赤い涙
私は、早速少女の観察を始めた。どうやら彼女はこの路地裏にあるボロ屋に一人暮らしのようだ。出口は申し訳程度の布が掛かっており、中に入ると少女が寝る場所があり、その横に少女が机として使っているであろう箱があった。その上に小さなろうそくがおいてあった。ろうそくと言っても夜中に部屋を照らすには少し不十分に見える。しかし幸いな事に、今日は月が明るい。部屋の小窓からその光が入り、少しは室内が明るく感じる。しかし、海辺に面しているためか、ボロ屋の隙間から入ってくる風はとても冷たかった。
少女は家に帰るとすぐに着ていた真っ赤な美しいドレスを脱ぎ、みすぼらしいワンピースへと着替えた。そして箱の上のろうそくを除け、その中から麻布の袋を取り出し、丁寧にその中へ入れた。丁寧に袋に入れたと言っても上等なドレスをそんな麻布の袋に入れるなど、服にとっては良くないことだ。きっと、次袋から出すときは無惨な姿になっているかもしれない。少女もそれを分かっているのだろう、だが少女はそのドレスが汚くなってしまう事よりも、誰かに盗まれる事を恐れているように見えた。もとの場所に袋を戻し、少女はようやく一息ついた。
「あなた、名前がいるよね。なんて呼ぼうかな」
少女は、穏やかな笑みを浮かべて言った。先ほどの気高い姿は今はどこにもない。
「んー、でもこんなに綺麗な子に変な名前はつけられないよね…。まあ、私と二人っきりだし呼び方はゆっくり考えればいいよね」
そういう言うと彼女は大きくあくびをした。それもそうだろう、もう夜中だ。幼い少女が起きている時間ではない。少女は何かを呟きながら静かに寝入っていった。
私は、一体何をしているのだ。このような小さな少女に何を思い、私はついてきてしまったのだろう。
丁度、部屋の小窓から月が覗いている。月の光が明るいので、てっきり満月かと思っていたが、少しかけているようだ。かけた月を見つめ、私の心はざわめいた。
この少女は、私を美しい聖獣だと思っている。私のこの偽りの姿を本物だと信じている。なんと愚かな……もし、私の真の姿を目にした時、果たして少女はどのように思うだろう。あれほどの大金を詰んだ私が、全く別の姿を現したら……。この少女が絶望する顔を見るのも悪くはないと、このときの私は思った。気づけば私も眠りについていた。
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朝の光が、私の上に降り注いだ瞬間目が覚めた。私は少女が寝ていた場所を見ると、既に少女はいなかった。
「あっ、おはよう。やっと起きたね。聖獣さんってお寝坊なの?」
少女はそういうと箱の上に草の根のような物をおいた。するとそれを一口サイズに小さくちぎっていき、口に運んだ。どうやらこれが彼女の食事のようだ。しかし、それは慣れた手つきには見えない。彼女の手はまだ柔らかく、ここ数日でついたのであろう傷がついていた。
「これね、お母さんが教えてくれたの。もしもお金が全部なくなったときは、これで飢えをしのぎなさいって」
この少女が、あれほどの大金を積んで私を買った事が信じられない。元は貴族かなにかの娘なのだろう。口に草の根を運ぶ姿でさえ、上品さが見える。大方、どこかの貴族が侍女を孕ませて生んだ子だ。美しくかわいらしい娘だ、本物の娘として育てたくなったのだろうが、正妻の子には勝てなかった。と言ったところだろう。私を買った金だってきっと、その貴族が最後に与えた金なのだろう。
私は自分の名推理に満足し、さらに少女を観察した。少女は食事を終えると私の方を見ていった。
「あなたは何を食べるのかしら……。私、あなたを買ったおかげで一文無しなの。だから、お金を使って何か食べさせてあげる事は出来ないの」
少女は申し訳なさそうに私を見ている。私は聖獣だ、別に何かを特別食べる必要もない。しかし、その事を彼女にわざわざ伝える事はしなかった。
