神話の時代
天地を埋めつくす黒の中を、一筋の白が駆けていた。
「ぎゃははははははっ!」
茨で編まれた翼を広げた白い服の男が、黒い軍服の勢力を蹂躙していく。
白い男の両手両足には茨で編まれた剣が光っていた。空中を飛行しつつ、四肢を出鱈目に振り乱して、黒い軍服の人々をやたらめったら切り刻んでいく。突き出されてくる刃の密林を蹴散らし、雀蜂の大群となって殺到する弾丸を搔い潜り、頭部を割って脳漿を飛び散らせ、首を刎ね、胴を貫き、四肢を切断する。
白い男の後方には一筋の赤い軌跡が残されていた。白い男によって惨殺された人間たちの成れの果てが、肉片と血痕の道となって描かれていたのだ。
数千人とも数万人とも思える黒い軍勢は、たった一人の白い男に成すすべもなく踏みにじられていた。
「くたばりやがれえっ!」
巨漢の怒号とともに紅蓮の大剣が振り下ろされ、白い男が茨の剣を掲げる。巨漢と細身、鋼と茨、通常なら拮抗するはずのない両者は、しかし受け止められた。白い男は地表を踏み砕きながらも大剣を食い止め、衝撃波によって背後に亀裂が刻まれる。
白い男がにいっと口の端を吊り上げた。優越と悪意の笑みだ。巨漢が息を呑む間もなく白い男から山吹色の光が溢れ出し、山吹色の光は茨の棘のような円錐を形成して巨漢の胸を貫いた。巨漢は破壊された心臓から血を噴いて傾斜していく。
山吹色の男の後方にはさらに十二色の極彩色が輝いていた。赤い光をまとい、骨の翼を生やした金髪碧眼の青年。緑色の光を放ち、霧で蝶の翅を形成した女。中には藍色や橙色のように翼を形成せずに宙に浮く姿、全身を藤色の光と大量の札に包まれた人物、六角形の棺におさまったまま臙脂色の光を漏らす者もいた。
「旧いニンゲンども」
山吹色の男が天空に剣を掲げた。男の体から茨が這い出して剣の容量が増していき、剣は天空へと伸びる塔の大きさにまで巨大化した。
「滅びろ」
宣言とともに、剣が地上の人間たちへと突き出される。剣は剣ではなく砲身だった。剣先から射出された山吹色の棘は小山にも等しい巨大さだ。
黒い人々の上に山吹色の絶望が覆いかぶさり、そして、明後日の方向へと飛んでいった。山吹色の砲弾は重力を無視した直線で飛び、遥か遠方に見える山稜の頂点を破壊。噴火が起きたかのように岩石と土砂が舞い上がり、雪崩となって山肌を駆け下りていく。
「……あン?」
山吹色の男が疑問の声を発する。山吹色の砲弾の着弾地点に黒い男が出現していた。黒い男が山吹色の砲弾を蹴りつけ、明後日の方向まで蹴飛ばしたのだ。
黒い男の姿が搔き消えた。一息で山吹色の男との距離を詰め、右拳を突き出す。男の拳は山吹色の光と同様の黒い光をまとい、迎撃で突き出された茨の剣を破壊して、山吹色の男の左肩を貫いた。男の腕は肩口から引き千切られ、空中で黒い光に呑みこまれて、そして跡形もなく消え去ってしまう。
山吹色の男は唇を舐め上げながら後退した。傷は胸まで達しているというのに、さほど苦にしている素振りはない。
「救世主様だ。救世主様が我々をお救いになってくださったぞ!」
黒い人々から希望と羨望の声が湧き上がった。喝采は一つの咆哮となって大地を、天空を震わせる。黒い救世主と山吹色の男の体も、周囲の高揚によって微細に震えていた。
天空を見上げる挑戦的な視線と、地上を見下ろす嘲りの視線が激突する。
「旧いニンゲンの側に立つつもりかよ、旧式」
山吹色の男が恫喝するも、黒い救世主は口を開かない。ただ、顎を引いて肯定の仕草をしただけだ。救世主の覚悟を体現するように拳が構えられる。
「愚かだなあ、だからお前は旧式なんだ。旧いニンゲンを守ってなにになる?」
山吹色の男が翼を広げて飛翔し、応じて黒い救世主も駆け出した。茨の剣が分解されて数十条の鞭となって黒い救世主の体を引き裂き、大鎌の一撃となった回し蹴りが山吹色の男の胴体をへし折る。棘の弾丸が黒い救世主の全身に突き刺さり、拳の連打が山吹色の男の全身に叩きこまれる。
「旧いものが新しいものに滅ぼされる、それを進化と言うんだろうが。だったら旧いニンゲンどもが新しい俺たちに滅ぼされるのは自然の摂理だ」
茨の鞭が編まれて大樹の太さとなり、大蛇となって空中を蛇行する。茨の大蛇は黒い救世主の体に巻きついて拘束すると、万力となって締め上げた。しかし黒い救世主の全身から黒い光が迸り、瞬時に茨の大蛇を八つ裂きにして脱出する。
「てめえが旧いニンゲンを守るのは、無意味で間違いなんだよおっ!」
「違う。無意味じゃない」
そこで初めて、黒い救世主が口を開いた。穏やかで、とても優しい声だった。
「旧い人間が新しい人間の侵略に耐え抜いたとき、新しい人間の力を凌駕したとき、それはもう、旧い人間じゃない」
黒い救世主が片手を天空に伸ばした。掌から放出された黒い光が空中で肥大化し、暗黒の恒星を形作る。
「それも進化だ」
「面白え」
両者が同時に腕を突き出し、暗黒の恒星と山吹色の砲弾が弾き出された。恒星と砲弾は両者の中間でぶつかり、激しい衝撃波と轟音、そして光の乱舞を巻き起こす。
武装した人々は吹き荒れる烈風に体を弄ばれ、揺れる大地に膝を折る。破壊の力に晒されながら、自分たちでは抗うことすらできず、目の前の激突を見つめるだけだ。
暗黒の恒星と山吹色の砲弾は拮抗していた。そこへ新たに十二色が殺到。暗黒の恒星を粉砕して、極彩色の攻撃が黒い救世主の全身に撃ちこまれる。
「これは旧いニンゲンと新しい人間の、生存を賭けた闘争だ。お前が旧いニンゲンの世界の救い主なら、俺たちは旧いニンゲンの世界を葬る者」
山吹色の男の後方から十二の破壊の化身が近付いていた。手には骨の剣や鉄鎖の鞭、楔に札を持ち、それぞれが極彩色の光をまとう。
黒い救世主も負傷した全身を黒い光に包み、駆け出していく。
「救世と葬世、救世主と葬世者だ!」
黒と極彩色が激突し、弾けて、そして消えた。
鼻をくすぐる草の匂いで彼は目を覚ました。聞こえるのは風の音と、鳥の鳴き声、そして草木のざわめき。体は寝心地のいい草布団に受け止められ、暖かな午後の日射しが草原に寝転がった彼の全身に降り注いでいる。
長閑な昼下がりだ。気持ちのいい風に晒されて心地がいい。
彼は億劫な動作で上半身を起こすと、眠たそうに瞼をこすった。大きく息を吸いこんで体を伸ばす。
「おーい」
遠くで誰かが彼を呼ぶ声がした。彼は首を回して声の出所を探す。
「なにしてんだ、置いてくぞ?」
男と青年が、彼の遥か前方で彼の到着を待っていた。彼は立ち上がると、男と青年目指して走り出していく。
三人の行く手には、天空へと続く巨大な塔が聳えていた。