そして氷塵が到来する 【4】
「うがああああああああああああっ!」
フィフニの怒号が静寂な大気を割り砕いた。
狭く薄暗い路地を、大鴉の突進を受けたフィフニが凄まじい速度で後退していた。両足は宙に浮き、両腕は大鴉を押し返しているのか、それとも必死に摑まっているのか定かではない。
ふと、大鴉の力が弱くなった。その一瞬でフィフニは脱出し、後転を繰り返して速度を殺していく。
振り向いたフィフニの視線の先で、大鴉が首を下方に向けて急降下。その先に孤影が立っていた。大鴉の口が大きく開かれ、体を真っ二つに引き裂いたかのような大顎が開く。大鴉が人影を頭から丸呑みし、大鴉の体が分解され、さざ波のように人物の爪先から装着されていった。脛から膝、腰から胸、頭部へと駆け上がっていく。そして真紅の全身鎧をまとった人物となった。
まるで中世の騎士のように重厚な、それでいて華美なまでの意匠を凝らした重甲冑だ。
鴉鎧の人物の顔は兜と仮面によって隠されていた。唯一兜の隙間から覗く目元は瞼が閉じられている。ゆっくりと瞼が開かれ、紅玉の瞳がフィフニを見た。
「その目、覚えているぞ……」
フィフニの口からあらゆる負の感情が溢れてきた。表情が禍々しく歪んでいく。
脳裏に蘇るのは〝炎の日〟。鴉鎧の仲間たちによって彼の全てが焼きつくされた、忌まわしい日の光景が瞼の裏に描かれる。
「十年振りだな、《アーク教団》‼」
紅玉の鴉鎧が肩を震わせる。笑ったのだろうか?
鴉鎧が足を肩幅に開き、右腕を大きく後方に伸ばす。まるで引き絞られた弓のようだ。
突き出された鴉鎧の拳は空間そのものを破壊した。拳が衝撃波を発生させて進路上の全てを破壊していく。路地の左右で絶壁となったビルの窓硝子が砕け散り、壁面に亀裂が走った。石畳は抉られ、停められていた自転車は雑草のように潰される。空気そのものが鉄砲水となって迸り、空間が爆発したような轟音が襲う。
「レッ君も大概無茶苦茶だけど、あんさんも無茶苦茶なら負けてないね」
フィフニの姿は逆様。路肩のゴミ箱に頭から墜落していた。両足をバタつかせてゴミ箱から脱出し、鴉鎧に向き直る。
フィフニはパイナップルの皮のチョンマゲカツラをかぶり、イチゴのヘタの眼鏡をかけていた。しかし、どうにも釈然としないという感じで首を捻る。「ちょっと待て」と鴉鎧に一時中断を申請し、ゴミ箱を漁り始めた。ややあって、「お、これがいい」となにかを見つけて作業を始める。
改めて鴉鎧に向き直ったフィフニは、新たにバナナの皮の口髭を装着していた。
「これで完璧だ。さあ、どこからでもかかってこい!」
鴉鎧は言葉に甘えさせてもらい、フィフニ目がけて走り出した。
「ちょ、おま、ボケに反応しろよ!」
鴉鎧の行動に慌てたのはフィフニだ。急いで果物の変装を投げ捨てる。今は一秒が惜しいのに、変装を解く時間が長く感じる。なにより果物の汁が甘べっとい。
「畜生! 誰がこんなまどろっこしいことを!」
鴉鎧の蹴りは鎌鼬だ。上段蹴りに連動して弧を描く衝撃波が発生し、横手のビルに真一文字の破壊を刻みこんだ。自重を支えきれなくなったビルが傾斜し、路地を挟んだ向かいのビルに激突して凭れかかる。
フィフニは上体を反らして鴉鎧の蹴りを回避していた。目の前に突き出された尖塔のような脚を見上げつつ、風圧で浮いた牛飼帽を手で押さえる。前髪が散り、そして額を一筋の血が流れた。
二人の間に流れる停滞した時間。一瞬後には激しい攻防が始められていた。フィフニの左手が鎧に装甲されていない膝裏を狙って貫手を放ち、鴉鎧は伸びきった脚を畳んで踵で貫手を迎撃。される前にフィフニは左手を引っこめ、右掌で鴉鎧の膝を強打して体勢を崩させる。鴉鎧は崩れた体勢をさらに崩して後転に移行、逆脚を跳ね上げて縦一文字の衝撃波を発生させた。フィフニは半身を引いて衝撃波を回避し、背後でビルが縦断される轟音と風圧が背中に叩きつけられる。
後転を利用してフィフニから充分離れた鴉鎧は改めて構えを取った。再びの拳は流星だ。何十発もの拳が連続で放たれ、衝撃波の流星群がフィフニに襲いかかる。
フィフニは拳の流星群に自ら突っこんだ。残像を生み出す速度、というよりも本当に分身しているかのような超高速で出鱈目に動き回る。標的を絞れない鴉鎧は自然と拳の弾幕を拡散させ、拳同士の隙間を大きくさせることとなった。その隙間にフィフニが突っこみ、暴風の中にぽっかりと空いた無風地帯を鼻歌混じりに進んでいく。
しかし、その無風地帯を利用したのは鴉鎧も同じだ。鴉鎧は一瞬にして攻撃方法を流星から彗星へと変更。自らが凄まじい勢いで無風地帯の中を突き進み、渾身の右拳を突き出してくる。
フィフニの周囲は流星の暴風が吹き荒れたままだ。フィフニは鴉鎧の拳を受けるか、それとも流星の中に飛びこむか、一瞬だけ迷った。その一瞬が命取りとなり、瞬く間に鴉鎧に距離を詰められ、拳の直撃を食らってしまう。
受けられるなど思い上がりだった。鴉鎧の放った拳の衝撃は交差した腕を突き抜け、肋骨をまとめてへし折り、内臓を破壊して、背中から飛び出していく。人体を挟んだ程度で拳の威力が事切れることはなく、フィフニの背後のビルに大穴が穿たれ倒壊する。
異音とともに、フィフニの鼻と口から内臓破壊の鮮血が溢れて滝となった。