「うーん……。ごめんね、もう少しだけ我慢して。これ、私が食べた草の根……あなたにもあげる。私もどうにかしてみるから。でも、外に出たらダメだよ?また捕まっちゃう」
そういうと少女は外へと出て行き、私はまた一人になった。正直ここは退屈だ。薄暗く、じめじめして。私の今の姿には似つかわしくない。早くも私はこの状況に飽きていた。目の前に差し出された草の根も正直食べる気にはなれなかった。少女は何をしに外へ行ったのだろう。そう考えていたものの、私は気づくと二度目の眠りについていた。
目が覚めると少女は既に戻っていた、どうやら夕方のようだ。ずいぶんと寝たものだ。やはり、普段暇なときは眠っているせいか、私にとっては一瞬の睡眠でも長い間眠りについているようだ。
「ごめんね…やっぱりお金はどうにも出来なかったや…」
そういうと少女はまた朝食べた草の根を差し出してきた。心なしか、昨日よりやつれてみえる。
「これからどうしようかな。ごめんね、こんな何もない飼い主で。きっと他の人に買ってもらった方が幸せな生活が出来たよね」
少女は目に涙をためていた。
「でもね、あのお金で生きていくなんて私には出来なかったの。だから、一度に使ってしまおうと思って。あのお店に行けば一気にお金をなくせると思って……。でもお母さんが昔言ってた。責任の持てない命を簡単に買うんじゃないって……。ははっ、本当にそうだね……。このまま、あなたもいなくなっちゃったら私どうしようか」
誰に言うでもなく少女は言った。きっと、私が飢えて死んでしまうのと思ったのだろう。しかし、私は飢えて死ぬ事はない。それを知らない彼女は静かに涙を流すばかりだった。その涙が流れる姿を、あの小さな窓から漏れる夕日が照らしていた。その涙は、夕日に赤く染まっていた。
それから数週間、私は彼女とともに過ごした。正直、この場から逃げ出して、少女の絶望する姿を見てやろうかとも思った。しかし、私の中でまだその時ではないと何かが告げていた。私がこのような事を企てているとは知りもせず、彼女は日に日に衰えていった。そんな中でも、彼女は私に穏やかに話しかけた。そろそろ、この少女は歩けなくなるのではないかというように見えた。この二日ほど、草の根でさえ見つけられていないようだ。
「そうだ…私ね、あなたの名前考えたの。遅くなってごめんね」
絞り出すような声で少女は言った。名前のことなど、私はとうの昔に忘れていた。
「あなたの名前は、アルテミス。あのね、これは昔お母さんが教えてくれた月の神様の名前なの。あの日はとても月が綺麗だったでしょ?だからちょうどいい名前だと思って」
少女は、乾いた笑いを浮かべていた。アルテミスは女神だ。私は動物の性別で言えば雄にあたる。しかし、彼女はよく分かっていないのだろう。
「ねえ、アルテミス。私ね、あなたがいるおかげで全然寂しくないの。正直、一人は怖くてたまらないの。だから、ずっと私のそばに居てね」
そんな少女を、私は心の中であざ笑った。私はお前の元からこの数日後には消えるのだぞ、と……。そう思っていた。正直、この少女はもうじき死ぬ。もって数日……いや明日かもしれない……。私はそう考えを巡らせながら、眠る少女の傍らに座った。
ふと、目の前にある草の根に目が止まった。これは少女が私用にとおいてくれている物だ。しかし、私は一向に手を付けずにいる。自分ですら飢えているのに私に食事を用意するなど健気な少女だ。
私も試しに口にしてみようか……私が食べたところで体に害はないはずだ。口に含んでみると草の根は思いのほか堅かった、少女はこんなもので飢えをしのいでいるのか。思っていた異常に味が悪い、食えた物ではなかった。口の中に苦みが残る。口にした事を後悔した。
少女は静かに眠っている。私は、あることを思いつき心の中でほくそ笑んだ。明日、それを実行しよう。そして私も、また眠りについた。
中編くらいです。もう既に雑さが際立って参りました…果たして上手く落とせるのか。