55話:頼れる弟
SIDE.GOD
俺は青葉紳司。火曜日、7限の授業を受けていたときのこと、不意に明るい通知音が響いた。
「ちょっと、一応マナーモードにしておきなさいよ~」
秋世の間延びした声。やる気なさげに、黒板に向き合っている彼女は、今日はなぜか少しお疲れらしい。色々とやることがあって徹夜したとか。
「えっと」
俺は、自分のスマートフォンの画面を見た。ポップアップ表示で文章が出ていた
ので表示を押す。
『「明日咲現水」って子の家族を探してるんだけど知らない?ロシアで行方不明になった子らしいんだけど、その子死んでて、それを伝えるためにやってきた子がいて、その子にあわせたいんだけど』
明日咲現水……?ふむ、家族とは限らないが、知っている。名前だけなら聞いたことがあるし、遠くから見たこともある。おっぱいも大きい……っと、これは関係ない。
「了解。待ち合わせは今から言うカフェ。その伝えるためにやってきた子を連れてきて。俺は心当たりの人を連れて行くから」
このカフェというのは、紫炎と初めて会ったときにお茶をしたカフェであり、昨日、律姫ちゃんとお茶をしたカフェでもある、あのカフェである。
カフェの場所を地図を添付しながら送信して、俺は席を立った。
「んぁー。ちょっと、紳司く~ん、授業中よ」
ものすっごいやる気のない秋世の言葉に、俺は、どう答えたものか迷ったが、あっさりと答えることにした。
「ちょっと生徒会関連で、緊急の仕事だ」
「はぁ?私、聞いてないわよ?」
秋世が顧問だ。しかし、俺は既にいいわけを考えていた。
「だから緊急の、なんだろ?
大丈夫だ、俺一人で対処できる」
そう、そんな言い訳を。その言い訳に納得したのか、秋世は気だるそうに答えた。
「ん~、そう。頼んだわ」
念のために言っておくが、別にサボるために授業中に抜け出したわけではない。明確な理由があって、授業中に抜け出したのだ。
さて、その理由は、と言うと。まず1つ目は、時間だ。三鷹丘学園の授業は、他の学校と違い、選択科目によっては、7時間目なんていうものが存在する。姉さんはとっくに放課後だろうから、もうカフェに向かっているはずなのだ。
そして、2つ目……に関しては、当人に会ってからとしよう。
俺は、3年生の教室のある廊下へと差し掛かる。確か、目的の人はB組のはず。そう思い、ドアをノックする。
「はい、どうかしましたか?」
そう言って扉を開けたのは、授業を担当していた橘鳴凛先生だった。この人も美人だよな。24歳独身ということで狙っている男子生徒も多い。
「すみません、少し用事がある生徒がいまして、生徒会としてまいりました」
そう言うと、「ん?」と反応するユノン先輩とファルファム先輩。しかし、用事が有るのは、生徒会の2人ではなく、同じクラスに所属する別の生徒。
「ああ、市原先輩とミュラー先輩ではないです。明日咲先輩、よろしいでしょうか」
明日咲先輩。おそらく、姉さんが探している「明日咲現水の家族」であろう先輩だ。
明日咲先輩は、チラリと櫛嵩先輩の様子を確認しつつ、櫛嵩先輩が目線で「行きなさい」と促したのを見て、俺の方へとやってきた。
さて、ここで、授業を抜け出した2つ目の理由だ。今日は火曜日である、ということも踏まえて考えてほしい。そう、この明日咲先輩は、「水泳部」に所属している。副部長だ。確か、部活動の視察をしたときにもきちんと記したはず。
所属人数15名。1年生6名。2年生7名。3年生2名。活動曜日、月、水、金。顧問は橘鳴凛先生(24歳独身)。部長は櫛嵩夢夜先輩。副部長は明日咲現火先輩。
と、このように。
今日は「水泳部」の活動曜日ではないため、放課後にさっさと帰られてしまったら困るので、授業中を選んだのだ。
「すみませんが廊下でお話をしましょう」
俺の言葉に明日咲先輩は頷いた。俺は、明日咲先輩を連れ、廊下に出る。授業中の廊下には誰もいない。それに授業中のため、ほとんど無音である。
「……」
しかし、俺は、ふと気づく。授業中に自由に出歩けて、なおかつ教師が視認できない生徒がいるのに。
もしかしているのではないか、と思い、手を前に突き出してぐにゅりと揉んでみた。すると驚いたことに柔らかい感触が伝わってきたのだ。
「きゃっ」
と驚いた声を上げたのは明日咲先輩である。まあ、何せ、何もない空間から突如人が現れたのだ。驚かないほうが無理だろう。
「ったく、いつからいたんだよ、宴」
春秋宴。3年X組所属の特別免除生だ。《存在の拒絶》という《古具》を持っているのだ。
「今からするのは結構プライベートな話だ。今度構ってやるからどっか行ってろ」
シッシッと手で追い払うような仕草をすると宴は、《存在の拒絶》で消えてしまう。きっとどっかに行っただろう。
「さて、と。それで、ですが」
俺が本題に入ろうとすると、慌てて明日咲先輩が話の腰を折った。
「いえ、いえいえ、え、今のは?」
「今のって宴ですか?あいつは特別免除生なので、授業は参加していなくてもいいのでこの時間でも廊下にいてもおかしくないと思いますが?」
俺の言葉に、慌てて首を横に振る明日咲先輩。
「そ、そうじゃなくて、何もないところからパッと現れたのですけど?!」
ああ、そこか?
