった。
「次は誰の横槍も入らない二人だけで、どちらかが死ぬまで戦おうじゃないか」
去り際にフィフニが口にしたのは殺意の言葉だった。燃え盛る炎ではなく、決して溶けない氷に封じられた激怒と憎悪の言葉だ。
すぐにフィフニの姿は見えなくなり、気配すらも消え去ってしまう。
「クハッ! クハハハハハハッ!」
フィフニの気配が完全に消えたのが引き金となり、鴉鎧の口から哄笑が溢れ出した。喉を反らして天空に笑い声を響かせる。
「なにが『引いてやる』だ。一方的に手の内を探っておいていけしゃあしゃあと」
兜の仮面が開き、鴉鎧は口の両端を吊り上げて笑みを形作る。
「ようやくだ、ようやく貴様に会えたぞ、フィフニ・アルダー! 十年前の借り、このゴルタギアでまとめて返してやる!」
鴉鎧はフィフニとは真逆、炎の敵意を口にする。
「私たちの任務を忘れないで下さい」
一人熱くなる鴉鎧を蛇鎧の冷淡な口調が諫める。鴉鎧は蛇鎧に視線を向けた。
「分かっている。私も私事で任務を投げ出すほど不分別ではない」
謙虚を口にした鴉鎧は、しかし次の瞬間には「だが、」と続けていた。
「アルダーがこのゴルタギアに姿を現した目的も分かっている。彼我の目論見が相容れないのなら、邪魔者は排除するしかないだろう?」
鴉鎧の口調は二人の部下に説明しているというよりも、遊戯の規則を確認しているような調子だった。悪戯を思いついたように鴉鎧の口角が上がっていく。
「《葬星禁器》、私たちが先に手に入れてしまうのも一興か」
ゴルタギアで錯綜する様々な思惑は、やがて一つの場へと帰結するだろう。
風雷雨至りて、氷塵が到来し、されど未だ嵐こず。
それでも嵐は必ずやってくる。嵐の足音は、最初からゴルタギアの中心で鳴り響いているのだから。