「いえ、まあ、秋世なんかもしょっちゅうパッと湧き出るので……」
原理は違うが気づいたらいるのはどっちも一緒だ。
「え、いえ、今の事象について解説を……」
「解説ですか?いえ、原理は俺にもよく分からないので……。それよりも本題に入ってよろしいでしょうか?」
俺としては、とっとと本題に入りたいのだが……。まあ、一般人には意味不明の事象なのは分かる。俺は《古具》使いだからな……、何でも不思議なことは《古具》で片付けられるのは分かってるし。その辺の違いなのだろう。
「え、ええ。まあ、釈然としませんけれど、いいでしょう」
これでやっと本題に入れるな。まったく、宴の所為で色々とあれだったな……。まあいい。
「それで、本題ですが……。明日咲先輩、貴方には、妹さんがいましたか?」
俺の問いかけに、明日咲先輩は、何故そのことを知っているのか、と不思議そうにしながら答える。
「え、ええ。確かに妹が一人」
その言葉に、俺は確信を持った。間違いなく、この人が「明日咲現水の家族」だ、と。
「名前は、『明日咲現水』、ですね?」
その言葉に、間違いなく反応を示した。ピクリと肩を揺らした。動揺したのだろう。行方不明の妹の名前が出てきて。
「貴方の話は、何なんですか?ただのそのことの確認ですか?生徒会として。人の妹が行方不明になっていることをわざわざ授業中に呼び出してまで確認しにきたんですか?」
その声には、怒気がふんだんに含まれていた。しかし、俺は動じない。そもそも俺は、そんなことをしにきたわけではないのだ。
「いいえ、違います」
俺は、きっぱりと言った。その言葉に、明日咲先輩は、余計動揺する。おそらく、頭がうまく働いていないのだろう。
「じゃあ、何をしにきたっていうのですか!」
俺は、その言葉に、人差し指を立てて注意を引く。そして、落ち着かせるように間を空けてから、ゆっくりという。
「落ち着いて聞いてください。妹さんの死が確認されたそうです」
その言葉の意味が理解できなかったのだろう。明日咲先輩は、暫し呆然としていた。理解できなかった、あるいは、理解したくなかったのだろうか。
「し、死んだって……、誰が確認したんです?」
明日咲先輩は、意外にも冷静だった。いや、現実味がないから動揺すら出来ないのかもしれない。
俺は、彼女に事のあらましを説明する。
「一人の少女がロシアから来たそうです。その少女は、『明日咲現水』って子の家族を探してそうで、それを知った姉が偶然俺に連絡をくれたんです。そして、俺は、貴方がその家族なのではないか、と予想を立てて、今、こうして会っているんです」
俺の言葉に、ある程度の理解を示したのか、明日咲先輩は、小さな声で呟いた。
「その子はどこにいるの?」
俺は、優しく微笑む。
「今から一緒に会いに行きましょう」
そうして、俺は、彼女を姉さん達の待つカフェへ連れて行くことにした。
教室から荷物を取ってくるという先輩に同行して、教室の前で彼女を待つ。明日咲先輩はふらふらと少しおぼつかない足取りで自分の席にある荷物を取った。
「申し訳ありませんが早退させていただきます」
明日咲先輩は、少し青い顔でそう言った。その様子を見れば体調が優れないのだろう、と思うのも当然だ。あと10分くらいで授業が終わる、とかそんなことは関係なく、簡単に早退の許可は降りた。
「夢夜。今日の予定はキャンセルさせて……。今度、埋め合わせするから」
明日咲先輩は、櫛嵩先輩にそう言った。どうやら二人は今日の放課後、何か予定があったらしい。まあ、大方予想はついているが……。櫛嵩先輩のお相手と噂の明日咲先輩だ。百合カップルとしてイチャイチャする予定だったのかもしれない。
俺は、真剣な顔をしていた。人の死に関わる話なのだ、自然とそうなる。俺は、ふらふらとこちらに来る明日咲先輩とそれを見ていた櫛嵩先輩の様子を見て、軽く櫛嵩先輩に一礼して明日咲先輩をエスコートするのだった。
ふらふらと足取りの重い彼女をどうにか支えながら、10分ほどをかけてカフェに辿り着く。姉さん達は、もう来ているだろう。しかし、それほど待たせてはいないはずだ。何せ、鷹之町からここまで来るのと、学園からここまで来るのでは大分時間が違うのだから。
「さあ、ここですよ」
「ええ」
俺は、明日咲先輩を連れ、カフェに足を踏み入れた。